執筆中に作者が死亡?未完の小説あれこれ
 少し前のことになりますが、故・伊藤計劃さんの遺稿『屍者の帝国』(河出書房新社/刊)が、芥川賞作家・円城塔さんによって書き継がれて出版されたというのが話題になりました。
 作者の死や他の様々な事情によって作品が書きかけのまま止まってしまうのは珍しいことではありませんし、完成しなかったにしても原稿がとりあえず書き上げられていれば、推敲や編集を遺族か出版社が代行して出版までたどり着くこともあります。
 しかし、『屍者の帝国』のように、書き途中の原稿を別の作家が書き足して、ということになるとやはり珍しい例で、こういったケースの多くはお蔵入りとなるか、書きかけのまま出版されます。
 今回はそんな「書きかけの作品」に注目し、どんな作家の作品が途中で止まっているのかを調べてみました。

■『ラスト・タイクーン』(F・スコット・フィッツジェラルド)

 20世紀のアメリカ文学の巨匠の遺作となったのがこの『ラスト・タイクーン』です。本作第6章の途中でフィッツジェラルドはアルコール中毒からくる心臓発作で死去。
 その後、友人の手によってノートが整理され、未完のまま出版に漕ぎつけられました。

■『明暗』(夏目漱石)

 この小説は1916年5月から朝日新聞に連載されていましたが、同年12月に漱石の死没によって幕を閉じています。翌年に岩波書店から未完のまま刊行。

■『たんぽぽ』(川端康成)

 日本人として初めてノーベル文学賞を受賞した川端康成も、その生涯に未完の小説を遺しました。
 『たんぽぽ』は文芸誌「新潮」に連載されていましたが、康成の死により絶筆。1972年に新潮社から刊行され、その後講談社から刊行されました(現在は絶版)。
 ちなみに康成の死については自殺説、事故死説など諸説あるようです。

■『特性のない男』(ロベルト・ムージル)

 オーストリアの作家、ロベルト・ムージルは、超大作『特性のない男』を完結させることなく脳卒中で死亡。日本では松籟社(しょうらいしゃ)などから未完のまま刊行され、大きな書店に行けば目にすることができますが、あまりの分量に絶句すること間違いなし。

■『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』(マルキ・ド・サド)

 淫猥・背徳・残酷・不条理と、あらゆる道徳や宗教の制約を受けない作品を残したサドですが、その作風から当時は禁書扱い。さらにはナポレオン・ボナパルトに「狂人」と見なされて精神病院に送られ、そこで死没しました。
 『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』は、死の15年ほど前まで、サドが収監されていたバスティーユ牢獄で書かれたものですが、彼はこの原稿を紛失。未完のまま刊行されています。

 読んだ後に「つづきはどうなるの?」というモヤモヤ感が残るということで、なかなか手を出しにくい未完の小説ですが、その結末を自由に想像できるという良さもあります。
 今回紹介した作品のほかにも完成することなく途切れてしまった小説はたくさんありますので、気になった作品を読んで、自分なりの「つづき」を考えてみるのも、秋の夜長の素敵な過ごし方なのではないでしょうか。
(新刊JP編集部)