実写映画「魔女の宅急便」最大の見所は、快活な小芝風花のキキの演技と、輝くようなスネ。少女の成長はその脚にあらわれています。

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日本「このスネがきれい」映画オブジイヤー2014は、「魔女の宅急便」に決定です。
ぼくが決めました。
こんなにスネが美しい映画そうそうないよ。少女の快活さの権化だよ。

キキの衣装、魔女の正装って、黒のワンピースなわけですよ。
全身をその黒が覆うけど、膝丈なのでスネから下は見えている。
だから、スネが白く、画面に映えるんです。
いや、正直構図上、脚を意図して撮影していた。

「魔女の宅急便」は、13歳のハーフ魔女の少女、キキの成長譚。
ジブリ映画で見た人は多いでしょう。
だから今回の映画、どうあがいても、呪縛のように「ジブリ魔女宅」がついて回ります。

しかし、実際に見てみると意外にもさくっと「これは別物だ」とのめり込めます。
一つ目は、しつこいようですが、小芝風花のスネがきれいだから。
二つ目は、世界観がレトロ日本をごちゃまぜにしているから。昭和日本と現代日本をぐちゃぐちゃにした街の様子は独特なので、これだけでも見る価値あります。
三つ目は、視点が決定的にジブリ版と違うから。

ぼくも、小芝風花かわいいかわいいの一心で見に行きました。
実際彼女は、ダントツで画面で輝いています。他の登場人物が、モッサイ感じの、人間臭い面々で固めているので、彼女飛び抜けてかわいいのです。
パン屋の旦那とか、歌姫とか、どうしてこの人物なのー!?ってくらいかっこよくない。
人力飛行機を作っているトンボも、大変オタクくさい。理系オタクってこうだよねーというダサさ。
この比較のせいで、小芝風花=キキの百面相と、体全体を使った一挙一動に視線が行く。

この目線が、見ているとどんどん母親の目線に変わっていきます。

例えば。運動会で自分の娘が走っていたら、目が行くのは顔と脚ですよ。
転んだときに見つめるのは、泣いた顔と怪我をした脚なはず。
その時になんて声かける?
「あらあらかわいそうに」だけじゃないと思うんだ。
「もー何やってるの、ほれ頑張りなさい」じゃないかな。
ぼくは母親じゃないけど、そう言われて育ったよ。

序盤、仕事を見つけ、いきいきとする彼女のスネはキラキラ輝いています。元気に走り、飛びます。
しかし心が折れて挫折し、落ち込んでいく時彼女のスネは、それはもう傷だらけになります。

この時感情移入するのは、キキではなく周囲を固める大人の女性陣。
パン屋のオソノさん、キキのお母さん、クリーニング屋のおばさん。
ほれ、頑張りなさい。休んでたらかえってよくないよ。決めるのはあんただよ。
背中をポンと叩きたくなります。傷だらけのスネだからこそ、歩きなさいと言いたくなる。

トンボは同年代の友人男子として登場しますが、視点が母親なのです。
途中、あることを練習するシーンがあります。女の子を慰める少年像じゃない。叱咤激励する母親の思考でした。
あいつ見た目に反して心イケメンすぎんだよー。見たら惚れるぜ絶対。

脚本は「おおかみこどもの雨と雪」と同じ奥寺佐渡子。
なるほど確かに「笑顔でいなさい」というテーマはつながっています。
「おおかみこども」は憧憬にも似た母親像を描いた映画。
今回の映画は、人生を重ねて苦労した、肝っ玉母さん像になっています。オソノさんの立ち位置が実によくて、「何言ってんのー」の演技一つ一つに、愚痴と優しさが混じっています。
またトンボの存在が母親チックな分、キキに対して男性でも見守り、のめり込む度合いが高い。
比較してみると面白いです。

加えて爽快なのは、純粋な人間しか出てこないところ。
邪念が一切ありません。何だこの世界すごいな!
だからこそキキは悩むんだけどね。
純粋なものに囲まれると、傷ついた時復帰が大変だよ。言い訳できないもん。

「泣ける」演出はそこまで多くないです。よく言えば、あざとくない。
悩む側ではなく、見守る側に観客が引き上げられる。見ていると「どうしたらキキを励ませるかなあ……」と優しい気持ちになります。男も女も。
そして終盤のキキの、乗り越えたスネを見た時、母親的に「よく育ったねえ、ほんとうにもう」と言いたくなる。

さて、監督の清水崇は「呪怨」などのホラー映画作家。
本人も「周囲からは「正気か?無謀だ!」と言われました」と言っています。
サム・ライミがスパイダーマンを作ったように、全く違うジャンルの人が生の人間を描こうとすると、視点がバッサリと切り替わって面白い。
ベクトルは違うけど、女の子の今こそという一瞬の輝きを見られるという意味では「あまちゃん」好きな人にオススメ!
(たまごまご)