平成世代は知らない「とんねるず」の凄さ 一流アーティストにまで影響を与えた音楽活動
現在の10代や20代前半の人たちが知らないお笑いコンビ・とんねるずの"凄さ"を伝える記事の第2弾。テーマは、「とんねるずと音楽」だ。
そもそも、とんねるずに対して30代以上の人の多くがいまも特別な思い入れがあり、その感情が平成世代まで続いていない理由は、2001年3月に『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』が終了して以降、コンビでのレギュラー番組が『とんねるずのみなさんのおかげでした』のみであることと、彼らが"歌手"として大ヒットを飛ばしていた全盛期を知らないことにあるのではないだろうか。
とんねるずはこれまでの音楽活動の中で、コンビとして、番組内で結成したグループとして、木梨個人が組んだユニットとして、計4回の『紅白歌合戦』出場経験を持つ。そして、複数のオリコン1位曲やミリオンヒットナンバーもリリースしており、その実績は一流アーティスト顔負けだ。
コンビを結成して間もない1981年に歌った最初の楽曲『ピョン吉・ロックンロール』(アニメ『新・ど根性ガエル』の主題歌)以降、日本中に"一気ブーム"を巻き起こした『一気!』などのコミックソングを経て、彼らが初の本格的な歌謡曲『雨の西麻布』をリリースしたのは1985年。同曲は、オリコン最高位5位、『ザ・ベストテン』では2位を記録するヒットナンバーとなった。
この『雨の西麻布』以降、彼らの音楽界での快進撃は続く。ディスコナンバーとして若者に人気となった『嵐のマッチョマン』や『炎のエスカルゴ』などのリリースを経て、1989年には東京ドームでワンマンライブを開催。東京ドームでライブを行ったことがあるお笑いタレントは、現在に至るまでとんねるずのみである。
そして、1991年の『情けねえ』が大ヒットし、「第22回日本歌謡大賞」の大賞を受賞。さらにこの曲で『紅白歌合戦』初出場を果たした。その後も、オリコン1位曲『一番偉い人へ』やミリオンヒットとなった『ガラガラヘビがやってくる』などをリリース。「とんねるず」としてのCDリリースは1996年を最後に途絶えているが、10年以上に渡る歌手活動の中で、日本音楽史に残る名曲を多数歌ってきたのである。
もちろん、多くの人が知る通り、彼らの音楽活動は1996年で終ったわけではない。その後、「憲三郎&ジョージ山本」(木梨と演歌歌手・山本譲二のデュオ)、「Little Kiss」(石橋と工藤静香のデュオ)、「野猿」、「矢島美容室」といったユニット・グループを結成し、「とんねるず」での活動以降もコンスタントにヒット曲を出してきたのだ。とんねるずの芸能活動の歴史には、常にヒット曲があるといっても全く過言ではない。
何故、これほどまでにヒット曲を飛ばし続けられるのか? その要因のひとつは、豪華すぎる作家陣だろう。前述の『一気!』・『雨の西麻布』の作詞作曲は、美空ひばりの名曲『川の流れのように』と同じ、秋元康と見岳章のコンビ。そして80年代後半からは、シブがき隊の『スシ食いねェ!』や工藤静香への楽曲提供で知られる後藤次利が、「野猿」の曲も含めて数多く彼らの曲を作曲してきた。
このほかにも、高見沢俊彦(THE ALFEE)、玉置浩二、久保田利伸などといった豪華ミュージシャンがとんねるずのために曲を作っている。特筆すべきことは、単純に豪華な作家陣が付いているというわけではなく、これらの作家陣は、とんねるずの2人との友人関係から曲を提供しているという点だ。作詞の秋元康は、活動初期から構成作家としてとんねるずの番組に付いており、後藤次利と石橋は当時、プライベートでも仲の良い遊び仲間だった。高見沢、玉置、久保田といったミュージシャンたちも、当時番組などで共演し遊んでいた仲間であり、いわばとんねるずの2人の"人間力"が、これら豪華作家陣の参加を可能にしていたのである。
ヒット曲を飛ばし続けられるもうひとつの要因は、歌唱力だろう。石橋は、プロ級とまではいかずとも、聴けばすぐに石橋だと分かる特徴的な声を持っている。そして、木梨のそれはまさにプロ級だ。あまり広く知られてはいないが、木梨は2008年、歌手の鈴木雅之が発売したアルバム『Martini Duet』の中の1曲『可愛いひとよ』に、ブラザーコーンとともに参加している。往年の同名ディスコナンバーのカバーである同曲。木梨はこの曲で終盤の最も"おいしい"ポイントをソロで歌っており、その歌声は、日本屈指のシンガーである鈴木と比べても全く遜色はないほどだ。
ここまで述べてきたように、とんねるずの音楽活動は、大成功の歴史といえる。そして、そこに"凄さ"を加えるとすれば、彼らの音楽活動は、現在活躍する一流のアーティストたちに多大な影響を与えているのだ。石橋が司会をしていた音楽番組『うたばん』などにおいてとんねるずの音楽やパフォーマンスからの影響を公言していたのは、ゆずの北川悠仁やEXILEのリーダー・HIROなど。
そして、「矢島美容室」でユニットを組むことになった氣志團の綾小路翔(DJ OZMA)は、とんねるずの音楽活動を見聞きして自身も「音楽をやりたい」と考えるようになったと複数の場面で語っており、DREAMS COME TRUEの吉田美和と中村正人の2人は、かつてとんねるずのライブのバックバンド・コーラスに参加。彼らのパフォーマンスから、「ステージとは何たるかを学んだ」と『うたばん』の中で述懐していた。
