ネイマールを一対一でほぼ完封。惨敗を喫した日本に数少ない収穫をもたらした内田篤人
ボールポゼッションは63対37、シュート数は14対10、枠内シュートは9対6、そして3−0という結果。15日にブラジリアのエスタディオ・ナシオナルで行われた2013年コンフェデレーションズカップ開幕戦は、ホスト国・ブラジルがアジア王者・日本を全ての面で上回った。「この試合を振り返る限り、僕たちは攻守において完敗だった」と香川真司(マンチェスター・U)が伏し目がちに言い、長友佑都(インテル)に至っては「全てにおいてレベルが違いすぎた。悔しい気持ちを通り越している。ダニエウ・アウヴェス(バルセロナ)と自分を比べても、中学生とプロのレベル」と吐き捨てるしかなかった。
必死に体を張ってゴール前で危ない場面を切っていた今野泰幸(G大阪)でさえ「ポジティブな収穫はあまりない」と言い切る惨敗の中、数少ない明るさをもたらしたのが、右サイドバック・内田篤人(シャルケ)だった。試合立ち上がりは爆発的な推進力を誇るフッキ(ゼニト)、その後は王国の若きエース・ネイマール(サントス)とのマッチアップを再三再四強いられながら、素晴らしい対応力で一対一を阻止。守備面での成長ぶりをハッキリと示したのだ。
「彼がエースっていうのは分かってたし、一対一の部分では負けちゃいけないと思った。ドイツでも一対一は自分の中で意識してますし、彼をしっかり抑えられれば、他の国の選手とやっても大丈夫かなとね。ネイマールを抑えるために意識したのは、まず飛び込まないことと。逆取ってからがうまいんで、先を読むこと。あとはボランチとセンターバックの位置を確認しながらポジションを動かすなどの判断もしながらやりました」と内田はドイツ3シーズンの経験値を最大限生かしたことを打ち明ける。
思い起こすこと3年前の2010年南アフリカワールドカップ。2009年のアジア予選からずっと試合に出ていた内田は本大会に限ってピッチに立つことができなかった。岡田武史監督(現杭州緑城)がラインを下げて強固な守備ブロックを敷くディフェンシブな戦い方に転換したのを受け、右サイドバックには守備力に長けた駒野友一(磐田)を配置。攻撃力を武器とする内田は「守りに不安がある」とベンチに回されたのだ。ザックジャパン発足後、彼が「予選に出ても本番に出ないんじゃ意味がない」とたびたび発言するのも、南アでの悔しさと不完全燃焼感が今も色濃く残っているからに違いない。
2010年夏に移籍したシャルケでも指揮官が変わるたび守備力を不安視されてきた。2011年春に就任した2人目のステフェンス前監督はその傾向がとりわけ強く、内田はベンチ外の屈辱を味わう日々も強いられた。だからこそ、一対一で絶対に負けない右サイドバックになろうと精進したのだろう。3シーズンで2度のUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメントの舞台に立ち、ポドルスキ(アーセナル)やドログバ(ガラタサライ)など世界的アタッカーと対峙。彼らを封じるための間合いや球際の強さ、予測能力や対応力を磨いてきたのである。
「試合に出る出ないに関係なく、どんなことがあっても毎日コツコツ練習し、試合を繰り返すこと。サッカー選手はそれをやるしかない」と内田は言い続け、地道な努力を続けてきた。自らが歩んできた道のりが間違っていなかったことを、彼はブラジル戦を通して再確認しただろう。
内田のような劇的な進化を多くの選手たちが遂げてくれれば、2014年ブラジルワールドカップ本大会でザックジャパンはもう少しにいい戦いができるはず。そうなってもらわなければ、長友が発言しているようなことを1年後も多くのメンバーが口にすることになる。そんな事態だけはどうしても避ける必要がある。内田は豊富な国際経験を駆使して個のレベルを引き上げた先駆者として、他の選手たちを力強く牽引してほしい。
