価値観の違いを越えた組織とは?

先日参加したワールドカフェの感想からの問題提起です。

先日、ソーシャルカフェというワールドカフェに参加してきた。100名ばかりの社会人が集まり「ソーシャル」をテーマに4ラウンド話し合ったのだが、参加してみて感じたのは『誰もがこの先の未来を予測できない』ということだ。

ソーシャル=社会あるいは世間とは、「間」という漢字に代表されるように境界線がない世界であり、単語の持つイメージは人それぞれ違っている。この社会あるいは世間といった概念を「ソーシャル」と言い直している現代人の無意識には「関係性を再構築したい」という潜在ニーズがあるのではないだろうか?と私には感じられた。

つながった先にどのような関係性を再構築するのか。その裏に隠されているのは、現在の関係性が個人の思考や行動を束縛し、多様な苦しみを生み出しているという感覚ではないだろうか。

3R目のテーブルでは未来のことに話が及んだが、ある参加者は「皆が繋がった社会の、その先がわからない」と言う。私は、王様が君臨した農業社会の時代から産業社会に移行し、個人が「王様のような衣食住ができるんだよ」というモチベーションのもとに経済活動を楽しんだ時代もそろそろ終わり、これからはSocial(We:集団知性体)が時代を牽引する主体となり、なにごとも個人戦からなでしこジャパンのようなチーム戦に移行する時代にあると感じている。

個人の楽しみより、みんなで何か実行したときの達成感の方が感動も大きい。

しかし問題は『価値観の違いを超えた』組織が作れないことだ。

企業のM&Aの失敗、証券市場の統合の失敗など、ひとつになろうとする想いとは裏腹に、人と人がわかりあうことは難しい。1:1の人間関係から、国家・民族・宗教の違いによる紛争まで、争いの原因は価値観の違いにある。

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