成功しただけでなく、本業のアーティストにまで影響を与えたとんねるずの音楽活動。とんねるずの魅力は、お笑い・バラエティの世界のみに留まらないのだ。
【参照リンク】
・とんねるず 公式サイト
そもそも、とんねるずに対して30代以上の人の多くがいまも特別な思い入れがあり、その感情が平成世代まで続いていない理由は、2001年3月に『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』が終了して以降、コンビでのレギュラー番組が『とんねるずのみなさんのおかげでした』のみであることと、彼らが"歌手"として大ヒットを飛ばしていた全盛期を知らないことにあるのではないだろうか。
コンビを結成して間もない1981年に歌った最初の楽曲『ピョン吉・ロックンロール』(アニメ『新・ど根性ガエル』の主題歌)以降、日本中に"一気ブーム"を巻き起こした『一気!』などのコミックソングを経て、彼らが初の本格的な歌謡曲『雨の西麻布』をリリースしたのは1985年。同曲は、オリコン最高位5位、『ザ・ベストテン』では2位を記録するヒットナンバーとなった。
この『雨の西麻布』以降、彼らの音楽界での快進撃は続く。ディスコナンバーとして若者に人気となった『嵐のマッチョマン』や『炎のエスカルゴ』などのリリースを経て、1989年には東京ドームでワンマンライブを開催。東京ドームでライブを行ったことがあるお笑いタレントは、現在に至るまでとんねるずのみである。
そして、1991年の『情けねえ』が大ヒットし、「第22回日本歌謡大賞」の大賞を受賞。さらにこの曲で『紅白歌合戦』初出場を果たした。その後も、オリコン1位曲『一番偉い人へ』やミリオンヒットとなった『ガラガラヘビがやってくる』などをリリース。「とんねるず」としてのCDリリースは1996年を最後に途絶えているが、10年以上に渡る歌手活動の中で、日本音楽史に残る名曲を多数歌ってきたのである。
もちろん、多くの人が知る通り、彼らの音楽活動は1996年で終ったわけではない。その後、「憲三郎&ジョージ山本」(木梨と演歌歌手・山本譲二のデュオ)、「Little Kiss」(石橋と工藤静香のデュオ)、「野猿」、「矢島美容室」といったユニット・グループを結成し、「とんねるず」での活動以降もコンスタントにヒット曲を出してきたのだ。とんねるずの芸能活動の歴史には、常にヒット曲があるといっても全く過言ではない。
何故、これほどまでにヒット曲を飛ばし続けられるのか? その要因のひとつは、豪華すぎる作家陣だろう。前述の『一気!』・『雨の西麻布』の作詞作曲は、美空ひばりの名曲『川の流れのように』と同じ、秋元康と見岳章のコンビ。そして80年代後半からは、シブがき隊の『スシ食いねェ!』や工藤静香への楽曲提供で知られる後藤次利が、「野猿」の曲も含めて数多く彼らの曲を作曲してきた。
このほかにも、高見沢俊彦(THE ALFEE)、玉置浩二、久保田利伸などといった豪華ミュージシャンがとんねるずのために曲を作っている。特筆すべきことは、単純に豪華な作家陣が付いているというわけではなく、これらの作家陣は、とんねるずの2人との友人関係から曲を提供しているという点だ。作詞の秋元康は、活動初期から構成作家としてとんねるずの番組に付いており、後藤次利と石橋は当時、プライベートでも仲の良い遊び仲間だった。高見沢、玉置、久保田といったミュージシャンたちも、当時番組などで共演し遊んでいた仲間であり、いわばとんねるずの2人の"人間力"が、これら豪華作家陣の参加を可能にしていたのである。
ヒット曲を飛ばし続けられるもうひとつの要因は、歌唱力だろう。石橋は、プロ級とまではいかずとも、聴けばすぐに石橋だと分かる特徴的な声を持っている。そして、木梨のそれはまさにプロ級だ。あまり広く知られてはいないが、木梨は2008年、歌手の鈴木雅之が発売したアルバム『Martini Duet』の中の1曲『可愛いひとよ』に、ブラザーコーンとともに参加している。往年の同名ディスコナンバーのカバーである同曲。木梨はこの曲で終盤の最も"おいしい"ポイントをソロで歌っており、その歌声は、日本屈指のシンガーである鈴木と比べても全く遜色はないほどだ。
ここまで述べてきたように、とんねるずの音楽活動は、大成功の歴史といえる。そして、そこに"凄さ"を加えるとすれば、彼らの音楽活動は、現在活躍する一流のアーティストたちに多大な影響を与えているのだ。石橋が司会をしていた音楽番組『うたばん』などにおいてとんねるずの音楽やパフォーマンスからの影響を公言していたのは、ゆずの北川悠仁やEXILEのリーダー・HIROなど。
そして、「矢島美容室」でユニットを組むことになった氣志團の綾小路翔(DJ OZMA)は、とんねるずの音楽活動を見聞きして自身も「音楽をやりたい」と考えるようになったと複数の場面で語っており、DREAMS COME TRUEの吉田美和と中村正人の2人は、かつてとんねるずのライブのバックバンド・コーラスに参加。彼らのパフォーマンスから、「ステージとは何たるかを学んだ」と『うたばん』の中で述懐していた。
成功しただけでなく、本業のアーティストにまで影響を与えたとんねるずの音楽活動。とんねるずの魅力は、お笑い・バラエティの世界のみに留まらないのだ。
【参照リンク】
・とんねるず 公式サイト