警察の突入さえも恐れない「大阪のストリップ」に沸いた戦後日本の「恐るべきポルノ事情」

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1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。そんな人生を歩んだ彼女を人気漫才師中田カウス・ボタンのカウスが「今あるのは彼女のおかげ」とまで慕うのはいったいなぜか。

「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。

『踊る菩薩』連載第12回

『現役にして「伝説のストリッパー」へ…日本の絶頂期をストリップで飾った女が巻き起こした「ヤバすぎる社会現象」』より続く

前例のない興行

吉野ミュージック劇場は阪神電鉄野田駅から、商店街を歩いて5分ほどのところにあった。隣りはスーパーマーケットで付近には住宅や大手銀行の支店がある。

一色が劇場に着くと、2階建ての建物周辺に大きな花飾りが置かれ、なぜか万国旗が掛かっていた。前例のない派手な興行である。

なかに入ると、手前に客席(168席)があり、奥に舞台(横7メートル、奥行き4メートル)が広がっている。客席に突き出るように、「でべそ」「盆」と呼ばれるエプロンステージが迫り、客席右のテープ室から音楽が流れてくる。

熱気でむせ返り、北海道からわざわざ飛行機でやって来た客もいた。むんむんとするほどのひといきれから、一色は一条の人気を全身で感じた。

「開演の1時間以上前に行ったんですが、もう満席でした。日本各地から客が来ていましたよ」

魅惑の「特出し」

公演は初日の5月1日から10日間、1日4回公演となっている。一色が後方席で待つこと約1時間。最初の踊り子が長襦袢姿で登場して、はっきりとアソコを見せた。2人目の太った年配の女性はヤクザ風の着物を着て現れ、それを脱いでいく。その後、金髪に染めた踊り子や日本髪のカツラをかぶった女性が舞台で次々と裸体を披露する。

7番目はレスビアンショー。和服の金髪と黒いドレス姿の2人が濡れ場を演じている。続いて8番目もレスビアン。舞台の女性たちは例外なく、陰部をオープンさせていた。

どの踊り子たちも気前よくオープンするのに一色は感心した。

「さすがです。みんなプン(オープン)ですから。東京の劇場は警察の手入れを怖がっていました。その意味では、大阪の経営者のほうが根性は据わっていました。浅草(の劇場)なんて、女の子が最後までパンツをはいている。だから客が入らない。そりゃ、大阪の『特出し』が全国を席巻するはずです」

一色がやっていたフロアショーでは、踊り子のオープンは皆無だった。

「フロアショーはあくまでも店の添え物です。店に傷がつくショーは本末転倒です。ホステスの目もあり、基本的には下半身は見せない。ただ場末のキャバレーではまれに、『うちはBでやってくれ』というお店もありました。Aは上半身だけ、Bは下半身もチラリと見せる。プンはなかった。それが吉野劇場では全員プンです。さすが大阪でした」

『壇上で失神したストリッパーに注がれる「感謝のまなざし」…かつて日本中を席巻した「伝説の女」の知られざる最後の舞台』へ続く

壇上で失神したストリッパーに注がれる「感謝のまなざし」…かつて日本中を席巻した「伝説の女」の知られざる最後の舞台