そして守備力だけでなく、持ち前の攻撃センスにも磨きをかけるのが肝要だ。クロスの精度やオーバーラップのタイミング、タテ関係の前に位置する清武弘嗣(ニュルンベルク)や岡崎慎司(シュツットガルト)らとの連携を強化していくことにも取り組まなければいけない。
やるべきことはとにかく多い。だが、内田篤人という男は見かけによらず負けず嫌いなところがある。タスクが多ければ多いほど俄然やる気になるはずだ。ブラジル戦で得た自信を糧に、もう1ランク2ランク、自分自身を引き上げてもらいたい。
文●元川悦子
「彼がエースっていうのは分かってたし、一対一の部分では負けちゃいけないと思った。ドイツでも一対一は自分の中で意識してますし、彼をしっかり抑えられれば、他の国の選手とやっても大丈夫かなとね。ネイマールを抑えるために意識したのは、まず飛び込まないことと。逆取ってからがうまいんで、先を読むこと。あとはボランチとセンターバックの位置を確認しながらポジションを動かすなどの判断もしながらやりました」と内田はドイツ3シーズンの経験値を最大限生かしたことを打ち明ける。
思い起こすこと3年前の2010年南アフリカワールドカップ。2009年のアジア予選からずっと試合に出ていた内田は本大会に限ってピッチに立つことができなかった。岡田武史監督(現杭州緑城)がラインを下げて強固な守備ブロックを敷くディフェンシブな戦い方に転換したのを受け、右サイドバックには守備力に長けた駒野友一(磐田)を配置。攻撃力を武器とする内田は「守りに不安がある」とベンチに回されたのだ。ザックジャパン発足後、彼が「予選に出ても本番に出ないんじゃ意味がない」とたびたび発言するのも、南アでの悔しさと不完全燃焼感が今も色濃く残っているからに違いない。
2010年夏に移籍したシャルケでも指揮官が変わるたび守備力を不安視されてきた。2011年春に就任した2人目のステフェンス前監督はその傾向がとりわけ強く、内田はベンチ外の屈辱を味わう日々も強いられた。だからこそ、一対一で絶対に負けない右サイドバックになろうと精進したのだろう。3シーズンで2度のUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメントの舞台に立ち、ポドルスキ(アーセナル)やドログバ(ガラタサライ)など世界的アタッカーと対峙。彼らを封じるための間合いや球際の強さ、予測能力や対応力を磨いてきたのである。
「試合に出る出ないに関係なく、どんなことがあっても毎日コツコツ練習し、試合を繰り返すこと。サッカー選手はそれをやるしかない」と内田は言い続け、地道な努力を続けてきた。自らが歩んできた道のりが間違っていなかったことを、彼はブラジル戦を通して再確認しただろう。
内田のような劇的な進化を多くの選手たちが遂げてくれれば、2014年ブラジルワールドカップ本大会でザックジャパンはもう少しにいい戦いができるはず。そうなってもらわなければ、長友が発言しているようなことを1年後も多くのメンバーが口にすることになる。そんな事態だけはどうしても避ける必要がある。内田は豊富な国際経験を駆使して個のレベルを引き上げた先駆者として、他の選手たちを力強く牽引してほしい。
そして守備力だけでなく、持ち前の攻撃センスにも磨きをかけるのが肝要だ。クロスの精度やオーバーラップのタイミング、タテ関係の前に位置する清武弘嗣(ニュルンベルク)や岡崎慎司(シュツットガルト)らとの連携を強化していくことにも取り組まなければいけない。
やるべきことはとにかく多い。だが、内田篤人という男は見かけによらず負けず嫌いなところがある。タスクが多ければ多いほど俄然やる気になるはずだ。ブラジル戦で得た自信を糧に、もう1ランク2ランク、自分自身を引き上げてもらいたい。
文●元川悦子