建築鑑賞を楽しむ人が増えているという。この秋、見どころ満載の「和×モダン」の建築を巡ってみてはどうだろうか(撮影:倉方俊輔)

昨今、アートや映画と同じように、建築を鑑賞の対象として楽しむ人が増えている。とくに今年5月に東京で初めて開催された「東京建築祭」の盛況ぶりを目の当たりにし、そのことを実感した。


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東京建築祭は、無料特別公開とガイドツアーから構成される建築公開イベントだ。第1回となった今年は、日本橋、銀座、築地などのエリアを中心に、54に上る建築が参加したが、会期中に延べ約6万5000人もの方々が訪れたのである。しかも、来訪者の8割以上が建築関係の仕事ではない方が占め、およそ4分の3が女性だった。

筆者は実行委員長として、「街を再発見し、建築が身近になるイベントを」との思いで取り組んできた。実際に建築鑑賞の裾野が広がっていることを嬉しく思う。

建築のよさは、普段から外観を見ることができたり、内部にも入れたりするところにある。しかし、興味はあるものの、名建築や鑑賞のポイントがよくわからないという方も多いだろう。そこで今回、秋に訪れたい「和×モダン」の建築を、東京と京都からえりすぐった。

デザインの折衷や動物像探しが楽しい「築地本願寺」

まずは、東京建築祭でも大人気だった、東京・築地にある「築地本願寺」(1934年竣工)を紹介したい。ここは東京随一の開かれたお寺であり、珍しい形をした建築。普段から目にできる部分も、見どころ十分だ。

【写真】東京は築地本願寺や東京国立博物館(本館・東洋館・法隆寺宝物館)、京都は最先端施設のSHIKIAMI CONCON、大雲院 祇園閣(旧大倉喜八郎別邸)、先斗町歌舞練場、東本願寺視聴覚ホールなど、「和×モダン」の魅力が楽しめる建築は身近にたくさんある

「インド様式」の寺院とよく言われる。確かに真ん中にあるアーチ型の屋根は、岩山に横穴を掘って仏教寺院とした古代インドの石窟入口の形からとったもので、左右に付いているのもインド風の塔である。


東京建築祭でも大人気だった築地本願寺(東京都中央区)(提供:東京建築祭)

よく見ると、中央が一番目立ち、左右対称で両脇にアクセントがある。そんな全体の形は、迎賓館赤坂離宮や国会議事堂といった洋風の建築に似ていないだろうか。

実は、築地本願寺の骨格にあるのは、幕末に日本が開国してから、頑張って学ぼうとしてきた西洋建築にほかならない。本堂内に履物を脱がずに入れて、いすに腰掛け、時には雅楽やパイプオルガンの音色に包まれた仏前結婚式に立ち会うこともできる。仏教をもっと身近にとの思いから、開かれた西洋建築のあり方を採用した近代的な寺院なのだ。

仏教発祥の地であるインドのデザインはもちろん、本堂内に入る手前に並ぶエジプト風の柱やステンドグラス、床のアラベスク文様風のタイルなど、世界各地の意匠が取り混ぜられている。


本堂の入り口には、蓮の花が描かれたステンドグラスが施されている(提供:東京建築祭)

本堂の正面に翼を持った獅子がいるのをはじめ、牛や馬、象、孔雀、猿など、13種もの動物像が階段まわりに隠れているのも楽しい。これらが必ずしも仏教説話に由来するものでないところも、近代的な寺院らしい。


本堂正面の有翼の獅子(写真左、提供:倉方俊輔)。階段周りの馬と獅子(写真右、提供:東京建築祭)

そして、本堂内部は和風だ。鉄筋コンクリートでつくった和風の梁の上に、さらに木造の組物を架けて、浄土真宗本願寺派の正統なつくりが再現されている。

築地本願寺を設計したのは、伊東忠太という人物だ。夏目漱石や正岡子規らと同じ1867年に生まれ、帝国大学(現・東京大学)で学び、日本で初めて建築史を本格的に研究した。母校の教授として多くの後進を育成し、1943年には建築界で初の文化勲章を受賞。歴史に名を残す学者でありながら、個性的な建築を設計したことでも知られる。

築地本願寺に見られる多くの動物像や世界各地のデザインの折衷は、京都の「本願寺伝道院」(1912年竣工)、東京の「一橋大学兼松講堂」(1927年竣工)や「東京都復興記念館」(1931年竣工)といったほかの伊東忠太の作品にも共通する特徴だ。日本に建つべき建築とは何かを考え続けた結果、伊東忠太はこのような設計手法に行き着いた。これも1つの「和×モダン」なのである。

築地本願寺は、1923年の関東大震災によって江戸時代の建物が失われた後、モダンボーイ、モダンガールが闊歩する街に現れた。完成から90年後の今、いっそうグローバルな人々が行き交う場となっている。

