本名で活動する“人気セクシー女優”、娘と対話を続けた18年間を振り返る「担任の先生にも全てお話していた」
2010年より、セクシー女優として活動をしている黒木歩。映像制作や監督業、バンド活動など多岐に渡る活躍を展開している彼女だが、「黒木歩」が本名であること、さらに18歳の娘がいる母親であることも明らかにしている。
25歳で出産し、43歳となった現在の彼女は、これまで歩んできた人生をどう振り返るのか。彼女の話から、セクシー女優であり一人の母親でもある女性の“生き方”が見えてくるかもしれない。
◆出産を機に上京するもキャバクラが摘発
――2010年に「宮村恋」の名前でデビューされていますね。それまではどういった仕事に就いていたのですか?
黒木歩(以下、黒木):もともとは福岡の中洲のキャバクラで働いていましたが、娘を産んだタイミングで上京してきたんです。子どもを育てるにあたり、東京だと協力してくれる親戚のおばさんがいたり、24時間の保育園も多かったりするので。上京後は深夜のコンビニではたらいていましたが、1年後くらいにキャバクラ勤めに戻りました。
――どの辺りのエリアのお店だったのですか?
黒木:五反田、恵比寿、新宿、銀座など一通りのエリアは行きました。でも、ある日突然、その当時に在籍していたお店に摘発が入ったんです。理由は未成年が働いていたことと、脱税だったかな。当然のように給料は未払い。子どももいるのに、次の仕事どうしようって状態になりました。
◆キャバクラ嬢からセクシー女優へ
――またすぐに別のキャバクラで働くことはできなかったのですか?
黒木:そうすることは簡単だけど、何だか学びがないように思ったんです。正直言って、東京のキャバってどこのお店も派閥とか女同士の争いとかが多くて肌に合わなくて……。中洲では、そういうのが一切なくて本当に楽しく働いていたので、ギャップを感じてはいたんです。
――では、そのタイミングでセクシー女優になろう、と?
黒木:はい。私がいたお店では枕営業も横行していたのですが、私はアフターにすら行かない人間だったので、他の子たちが自分を粗末にしているように感じていました。だからこそ、女性がそんな安売りをされていない場所、女性の体をきちんと商品として扱ってくれる場所で働いてみたいと考えたんです。
◆3日しか休みがなかった月も
――もともと業界に興味は抱いていたのですか?
黒木:ユーザーである男性に体を触らせずして、目の前にいるわけではないのに視覚だけで興奮させるってどんな仕事だろう?と思ってはいました。言ってしまえば好奇心ですね。せっかくなら飛び込んでみようと思って、ネットカフェのPCで色々と調べて面接に行きました。そして「宮村恋」としてデビューしたんです。
――その時、何歳くらいでしたか?
黒木:私は27歳で、娘は2歳でしたね。メーカーへの面接周りがあっても、娘に熱があって預けられないこともよくありました。そういう時はマネージャーが面倒を見てくれていました。可愛い盛りだったせいか娘にデレデレで、よくお菓子を買わされていたようです(笑)。
――微笑ましいエピソードですね。でも、当時は企画単体女優としてかなり忙しかったのでは?
黒木:デビュー直後から凄まじい現場ラッシュでしたよ。大きいのも小さいのも含めて毎日何かしら仕事があったので、月3日くらいしか休みはありませんでした。それでも、家にいる間は常に娘との対話に時間をあてていましたね。
◆本名で活動をし始めた理由とは
――2014年より本名の「黒木歩」で活動をスタートしています。これには何か理由があったのでしょうか?
黒木:「宮村恋」の仕事が落ち着いたタイミングで、少しずつ自分のやりたいことをやるようになったんです。セクシー女優の仕事だけでなく、映像編集、役者、音楽、監督などをそれぞれ別名義でやっていたので、結果として名前が多くなりすぎちゃったんですよね。頑張っているのは「黒木歩」一人なのに、バラバラの名前で評価されているのが納得いかなくて……。もしかしたら、別名義の自分に嫉妬していたのかもしれない(笑)。
25歳で出産し、43歳となった現在の彼女は、これまで歩んできた人生をどう振り返るのか。彼女の話から、セクシー女優であり一人の母親でもある女性の“生き方”が見えてくるかもしれない。
――2010年に「宮村恋」の名前でデビューされていますね。それまではどういった仕事に就いていたのですか?
黒木歩(以下、黒木):もともとは福岡の中洲のキャバクラで働いていましたが、娘を産んだタイミングで上京してきたんです。子どもを育てるにあたり、東京だと協力してくれる親戚のおばさんがいたり、24時間の保育園も多かったりするので。上京後は深夜のコンビニではたらいていましたが、1年後くらいにキャバクラ勤めに戻りました。
――どの辺りのエリアのお店だったのですか?
黒木:五反田、恵比寿、新宿、銀座など一通りのエリアは行きました。でも、ある日突然、その当時に在籍していたお店に摘発が入ったんです。理由は未成年が働いていたことと、脱税だったかな。当然のように給料は未払い。子どももいるのに、次の仕事どうしようって状態になりました。
◆キャバクラ嬢からセクシー女優へ
――またすぐに別のキャバクラで働くことはできなかったのですか?
黒木:そうすることは簡単だけど、何だか学びがないように思ったんです。正直言って、東京のキャバってどこのお店も派閥とか女同士の争いとかが多くて肌に合わなくて……。中洲では、そういうのが一切なくて本当に楽しく働いていたので、ギャップを感じてはいたんです。
――では、そのタイミングでセクシー女優になろう、と?
黒木:はい。私がいたお店では枕営業も横行していたのですが、私はアフターにすら行かない人間だったので、他の子たちが自分を粗末にしているように感じていました。だからこそ、女性がそんな安売りをされていない場所、女性の体をきちんと商品として扱ってくれる場所で働いてみたいと考えたんです。
◆3日しか休みがなかった月も
――もともと業界に興味は抱いていたのですか?
黒木:ユーザーである男性に体を触らせずして、目の前にいるわけではないのに視覚だけで興奮させるってどんな仕事だろう?と思ってはいました。言ってしまえば好奇心ですね。せっかくなら飛び込んでみようと思って、ネットカフェのPCで色々と調べて面接に行きました。そして「宮村恋」としてデビューしたんです。
――その時、何歳くらいでしたか?
黒木:私は27歳で、娘は2歳でしたね。メーカーへの面接周りがあっても、娘に熱があって預けられないこともよくありました。そういう時はマネージャーが面倒を見てくれていました。可愛い盛りだったせいか娘にデレデレで、よくお菓子を買わされていたようです(笑)。
――微笑ましいエピソードですね。でも、当時は企画単体女優としてかなり忙しかったのでは?
黒木:デビュー直後から凄まじい現場ラッシュでしたよ。大きいのも小さいのも含めて毎日何かしら仕事があったので、月3日くらいしか休みはありませんでした。それでも、家にいる間は常に娘との対話に時間をあてていましたね。
◆本名で活動をし始めた理由とは
――2014年より本名の「黒木歩」で活動をスタートしています。これには何か理由があったのでしょうか?
黒木:「宮村恋」の仕事が落ち着いたタイミングで、少しずつ自分のやりたいことをやるようになったんです。セクシー女優の仕事だけでなく、映像編集、役者、音楽、監督などをそれぞれ別名義でやっていたので、結果として名前が多くなりすぎちゃったんですよね。頑張っているのは「黒木歩」一人なのに、バラバラの名前で評価されているのが納得いかなくて……。もしかしたら、別名義の自分に嫉妬していたのかもしれない(笑)。