/勉学を実際に活かしたいと思えば、そこに高い壁がたちはだかる。ここにおいては、歴史世界の地平に自分を捨て、天命に依拠するほかはない。こころざしは、いまだ至らざるがゆえのものであれば、むしろ心の奥底に秘めてこそ花となる。/

 医者は儲かる、だから、みな医者になりたがるのだ、などと、世間は言う。そういう医師がいないとは言わない。しかし、身近の医師たちや医学の道をこころざす若者たちを見ると、違うと思う。私利私欲でできるような仕事ではない。文字通り不眠不休で最新の学識知見を勉強し続け、人に襲いかかる病や死という運命の氾濫に、全身全霊で立ち向かっている。たしかに収入は多いが、それは、世俗の面倒をカネで免除されている、というだけのこと。みな、そんなものを遊興に使っている暇など、まったくない。仕事の合間に三分でできるカップ麺で空腹をしのぎ、その食事の途中でさえも、呼び出されれば患者のもとへ飛んでいく。それが日常。休息と言えば、せいぜい深夜営業の銭湯くらいか。

 勉学で、ある程度、人より優るようになったときに、まともな若者なら、こう考える。特別に自分だけが頭が良いわけではない。他の人々が他のことをしている間、好きで自分は勉学に励み、幸いに結果が出てきただけだ。サッカーを好きでやっていれば、うまくなるのと同じ。だから、このことを、勉学をやらない人々に誇っても仕方ない。それより、この勉学で得たものを、実際になにかに活かしたい。これもまた、サッカーがうまくなったら、次には、プロになって大きな試合に出てみたい、と願うのと同じだ。


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