/職業教育として喰える職を教えても、みなが選べば、結局、だれも喰えない。むしろ、世のため、人のため、ただ一心に働いてこそ、世の人の方が、喜んでその人物を喰わせてくれるものだ。/

 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。されど、かくならずして、偉業を成すはかなわず。道を行かんと欲すれば、山谷崖淵あるこそ常なり。まことに西郷隆盛という人物は、すごかったらしい。いや、彼一人ではない。藩校から寺子屋まで、江戸末期の志操教育は、大名から下士まで、町民から農民まで、身分生業を問わず、数々のとてつもない人物たちを育て上げてきた。

 一方、昨今の不景気に便乗し、先々の就職に困らぬよう、子供たちに小さいうちからさまざまな職業教育をしておきましょう、などと言って、あれこれを学校や親たちに売りつける連中がいる。しかし、小説やマンガを書きたがる若者たちに問えば、その多くは、小説家やマンガ家になることそのものが夢。べつに書きたいことなどないから、作るのは、どこかのまがいもののような話ばかり。だが、これは、他の商売でも同じようだ。べつにその仕事をやりたいからやっているわけではなく、ほかに職がないから、人に言われたから、とりあえず儲かりそうだから、というだけ。本屋に行っても、店員は本のことなどろくに知らぬ。鮮魚コーナーに行っても、店員は魚の異名すらわからぬ。


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