「東京国立博物館本館」と「銀座のシンボル」の共通点

さて、場所を上野に移して見ていきたい。

なぜ、上野か。理由の1つは、上野公園にさまざまな文化的な建築が集積していることだ。「和×モダン」の建築だけでも三者三様で、それぞれに時代を映している。

例えば、上野公園の噴水の向こうに建つ「東京国立博物館本館」(1937年竣工)は、瓦の屋根が印象的だ。博物館や美術館は西洋の社会のものなので、明治時代からずっと洋風で建てられてきた。そこに和を組み込もうという試みである。


瓦の屋根が印象的な、東京国立博物館本館(東京都台東区)(撮影:倉方俊輔)

デザインを手がけたのは、渡辺仁。立派な時計塔を備えた銀座のシンボル「セイコーハウス銀座」(1932年竣工)を設計した建築家である。東京国立博物館は東洋風、セイコーハウス銀座は西洋風と対照的だが、どちらも皆の視線を受け止められるだけの堂々としたデザインを、巧みなバランス感覚でまとめ上げている。

日本の伝統的な建築は、必ずしも堂々としたデザインには向いていない。近世の城郭のような形であれば、博物館に適していそうだが、重々しさやけばけばしさが懸念される。そこで渡辺仁は、インドネシアの民家にヒントを得て東京国立博物館をデザインした。軒の出を少なくし、左右の屋根をずらすことで頭でっかちな印象を避け、立ち上がる壁面とバランスを取っている。

谷口親子が織りなす「和×モダン」の美を堪能

次に、本館の右手に構える「東京国立博物館東洋館」(1968年竣工)に注目したい。一見あっさりしており、本館のようには装飾が施されていない。これは第2次世界大戦後の1950〜60年代に世界を席巻した、「機能的でないものや昔風に見えるものを取り付けるのは旧式で、進歩に反している」という考え方が影響している。

そうした時代に、装飾ではない形で日本らしさを表現しようという思いから、丹下健三をはじめとする世界的建築家が日本から誕生していく。この東洋館を設計した谷口吉郎も、そんな戦後建築家の1人だ。


装飾ではない形で日本らしさを表現した、東京国立博物館東洋館(東京都台東区)(撮影:倉方俊輔)

構造を支える鉄筋コンクリートの柱と梁をバランスよく整え、それを外観に見せることで、日本の木造建築の率直な美しさを彷彿とさせている。館内の壁に貼り詰められた白いタイルは、日の光をやわらかく映し、障子の清らかさを思わせる。いわば、隠れ和風のデザインなのである。

「和」を取り入れることで「モダン」が前進する。上野公園で3つ目に見たいのは、そのことを世界に知らしめた建築家の作品、「東京国立博物館法隆寺宝物館」(1999年竣工)だ。これは、「ニューヨーク近代美術館(MOMA)新館」(2004年竣工)などの設計で著名な谷口吉生によるもの。先の谷口吉郎の息子である。


巧みな空間操作のディティールを堪能したい、東京国立博物館法隆寺宝物館(東京都台東区)(撮影:倉方俊輔)

直線的で工業的な見た目の中に「和」が感じられるのは、内部と外部とを巧みにつなげる空間の操作が、伝統建築における軒下や雪見障子を思わせるからかもしれない。具体的な形で日本らしさを表現するのではなく、空間の気配りや精緻なものづくりによって「和」を醸し、新たな「モダン」を展開しているのである。


東京国立博物館法隆寺宝物館(東京都台東区)の内側から水盤を臨む(撮影:倉方俊輔)

11月1日〜10日には、京都でも45の建築を一斉公開する「京都モダン建築祭」が開かれる。筆者は2022年の初開催から毎年、こちらの実行委員も務めているので、お勧めの建築を紹介したい。

パスポートの購入で申込不要・自由見学できる建築の中には、祇園祭の山鉾をモチーフに伊東忠太が設計した「大雲院 祇園閣(旧大倉喜八郎別邸)」(1927年竣工)、昭和初めの流行を採り入れた花街のシンボル「先斗町歌舞練場」(1927年竣工)、伝統ある東本願寺の境内を壊さぬよう地下に空間を設けた高松伸の着想が光る「東本願寺視聴覚ホール」(1998年竣工)などがある。どれも普段は非公開、京都らしい「和×モダン」の建築だ。

その最新のものとして、京都に根ざした建築家・魚谷繁礼の「SHIKIAMI CONCON」(2019年竣工)を紹介したい。長屋とコンテナという、まるで異なるものを組み合わせた複合テナント施設だ。


SHIKIAMI CONCON(京都市中京区)。この長屋の上にコンテナが積み重ねられている(撮影:倉方俊輔)

路地が続き、そこにコミュニティーが生み出されてきた京都らしい空間を維持していく試みで、「共創自治区」をコンセプトに掲げている。木造の長屋を覆うように屋根がかけられ、その上に重ねられたコンテナが耐火性を確保しながら、路地を立体的に広げている。


長屋3軒、コンテナ19基から成るSHIKIAMI CONCON(京都市中京区) (撮影:倉方俊輔)

「和×モダン」の中にも、多様性がある。この秋、建築から日本を再発見していただけたら嬉しい。

(倉方 俊輔 : 建築史家、大阪公立大学教授)