壮年の不徳が晩年の不幸を招く/純丘曜彰 教授博士
/老いて世に捨てられるは、かつて力を濫用し、年下たちの恨みを買った因果の応報。自分に力があるうちに、できるだけ多くの若い人々を育て、人間として慕われるようになっていてこそ、後に支えともなってもらえる。/
惜しまれつつ逝く人もあれば、憎まれながら命をながらう人もある。生老病死、一切皆苦と言うが、老いて病み、世に捨てられて、なお生き続けるほどの苦はあるまい。しかし、それもまた因果応報、自業自得。その人が壮年のときになにをしてきたか、による。
儒教も、老人を大切にしなさいと教えている、と言う。しかし、かような教えがあるということは、むしろ、現実はそう甘くはない、ということの表われでもある。それどころか、『論語』の原典に当たるなら、四〇、五〇にもなって、名も知られず、人に慕われぬようでは、もはやただのゴクツブシ、とまでに辛辣だ。
人は、自分が力を持ち、相手が反撃できぬとなれば、無慈悲なまでに残酷となれる。生きながらナマクビを斬り落とすにも躊躇はない。だいいち自分のクビではないのだから、なんの痛みも感じるまい。そして、実際、自分の都合が悪くなると、力任せに多くの弱い人々の仕事を奪い、人生を潰し、社会から放り出してきた。だが、とくに日本の場合、力は、人ではなく組織に付随しているため、かならずしも晩年までは続かないのだ。
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惜しまれつつ逝く人もあれば、憎まれながら命をながらう人もある。生老病死、一切皆苦と言うが、老いて病み、世に捨てられて、なお生き続けるほどの苦はあるまい。しかし、それもまた因果応報、自業自得。その人が壮年のときになにをしてきたか、による。
人は、自分が力を持ち、相手が反撃できぬとなれば、無慈悲なまでに残酷となれる。生きながらナマクビを斬り落とすにも躊躇はない。だいいち自分のクビではないのだから、なんの痛みも感じるまい。そして、実際、自分の都合が悪くなると、力任せに多くの弱い人々の仕事を奪い、人生を潰し、社会から放り出してきた。だが、とくに日本の場合、力は、人ではなく組織に付随しているため、かならずしも晩年までは続かないのだ。
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