『風立ちぬ』堀辰雄/ハルキ文庫

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2013年6月26日、NHK朝の連続ドラマ『あまちゃん』での話。
ヒロインの母・春子(小泉今日子)が少女期の1984年に、TVのオーディション番組で松田聖子の「風立ちぬ」を歌った。春子は聖子ちゃんファンという設定である。
この時代の春子は有村架純が演じているのだが、この場面が話題になったのは、その歌声を小泉今日子があてていたからだ。キョンキョンが聖子ちゃんの大ヒット曲を歌うというだけで、白飯が3杯くらい喰えてしまったオールドファンもいたかもしれない。

しかし宮崎駿監督作品『風立ちぬ』のプレス試写を翌日に控えた私はTVを見ながら、またべつのことを考えていた。

宮藤官九郎がこの時期(1984年ではなく、2013年6月下旬に)春子に「風立ちぬ」を歌わせたのは、ジブリ新作の公開に合わせたのではないか?
……ま、ただの偶然だと思いますが、最晩年のナンシー関がたしか、最も深読みされている男、と呼んだクドカンだけに、そんなことも考えてしまうわけですよ。

宮崎駿5年ぶりの監督作品は、自身が《モデルグラフィックス》に連載した同名作品の映像化。零戦の設計者・堀越二郎(1903-1982)の若き日の人生に、なぜか堀辰雄(1904-53)の『風立ちぬ』『菜穂子』の設定を投入した、虚実綯い交ぜの「二次創作評伝映画」というか、『プロジェクトX』featuring堀辰雄(with『紅の豚』的飛行シーン)とでも呼ぶべき不思議な映画でした。
(ちなみに漫画版には堀辰夫という文学者が出てきて堀越二郎とハンバーグライスを食べる場面がある。アニメには出ない)
映画としての正当な評価は専門家が書くでしょうから、私は作品に鏤められた文学的な仄めかしのいくつかを味わうための、予習用参考書をご紹介したいと思います。
これを前もって読んでると、『風立ちぬ』で倍泣けますよ。

1. 堀辰雄『風立ちぬ』(ハルキ文庫、集英社文庫他多数)
言わずと知れた作品題名の源泉。堀辰雄の代表作(1938)。高原のサナトリウム(結核療養所)を舞台に、主人公は結核に冒された婚約者・節子とともに、残された時間を燃焼しつくそうとする。これは堀自身の実体験をもとにした小説であり、いっぽう宮崎版の堀越二郎(声=庵野秀明)の婚約者・菜穂子(滝本美織)もまた結核を悪化させて高原の療養所に赴く。
現実の堀越二郎も堀辰雄もメガネ男子だが、宮崎版の堀越二郎はどっちかというと堀辰雄似です。

2. 堀辰雄『菜穂子』(『菜穂子 楡の家』新潮文庫)
宮崎版『風立ちぬ』のヒロインの名はこちらから来ている。これまた若き日の堀辰雄が軽井沢で思いを寄せた片山総子とその母(芥川龍之介の年長の恋人と言われた歌人・翻訳家の片山広子=松村みね子)のことを書いた小説(1941)。
軽井沢文学の代表作なのだが、じっさいには片山総子は堀のことを迷惑に思っており、あれには困ったと後年漏らしていたとか。
なお、宮崎版『風立ちぬ』で私がいちばん好きな登場人物は二郎の名古屋での上司・黒川(西村雅彦)だが、黒川の名も『菜穂子』の作中人物から取られているようだ。

3. ポール・ヴァレリー「海邊の墓地」(鈴木信太郎訳『『ヴァレリー詩集』岩波文庫)
「なんだ、映画の題名って堀辰雄の小説からの丸パクリだったんだ、宮崎駿ズルい!」
とお怒りのあなた。堀辰雄の『風立ちぬ』自体もフランスの詩人ヴァレリー(1871-1945)の詩(1920)の最終聯一行目を堀が訳しただけのものなんですよ!
〈風立ちぬ、いざ生きめやも。〉
有名なフレーズです。初めて読んだとき、〈めやも〉ってなんだかよくわかりませんでしたが…。鈴木訳ではこうなってます。
〈風 吹き起る…… 生きねばならぬ。〉
宮崎版『風立ちぬ』のキャッチコピー
〈生きねば。〉
は、案外鈴木訳のほうから取ったんじゃないかなー。
なお、宮崎版『風立ちぬ』は主人公が飛行機設計者であり、図面を引いたり数式を書いたりする場面がものすごく多い。こんなに数式が大写しになる映画ってあんまり見たことがない。そういえばヴァレリーも数学に熱中し、大量の計算ノートが残されているという。

4. 入江直祐訳『『クリスチナ・ロセッティ詩抄』(岩波文庫)
二郎が、ロセッティの「風」の西条八十訳(〈誰が風を 見たでしょう〉……)を口ずさむ場面は、本篇でもっとも美しい箇所だろう。
ロセッティはラファエル前派の画家・詩人ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの妹。「小鬼の市(ゴブリン・マーケット)」を始めとするすばらしい作品を残した。
西条八十で映画といえば佐藤純彌の『人間の証明』(森村誠一原作)の〈母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?〉だよなあ……って感慨にふける読者なら、聖子ちゃんの「風立ちぬ」は楽勝で歌える世代。

