見切り発車ではじめたスタートアップ企業の初年度売上はわずか140円。無料のお菓子やドリンクバーで飢えをしのいだ株式会社アンドエーアイの西真央社長。しかしアプリ業界内で先見の明があったことで道が大きく開けていきます。(全3回中の2回)

【写真】「初々しいスカート姿が素敵」起業当時の26歳の西真央さん など(全12枚)

仲間内での起業も「ひとつのボールを一緒に持つことはなかった」

起業当時の26歳の西真央さん

── 父親が連帯保証人になり、4000万円の借金を背負ったことで大学中退をすることになったものの、ビジネスの世界で能力が開花。26歳のときには、仲間と3人でアプリの開発会社を立ち上げました。どういうきっかけで起業に至ったのでしょうか?

西さん:2人とは大学時代からの友人なのですが、共通点は「とにかく仕事が大好き」ということ(笑)。昔から集まるたびに「こんなことをやってみたい」と、夢を語り合う仲間同士でした。会社を起ち上げた2018年は、親の世代もLINEを使い始め、10代を中心にTikTokが流行していた時期。コミュニケーションツールとしてモバイルアプリのさらなる可能性を感じ、「誰かの役に立つアプリを作りたい、アプリで社会を変えたい」と思っていたんです。ちょうど3人でそんな話をしていたときに、全員がモバイルアプリに興味があると判明。話が盛り上がって、「じゃあ一緒にやる!?」ということになったんです。

3畳のシェアオフィスからスタート

── 同じ志を持つ友人同士での起業は心強いですが、その反面、距離感が近いからこそ、ぶつかり合うとこじれてしまうことも。うまくいった理由はなんだったのでしょう?

西さん:もともと3人とも職種やバックグラウンドが違います。私はWeb制作やデザインをやってきて、もう一人はマーケティングに強く発信力がある。あとの一人は、証券会社出身で資金調達などお金周りに詳しい。それぞれ強みがバラバラで、なおかつ互いにわからない分野を担当しているので「ここは任せるね」という感じで、ひとつのボールを一緒に持つということがないんです。だから、ぶつかることもなかったのかなと。

──「ひとつのボールを一緒に持つことがない」というのは、わかりやすいたとえです。しかも、それぞれ自分にないスキルの持ち主だから、全員が会社にとって欠かせませんね。

西さん:得意分野が違うため、役割分担が明確でお互いにリスペクトがあったことがよかったのだと思います。きっとひとりだったら起業にまで至っていなかったかもしれません。たとえば私の場合だと、お金回りに関する知識はまったくなかったですし、モノを作ることができても、それを広げていくノウハウがない。だからこそ3人で協力することの大切さをよくわかっています。

とはいえ、起業に向けて入念に準備をしたわけではなく、むしろ計画も何もないまま見切り発車のスタートでした。遠い未来の目標はあるけれど、そこに至るまでの地図はない。売上げ目標や経営計画も立てていませんでした。楽観的すぎるのかもしれませんが、「3人でやればなんとなるでしょ」と思っていました。

初年度の売上は140円「お菓子で飢えをしのいだ」

── 見切り発車というのは、たとえばどんなところでしょう?

西さん:3人でお金を出しあって100万円の起業資金でスタートを切ったのですが、アプリ開発のために1台30万円のMacを3台購入し、3畳ほどのシェアオフィスの手数料を払ったら、1か月目で資金が底をついちゃって。あとはみんなで貯金を切り崩したり、国からお金を借りたりして資金を工面しながら、その年に3つの観光系のアプリを開発しました。ところが、まったく売れなくて…。1年目の売上は、わずか140円だったんです。3人とも無給でしたね(笑)。

── その状況が続くと、さすがに不安になりませんか?

西さん:ただ、アプリの開発をしながら、新しいことを勉強したり、営業に回ったり、地方の観光協会さんに出向いてビジネスモデルの提案をしたりと、朝から晩までせわしなく動き回っていたので、「いまはビジネスが軌道にのるまでの準備期間」と思っていました。いざとなったら、それぞれがスキルを活かして副業をしながらアプリ開発を続けていけばいいよね、と。お金がないから、お腹が空いたらシェアオフィスにある無料のお菓子を食べて、ドリンクバーでエネルギーをチャージ(笑)。「売上1億円、上場」と、夢だけは大きく掲げていましたね。

── 当初の社名は「ドリグロ」でした。どんな思いが込められていたのでしょうか。

西さん:みんなの好きな言葉を合わせました。突き動かされるという意味の「ドリブン」と栄光を意味する「グロリアス」をくっつけて、「ドリブングロリアス」という社名でスタートしたのですが、2か月経ってから「なんか、長くない?」となり、略して「ドリグロ」に社名変更しました。これだけでも、かなり行き当たりばったりだったことがわかるかと(笑)。2023年には「日本のすべての人に、AIのある生活を」という新ビジョンを掲げ、「アンドエーアイ」に社名変更しています。

ビジネスの方向転換によって急成長できた

── 収入ゼロの1年目から、ビジネスをどうやって軌道にのせていったのですか?

西さん:2年目になっても売上見込は立たない状況に危機感を覚え、初めて5年間の事業計画を立てました。自社開発アプリは当たると大きいけれど、売れないとまったくお金が入ってきません。ギャンブル的な要素が強すぎるので、まずは会社を存続できるラインを維持すべく、企業や自治体からの「受託開発」を受ける方向に舵をきったことが転換点となりました。

いろんな会社に手あたり次第に問い合せたり、ビジネスマッチングサイトを活用したりしながら新規の取引先を増やして、さらに紹介やコンペでの勝利により、受託開発事業が急速に成長。おかげで売上が安定しました。

── コンペに勝ったり、依頼が途切れなかった理由はなぜでしょう?

西さん: iPhoneとAndroidのアプリを同時に開発できる「「Flutter(フラッター)」という技術をいち早く導入していたことが大きな強みになりました。当初はまだ珍しかったのですが、「いずれはこれが主流になる」と考え、会社として力を入れてきました。2019年当時はまだFlutter開発を専門に行うのは、国内では私たちの会社くらいで、2022年には「Flutter開発が得意なシステム会社6選」(比較ビズ選定)にも選ばれました。起業3年目には、夢物語だった「売上1億円」の目標を達成することができ、すごく嬉しかったですね。

現在のオフィス

── 先見の明があったのですね。

西さん:受託開発で貯めた資金で、当初からやりたかった自社開発にも着手し、中小企業向け勤怠管理サービス「KANRIL(カンリル)」を開発しました。現在は、生成AIの開発にも取り組みを広げています。AIというと、人の仕事を奪うものというネガティブなイメージがあるかもしれませんが、私たちが目指すのは「人が主役であり続けるためのAI」です。老若男女、誰もが簡単に使えるAIサービスを作って、世の中をもっと便利で快適にできたらいいなと思っています。

PROFILE 西 真央さん

にし・まお。1992年兵庫県出身。国立京都工芸繊維大学に在学中、親が4,000万円の借金を抱え、大学中退を余儀無くされる。その後入社したIT企業でwebデザインおよびweb制作の業務を担当。2018年に退社し、web制作の経験を活かして友人3人と株式会社現在のアンドエーアイを起業。業界初の”iPhoneとAndroidアプリの同時開発専門"のアプリ開発会社として注目されている。

取材・文/西尾英子 写真提供/西 真央