「自分が変われば、環境が変わる」「環境が変わんなきゃ、自分は変われない」―――この2つはどちらも真実だ。前者に強く意識を置くのは「能動・主体の人」である。一方、後者を強く感じる人は「受動・反応の人」である。

 先日、いまだ就職先が決まっていない大学4年生たちに会う機会があった。依然、ネットで求人情報を探し回る日々なのだが、新案件はほとんど出てこず、宙ぶらりんの状態が続いているという。
 私はそうした彼らに対し、おおいに励ましもし、具体的なアドバイスもするのだが、最終的には「自分自身が力を湧かせて勝ち取るしかないんだよ」と言うほかない。だが彼らの心には「不景気・就職氷河期という大きな社会情勢の中にあって、一個人は非力すぎる、どうしようもない」―――そんな気持ちが充満しているだろう。だからといって、そのことで大人はいたずらに同情するだけではいけない。彼らが真に必要なのは、事を切り拓くように促す激励や助言であって、同情ではない。
 もちろん、社会として就職支援の制度を補強することも、景気全体をよくすることも必要だ。しかし、マスメディアはそうした外部環境要因を部分的に取り上げ、センチメンタルなトーンで学生たちをある種の悲劇の主人公に仕立てる内容も少なくない。すると学生の中には「そうだ就職できないのは景気のせいなんだ」、「こんなタイミングに生まれ合わせた自分が不幸なのだ」、「企業は非情だ。社会は何もしてくれない」などといった勘違いの言い訳や被害者意識が蔓延してくる。

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