ロッテ対中日。今年の日本シリーズはおもしろかった。延長にもつれ込んだラスト2試合はまさに名勝負。野球の魅力を満喫しながら、最後の最後まで画面に食い入ってしまった。

だが、そんな国民的行事もシリーズ全ての試合が地上波で放送されたわけではない。視聴率も最後の第7戦こそ20パーセントに届いたそうだが、全体としては芳しくなく、文化の日に行われた第4戦に至ってはたったの9.7パーセントだったという。

片や、同じく文化の日に神宮球場で行われた早慶戦は12.1パーセント。東京六大学の優勝決定戦に、日本シリーズは2.3パーセントも先を越されてしまった。

ロッテ対中日。それは言い換えれば、千葉対名古屋の一戦だ。ともに全国区人気のチームではない。そうした意味では、早稲田対慶応の方が上だ。

さらに、早稲田には、斎藤佑樹をはじめドラフト1位指名された選手が3人もいた。話題性十分の一戦だったことは確かだが、試合のレベルでは千葉対名古屋の方がはるかに上だ。単なる大学の対抗戦が、日本一決定戦に勝る現実はやっぱりおかしい。不自然だ。

その日曜日には、サッカーの大一番もあった。神宮球場の隣に位置する国立競技場で行なわれたヤマザキナビスコ杯だ。

磐田と広島から多くのサポーターが遠路はるばる駆けつけ、スタンドはほぼ満杯に膨れ上がった。試合そのものも、レベルはともかく、エンターテインメント性に溢れた好試合になった。

ところが視聴率はたったの3.5パーセント。早慶戦の足元にも及ばない惨憺たる数字に終わった。野球界の矛盾を哀れむ余裕はサッカー界にはないのだが、僕には低視聴率の原因が、サッカーと野球で通底しているように思える。

千葉対名古屋。磐田対広島。

それぞれの地元の人たち、あるいは出身者の人たちにとっては、これ以上はない大きな関心だ。勝てば日本一。観戦のモチベーションは高くて当然だ。しかし、それ以外の人のモチベーションはそれとは真逆。地方対地方の対戦に、高い関心を示せる人はそう多くいない。試合のレベルが多少上がったところで、そうした現実に変化はないはずだ。視聴率はJリーグ中継では5パーセントが精一杯だろう。

「地元密着型のクラブこそスポーツのあるべき姿だ」とは、よく言われる。プロ野球も、サッカーに倣ったのか、千葉ロッテをはじめ、東北楽天、福岡ソフトバンク、東京ヤクルト等々、チーム名に地域名を入れるチームが増えているが、地方色を強めると、逆にマイナー化を招きかねない現実もある。トヨタとか、住友金属とか、パナソニックとか、企業名を全面に出した方が得策。磐田対広島は、ヤマハ対マツダの方が、日本の実情にはマッチしている。

Jリーグの理念は絵に描いた餅だと言いたくなるが、でもやっぱりヤマハ対マツダはよろしくない。理想的な姿では全くない。いくら低視聴率でも、それだけは避けなければならない。

逆に僕は、もっと地方色を出す必要性を感じる。サッカーとか野球とか言わずに、一つにまとまり、エネルギーの総量を高めるべきだと。

千葉にはJリーグもあれば、プロ野球もある。つまりロッテもジェフも存在する。名古屋も同様。グランパスもあればドラゴンズもある。北海道、仙台、横浜、大阪、神戸、福岡しかり。磐田にはプロ野球はないがラグビーがある。

僕は競技の垣根を超えて、どんどん手を組むべきだと思う。そうしたやり方で存在感を高め、独特の匂い、臭みを出していく方法がいいと思う。理想は総合スポーツクラブになるが、アルビレックス新潟(サッカー)と新潟アルビレックス(バスケットボール)のような関係でも問題ない。

野球ファン、サッカーファン、ラグビーファン、バスケファンというようにファンを競技別で分けるのではなく、地域で分けた方が地方のパワーは出るはずだ。地域間の対向意識も増すはずだ。

野球VSサッカーは、もはや古い図式。お互いが協力しないと、お互い埋没する。日本のスポーツは衰退する。おもしろかったわりに反響の低い日本シリーズを見ていると、ますますそんな気持ちになるのである。

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