南海本線の「要衝」泉佐野、知らない間に駅前一変
南海電気鉄道の泉佐野駅東口。駅の出入り口は2023年9月に開業したホテルの建物をくぐった向こう側(記者撮影)
南海電気鉄道の南海本線は大阪の難波と和歌山県の和歌山市を結ぶ。大阪市中心部への通勤通学の足として毎日多くの人に利用されている。自由席車両と座席指定車両を連結した特急「サザン」が活躍し、一部は和歌山港線に乗り入れて、徳島行きの南海フェリーに連絡する。
南海本線にはもう1つの大きな役割がある。途中から分かれる空港線は連絡橋で海を渡り、関西国際空港(関空)に乗り入れる。難波から直通する“レトロフューチャー”の外観が外国人観光客にも人気の特急「ラピート」のほか、特急券の要らない空港急行が走っていて、日本を出入国する旅行客の足を担っている。
南海本線の中間地点
分岐駅となる泉佐野は難波からの営業キロが34km。南海本線64.2kmのほぼ中間地点にある「要衝」といえる。空港線で関西空港駅へは約10分の好立地だ。所在地の泉佐野は人口9万9325人(2024年10月末時点)。関空は泉佐野のほか、泉南市、泉南郡田尻町の住所がある。
【写真】地上駅舎と地下駅舎時代、高架化工事中の地上ホームと特急「ラピート」の貴重な姿。最近また大変貌した駅前風景。関係者以外は入れない駅の地下空間には何がある?
泉佐野市内に所在する南海本線の駅はほかに鶴原、井原里(いはらのさと)、羽倉崎。井原里の近辺には商業施設「いこらも〜る泉佐野」(旧ショッパーズモール泉佐野)がある。
また、空港線唯一の途中駅、JRと共同使用するりんくうタウン駅周辺は巨大な「りんくうプレミアム・アウトレット」「りんくうプレジャータウン シークル」のほか、複数のホテルが建ち並ぶ。大阪公立大学のキャンパスや航空保安大学校、大型病院も置かれた副都心となっている。
泉佐野駅は南海電鉄の前身、南海鉄道が堺駅から延伸した1897年10月に開業した。当時の駅名は「佐野駅」だった。難波―堺間は南海鉄道のさらに前身、阪堺鉄道が1885年12月に開通させた。このことから南海電鉄は現存する“日本最古の私鉄”と位置づけられる。
1948年、市制施行で泉佐野市が誕生した際に現駅名に改称。1965年10月に地下駅舎となった。空港線が開業したのは1994年6月のことだ。その後、2002年5月に上りホーム、2005年11月に下りホームが高架となった。
高架の泉佐野駅3・4番のりばのホーム。関西空港行きの特急「ラピート」が発車する(記者撮影)
泉佐野駅長の松尾憲明さん(左)と運輸車両部主任の上田宙史さん(記者撮影)
現在の泉佐野駅は3階部分の高架上にホーム3面4線が並ぶ。ホームの番号は1〜6番まであり、1・2番は和歌山市・関西空港方面、5・6番が難波方面。真ん中の3・4番は乗り換え用で、到着した電車は両側の扉が開く。改札がある2階の通路から見ると、3・4番のりばへの階段には「降車専用」と表示されている。難波方面は関西空港から直通列車が走るが、和歌山市方面はここで乗り換えることになる。
東口の駅前風景
改札横の2階では「大阪産料理 空(おおさかもんりょうり そら)」という居酒屋が営業しており、改札の内と外両方から入ることができる。改札を出て階段を下りると、正面にショップ南海の店舗。その手前に東西を自由通路が結んでいる。
東口のロータリーからは熊取町にあるJR阪和線の熊取駅や熊取ニュータウン、修験道の霊場で温泉やハイキングコースがある犬鳴山などへのバスが発着する。リアルにレトロな雰囲気あふれる商店街の先に近代的なデザインの泉佐野センタービルがそびえる。JR阪和線と関西空港線の分岐駅である日根野駅は約3km離れている。
東口の駅前風景。奥に見えるのが泉佐野センタービル(記者撮影)
一方、西口は道幅が狭くさらにレトロな駅前通り。突き当たりはアーケード商店街になっていて、大阪と和歌山を結んだ孝子越(きょうしごえ)街道が歴史を感じさせる。真北の方向、物流センターや工場が広がる埋め立て地の間に泉佐野漁港。水揚げされたばかりの新鮮な魚介類が並ぶ「青空市場」も人気を集めているという。
泉佐野駅の西口。近代的なデザインの高架駅だが…(記者撮影)
振り返るとレトロな雰囲気いっぱいの「駅前通り」(記者撮影)
地元では駅東の「山手」を「上」、駅西の「浜手」を「下」と呼ぶ。東口の駅上名店街(商店街)や西口の「泉佐野駅下り」交差点などでその呼び名を見ることができる。
いくつもある駅の表情
泉佐野駅は最近になってまた“新たな顔”ができた。市所有の東駅前広場の上空に2023年9月、地上12階建ての「レフ関空泉佐野 by ベッセルホテルズ」が開業した。館内にサウナ付き大浴場を備え、観光やビジネス客に向け、関空やりんくうタウンまでのアクセスのよさをアピールする。
東口へは新たに完成したホテルの建物をくぐる(記者撮影)
関係者以外立ち入れない駅の地下への階段。まだ知られていない一面がある(記者撮影)
【写真の続き】関係者以外は入れない駅の地下には何がある?
和歌山・泉南管区泉佐野駅長の松尾憲明さんは堺の出身で1990年入社。難波駅や開港時の関西空港駅に勤務した経験がある。
「かつて『四国号』といった特急は停まっていなかった。私の子供のころの泉佐野はすぐ近くに海がある漁師町のイメージだったが、関空やりんくうタウンができてガラッと変わった」と話す。「昔の雰囲気が残る西側から見る駅と、近代的なビルが建つ東側から見る駅では風景が異なるところが好き」という。
運輸車両部主任の上田宙史さんは入社以来、同駅で15年半勤務した。「地下駅舎時代から、高架の工事中、完成するまでずーっと見てきた」という。一方の駅西側は「ロータリーが新しくなった以外はあまり変わっていない」と説明する。
新しく“駅前”に開業した東口のホテルに昔ながらの西口。泉佐野駅で降りてみれば、まだまだ知られていない一面が発見できそうだ。
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(橋村 季真 : 東洋経済 記者)