5. トーマス・マン『『魔の山』(高橋義孝訳、新潮文庫他)
サナトリウム小説の代表作と言えば、東にわが『風立ちぬ』があれば、西には二郎が飛行機製作を学びに行ったドイツを代表する文豪トーマス・マンの『魔の山』(1924)がある。
スイスの療養所に従兄を見舞ったハンス・カストルプが、図らずもみずからが陽性反応が出てしまい、留まって療養することになり、そこであくの強い人びとと出会っていく。時が止まったような高原の世界が、最後に世界大戦勃発の報によって一転するあたり、大のつく傑作です。
ん? カストルプって宮崎版『風立ちぬ』で二郎の恋を応援する、軽井沢逗留中のドイツ人(声=スティーヴン・アルパート)の名前じゃなかった? こっちのカストルプ(亡命者?)は軽井沢をZauberberg(魔の山)と呼び、祖国で政権を取ったヒトラーをならず者呼ばわりする。そういえばトーマス・マンも反ナチで、米国に亡命して反ナチの論陣を張ってたっけ。
そうそう、このカストルプが軽井沢のホテルでピアノを弾いて、二郎や菜穂子の父・里見(風間杜夫)らと、映画『会議は踊る』(1931)の主題歌「唯一度だけ」(超名曲)を合唱する場面がある。
この曲を、当時YMOだった坂本龍一プロデュースのアルバム『愛は全てを赦す』(1982)で日本語でカヴァーしたのはだれあろう加藤登紀子、もうひとつの飛行機アニメ『紅の豚』(1992)のヒロインをやったあの人です。

6. 内田百けん『『サラサーテの盤』(ちくま文庫)(*けんは門構えに月)
名古屋三菱の設計所そばにあるカフェー「フレイヤ」で、二郎が黒川と服部課長(國村隼←飛行機製作会社の偉い人をやるのにふさわしい名前!)と話している場面で、蓄音機のSP盤から流れていたのは「ツィゴイネルワイゼン」か? 間違ってたらゴメン。
SP盤で「ツィゴイネルワイゼン」ならこの『サラサーテの盤』でしょう。鈴木清順の『ツィゴイネルワイゼン』の原作。昭和初期の日本でこの曲、けっこう人気だったってことがわかります。

7. 稲垣足穂『ライト兄弟に始まる』(萩原幸子編、ちくま文庫)
宮崎版『風立ちぬ』の本筋は、後進国・日本が軽量戦闘機を開発して「ものづくりNIPPON」へと変貌を遂げていく情熱にある。
飛行機開発草創期の情熱が日本文学に与えたインパクトを知りたければ、本書、あるいは古本で稲垣足穂『ヒコーキ野郎たち』(河出文庫)を読むのがいい。
本篇鑑賞中、若い日本の技師たちの情熱的なトライアルの場面になるたび、稲垣足穂(1900-1977)の文章を思い出して胸が熱くなった。
稲垣足穂は堀辰雄と世代が近い文学者で、ほんとうに飛行機乗りになろうとしたくらいの飛行機好き。飛行機ネタの小説をたくさん書いていて、その点では文学界の宮崎駿といえる。ただし属性はロリコンではなくショタコンなんだけど。

8. 五郎部俊朗『冬の旅』
これは本ではなくCD。シューベルトの歌曲集『冬の旅』です。二郎と親友で同僚の本庄(西島秀俊)がドイツ滞在中に耳にするのが「冬の旅」。
なのですが、このCDの特徴は歌詞が日本語なので、ヴィルヘルム・ミュラーの詩の意味がよくわかるのがポイント。だれが訳したかというと、なんと松田聖子の「風立ちぬ」の作詞家・松本隆なのだ。

9. 千野帽子「牧師さま、あたしは惡い子ですの。 軽井沢は危険がいっぱい」(『文學少女の友』青土社)
ほかにも文学的な目配せを感じる箇所はいろいろありましたが、最後に、この映画を観たり堀辰雄を読んだりして、軽井沢文学に興味をもったかたは、私が2006年に書いたエッセイをお読みくださると嬉しいです。
ここでは私、堀辰雄から川端康成、三島由紀夫から水村美苗、藤野千夜まで、軽井沢小説の魅力を思いっきり書いてみました。

取りあえず堀辰雄くらいは読んでおくと、相当に楽しめる映画だと思います。アニメにもジブリにも飛行機にも詳しくない私ですが、途中から堀辰雄の諸作品の記憶が呼び起こされて、なんでもないシーンにぼろぼろ泣けて困りました。
公開までまだあと4週間あるんだから、これを機に脳内を軽井沢にして、万全の体勢で宮崎駿の新作を迎え撃とうじゃありませんか。
(千野帽子)

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