野球殿堂入りが決定 秋山幸二氏を支えた「オヤジ」の存在
ドラフト外で西武に入団した秋山氏
野球の殿堂入り競技者表彰が行われ、今年度は秋山幸二氏(ソフトバンクホークス監督)、佐々木主浩氏(元横浜べイスターズ)、そして野茂英雄投手(元近鉄)の3人がプレーヤー表彰で選出された。3人の中で最年長51歳の秋山氏は、きっと1人の「オヤジ」に感謝していることだろう。
秋山氏は1981年から西武でプレー。入団時は背番号71だった。ドラフト外入団だったからだ。
熊本県の八代高校出身の秋山は投打で抜群の力を誇り、スカウトの目に留まった。大学進学がほとんど決まっていたが、当時の西武ライオンズ監督の故・根本陸夫氏の強い誘いで西武入りを決める。この根本氏との出会いがその後の運命を大きく左右した。
現役時代は西武の黄金期を支えた。3年連続40本塁打、9年連続30本塁打を記録。1990年は30本塁打を放ちながら50盗塁もマークするなど、走・攻・守揃った球界を代表するプレーヤーとなった。本塁打を打つとホームベースでバック宙をするなど、身体能力はずば抜けて高かった。
1993年にも30本塁打を放ったが、そのオフに佐々木誠らと3対3のトレードでダイエーに移籍。1994年から、後に監督を務めることになるホークスでプレーした。そのころの球団フロントには根本氏がいた。この電撃大型トレードを成功させたのも、同氏の手腕だった。根本氏からすれば、球団を強くするために高校時代から見ていた秋山の力が必要だった。秋山は「オヤジ」と呼び続けた根本氏に請われてやってきたのだ。
プロ野球には1993年からFAが導入され、94年シーズンが終了した後には、巨人が秋山の獲得に乗り出していた。ホークス1年目が終了した秋山も権利を行使するつもりでいたが、根本氏の強い説得により、まだ強くなかったチームに残り、「オヤジ」こと根本氏に優勝を届けることを決意した。もし、巨人に移籍していたら……。今の監督の地位はなかったかもしれない。
小久保裕紀、松中信彦、井口資仁、城島健司ら、後のホークスの主力が、秋山の背中を見ながら育っていった。1999年に、ダイエーホークス初の主将に就任。大阪から福岡に本拠地を移転後、初となる優勝を飾った。しかし、この年の4月。オヤジは他界。恩師に目の前で優勝の瞬間を見せることはできなかったが、約束は果たすことができた。
秋山氏は2000安打も達成し、名球会入りも果たした。根本氏の後に監督に就任した王貞治氏との出会いも大きく人生を変えた。帝王学を学び、現在、ホークスを指揮している。「オヤジ」が与えてくれた道は、殿堂入りという領域にまで続いていた。2001年に殿堂入りしている根本氏も、天国で大きく頷いていることだろう。