写真提供:宇都宮徹壱

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■本当の意味で忘れられる日は来ない


――サッカーを通じた支援というと、サッカーをやっている人しか救わないと思われがちですが、実際はそうではないと。子供たちを支援することによって、周りの大人たちも救われる。それを継続することは、直接的な支援につながると。

加藤 それに加えて、サッカーに関わる人たちとネットワークを作ったら、その地域に行くたびにその地域のことが見えてくるんです。ただ、関わる糸口がなかったらそれもできません。まずはサッカーに関わる人たちとつながって、現地に行ってみて、そうすると地域のことが見えてくる。そうすると、ニーズも見えてきます。全体に対してどうしたらいいか、も見えてきます。

 糸口としては、行政のボランティアでも良いと思います。ただもっと突っ込んでやりたい人は、行政でもいいしサッカーチームに直接コンタクトをとってもいい。名取市の閖上で子供たちを支援している人たちは、関西から夜行バスを乗り継いで子供たちに会いに来て、また夜行バスで帰っていきます。そういうことをずっとやっている人たちがいます。

 過酷な所では、子供たちに運動させる、一瞬でも笑ってつらい現実を忘れてもらうことが必要です。そういうことをやっていかないと、大人だって仮設住宅や避難所で身体を動かさないでいると気持ちも萎えてしまう。実際、避難所で奇声を発したりする大人の方もいるようです。

――気が滅入ってしまって。

加藤 いろんなことを思い出すんでしょうね。脳裏に強烈な衝撃があったでしょうから。

――津波を映像で見ただけの私でも、たまに夢を見ることがあります。

加藤 本当の意味で忘れられる日、というのは多分来ないのでしょうね。背負っていくしかないのだろうと思います。ただ、痛みを分かち合える人がそばにいるかどうかは重要だと思います。自分はそういう人になりたい、と思っています。

 話を聞いても、現実にその人が置かれている状況は変わりません。家が建ったり、街が復興したり、家族が戻ってきたりということはありません。ただ向こうが話をしてくれること自体、そばにいられる資格を与えてもらったと思っています。そういう存在になることが、僕にとっての復興支援だと思っています。

 サッカーの指導は、その一つの形です。コーチングとか練習とか、そういう形を取ることもあるし、黙って話を聞くこともある。情報を持って被災地といかに向き合うか、復興支援で被災地と向き合わない復興支援は、被災者を救っていません。そういうものは、意外と多いですね。

――復興支援のイベントだったり。

加藤 被災の影響がほとんどない人が恩恵に預かり、本当に被災している人たちはそのイベントに行けないとか。もちろん、現地に行ってやっている人はいますよ。だけど被災地と本当に向き合い、ニーズを把握してやったほうがいいと思います。

――寓話的に言われることとして、「東京の人は、東北が被災地だと思っている。西日本の人は、東日本全体が被災地だと思っている。外国の人は、日本全体が……」という話があります。「東北が被災した」となれば、その象徴的な場所である仙台でイベントをやる。もちろん、仙台も地震で被害を受けましたが、津波は来ていないわけですよね。そのことを知らない人、というのも実はかなりいるのではと思います。

加藤 当初はライフラインも止まって、皆さんが避難所生活をして衣食住に困るところがありました。だけどライフラインは、その後急速に戻ったわけですよね。もともと家は建っているわけですし。だけど、そもそもの家が破壊されて元の姿がない場所は、復興の足がかりさえつかめていません。壊れたものの修理もしていません。

 そういう場の人たちに届く支援を考えないと、本当の復興支援にはならないと思います。そういう人たちに届く支援こそ、今本当に必要なのだと。内陸部の環境の良いところでやっても、岩手や宮城の沿岸部から内陸部に行くまで、車で1時間から2時間ゆうにかかります。足の問題もあるし、そこである意味では優雅にイベントに浸ることはなかなかできません。

 ただ、たまにそういうイベントで現実から遠ざかる時間を作らないと滅入る部分はありますけどね。

――河北新報社で1月27日に加藤さんが受けられたインタビューでも、「サッカーをしている時は、つらい現実を忘れられる」ということをお話になっていました。

加藤 必要だと思います。そうしないと持たないです。子供が笑顔になって無邪気にプレーしているのを観て、大人もエネルギーを取り戻している。そういう部分があります。これからやることはたくさんありますが、一番大事なのは国・行政がしっかりニーズに答えていくこと、行政でも本当の被災地はどこなのかをはっきりして、そこを厚く支援すること。それを皆が意識しないといけないと思いますね。

 そうしないと、形だけの復興支援になる。やったほうが満足する支援になってしまう。そういう可能性があります。