155キロ右腕 安楽智大の7失点から考える投球の基本

  大会屈指の本格派・安樂 智大(済美2年・右投左打・187/85)が苦しみ抜いた試合だった。1回裏、先頭の浜村 英作(左翼手)に投じた初球は149キロのストレート。大会前、寺原勇人(日南学園)が01年夏に記録した甲子園史上最速の158キロに「並ぶ」と宣言した安楽の意欲を感じさせる快速球だった。

 しかし、4球目の151キロを激しくレフト前に弾かれて、アレ?と首をかしげた。重ねて言うが、いとも簡単に151キロのストレートが逆方向に弾き返されたのだ。思い返せば、昨年の選抜大会で大阪桐蔭の藤浪 晋太郎(阪神)は、150キロ台のストレートを光星学院の北條 史也(阪神)や田村 龍弘(ロッテ)にカンカン打ち返されていた。マシンの発達などによって、150キロ台のストレートは絶対的な脅威ではなくなっているということである。

 三重レベルの打線ならストレートとわかっていれば150キロでも打ち返すのに、マスコミの過剰な報道もあって、安楽は自分のストレートに絶対的な信頼感を寄せている。確かに変化球を交えた緩急の中でなら安楽のストレートは甲子園史上でも屈指の威力を誇っているが、速いストレートだけ投げていれば大丈夫だった時代はせいぜい江川卓(作新学院)が伝説になった73年夏くらいまで。しかし、安楽はそれがわかっていない。5回までの6安打中4本の結果球はストレートだった。

 1回・浜村 英作 151キロストレート→左前打 2回・小川 竜清 146キロストレート→左前打 3回・浜村 英作 136キロストレート→左前打 4回・小川 竜清 140キロストレート→右前打

 詳細に調べたわけではないので確信を持って言えないが、ストレートのときと変化球のときとでは投球動作の速さが違うように見えた。1回裏だけのデータで申し訳ないが、「左足が動いたときから投げた球がキャッチャーミットに届くまで」の“投球タイム”は、ストレートのときで1.5秒台、カーブのときで1.9秒台と大きな差があった。これほど大きな差があれば、ビデオなどで調べれば直曲球を投げるときのフォームは必ず目に見える形で違っていたはずだ。三重打線があらかじめストレートがくることがわかっていたのではないか、というのはこういうデータがあったからだ。

 それでも8回まで2失点に抑えたのだから騒がれるだけのことはある。2、3回は1死二塁、4、5回は2死二塁と得点圏に走者を進めながら後続を内野ゴロ、あるいは三振で斬って取り得点を許さない。その大きなポイントは緩急の攻めであり「内角球」を使った攻めである。ストレートとわかっていても、内・外角を出し入れされたら攻略は簡単ではない。そういう攻めが3回くらいからできていた。

 9対2と大量リードした9回は、もう大丈夫、と気持ちに緩みが出たのだろう。再び寺原の158キロに挑戦したがっているように私には見えた。

 宇都宮 東真 146キロストレート→右前打 島田 拓弥 139キロストレート→左前打 小川 竜清 142キロストレート→中前打 山口 竜平 150キロストレート→右前打 浜村 英作 148キロストレート→左二塁打

 5安打1死球の滅多打ちを食らい、9対2のスコアはあっという間に9対7まで迫られていた。打たれたすべてのヒットはストレートである。ついでに言えば、西村 広大の犠牲フライもストレートだった。コースを狙わず、緩急の基本を忘れれば安楽の快速球でも打たれるという教訓をここでも教わった。

 安楽以外の話をしよう。大きなポイントになったのは1回表の済美の攻撃で、ヒットで出塁した1番山下 拓眞(右翼手)が相手内野陣の送球を体に受けてベンチに下がってしまったことだ。代わりに出場したのが背番号「15」をつけた盛田 翔平で、この盛田がラッキーボーイになった。

 0対2でリードされた2回は1死満塁の場面で打席に立ち押し出しの四球、3対2でリードした6回は1死三塁で犠牲フライ、7回は2死三塁で左前タイムリー、9回は四球で出塁したのち二盗に成功し、捕手の悪送球も重なり三進し、2番林 幹也のタイムリーで生還するという活躍ぶり。山下が回復した3回戦でどういうスターティングメンバーを組むのか、今から楽しみである。

(文=小関 順二)