攻撃を受けて炎上する車。ベイルート郊外にて(写真:イズラさん提供)

9月27日、レバノンの首都ベイルート南方の郊外に位置する地区ダヒエ(Dahieh)が、イスラエル国防軍(IDF)による空爆に見舞われた。

2006年にも大規模な攻撃を受けるなど、レバノンに拠点を置くシーア派組織ヒズボラを対象とした散発的な攻撃による被害はたびたび報告されてきたが、首都圏でこれほどまで精密で大々的な空爆が行われたのは、数年ぶりのことだ。

国民の44%が貧困状態

レバノンは近年、長期化する難民危機に加え、通貨レバノン・ポンドの崩壊や経済破綻により国家崩壊の危機に瀕している。直近10年間で貧困率は3倍まで増加し、国民の44%が貧困状態に陥っている(世界銀行、2024年)。

世界100カ国以上の現地在住日本人ライターたちの集まり「海外書き人クラブ」の会員で、同国での駐在経験のある筆者がベイルートでパレスチナ難民が置かれている状況を報告する。

【写真9枚】パレスチナ難民の街並みや、イスラエルからの空爆による悲惨な実態


空爆前のベイルート南部ダヒエ周辺の様子(写真:筆者撮影)

レバノン保健省の発表によると、9月27日の空爆による死傷者は90人以上(暫定)であり、ヒズボラの拠点がターゲットとされたものの、犠牲者には一般市民も含まれるという。

ラフィク・ハリリ国際空港からほど近いベイルート南部はイスラム教シーア派の住民が多いのが特徴であり、半世紀以上も前に形成されたパレスチナ難民キャンプ「ブルジ・バラジネ(Burj Barajneh)」が位置するのもこの一帯である。

スンニ派だがヒズボラを支持

このキャンプで暮らす大多数のパレスチナ人はスンニ派に属するものの、祖国を侵略したイスラエルに対して強硬姿勢を貫いてきたヒズボラに対しては一定の支持を示す傾向にある。

なかには「唯一イスラエルに立ち向かう者」として、同組織の最高指導者ハサン・ナスララ師を声高に称賛する人もいる。


国道から臨むブルジ・バラジネ難民キャンプの入り口(写真:筆者撮影)

ブルジ・バラジネ難民キャンプは、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が保健や教育、社会保護などの基本的なサービスをパレスチナ難民やシリア難民に提供する同国内12のキャンプの1つであり、ヒズボラの本部とされてきたダヒエとは目と鼻の先に位置している。

路地を一本間違えると、ヒズボラの拠点であることを示す黄色い旗がひしめく通りに出てしまうため、かつて同キャンプに足を運んでいた筆者も何度か冷や冷やした経験がある。

ヒズボラはレバノン政府正規軍と異なる軍事部門を有しており、拠点とする地域には銃を携えた兵士を配置している。その支配地域に立ち入ることで、不要なトラブルに巻き込まれる恐れがあるのだ。

同キャンプに暮らす旧知の友人が、27日の空爆の様子と、現在同国でパレスチナ難民が置かれている状況について語ってくれた。

「いつ家に帰れるかわからない」

ブルジ・バラジネ難民キャンプで生まれ育ったクルドさん(50)は、今回の空爆で家を追われることになった。人生で3度目だという。

1975年に始まった内戦中に2度の避難を強いられた。いずれも数カ月から数年の避難生活を経て無事に自宅への帰還が実現したが、以来、激動の数十年間を乗り越えてきた。

自身もパレスチナ難民である彼女は、長年さまざまなNGOでの活動を通じて同キャンプの状況改善に取り組んできた経験があり、国外にも多くの友人を持っている。


わずか1平方kmのブルジ・バラジネ難民キャンプには1万8000人のパレスチナ人とそれをしのぐ数のシリア難民が暮らす。無造作に張り巡らされた剥き出しの電線による感電事故は後を絶たない(写真:筆者撮影)

ヒズボラの指導者ハッサン・ナスララ師を死に至らしめた27日の空爆に関して聞くと、「住んでいる建物が崩壊するかと思うほど、大きな揺れだった」と述べた。筆者も何度もお邪魔したことがある彼女の自宅は、爆心地から2kmと離れていない(注:その数日後には、自宅からわずか数100m先、キャンプの境界線上にも度重なる空爆が行われた)。

爆発によって小規模火災が生じ、粉塵が立ち込めた。夜が明けてもキャンプは一面煙で覆われており、爆発物のにおいが立ち込めていたという。

使用された兵器の金属片が広範囲に飛散したため、不発弾のみならず、鋭利な金属片によるケガや、タイヤのパンクなどの2次災害も生じているという。

「確実に死傷者を増やす」意図感じる

爆心地周辺の住民らによると、イスラエルは榴散弾(りゅうさんだん)を使用している可能性が高いという。

榴散弾とは、砲弾内部に詰め込まれた金属片を炸裂させることで、広範囲の人や生物を殺傷する兵器である。人口密集地帯で使用されていることから、確実に死傷者を増やすという攻撃者の意図が感じられる。

イスラエル軍はガザで同様の兵器を使用したと報じられており、被弾した多くの子どもたちの体内に炸裂した金属片がとどまり、長期的な被害をもたらしていると報告されている。

幸い、今回の空爆ではブルジ・バラジネ難民キャンプ内には重大な物理的被害は生じなかった。しかし、27日中に同キャンプ一帯には避難勧告が発出され、クルドさんによると、現時点で90%を超えるキャンプの住民は避難を決意し、国内外に退避しているという。


ブルジ・バラジネ難民キャンプ付近に着弾した兵器の残骸(写真:クルドさん提供)


ベイルートから南に40kmほど離れた地域にも空爆の被害が及んだ。瓦礫の山と化した住宅地の一角(写真:イズラさん提供)

避難といっても、現時点でレバノン政府や国連機関から支援はない。彼女は避難の状況について「各人が国内の親戚や友人宅に身を寄せている状況」と話した。避難生活が長期化すれば、もともと厳しい状況にあるパレスチナ難民世帯の家計は、一層圧迫されることになる。

何より避難したからといって、安全が保障されたわけではない。

現在、イスラエルによって攻撃対象とされていない主要都市は、北部にある同国第2の都市トリポリのみ。パレスチナ難民の大多数は攻撃に巻き込まれるリスクを回避するため、北部への避難行動をとっているものの、今後も各地での空爆が継続し、地上侵攻が本格化した場合、食料や生活必需品の調達など、生活のさまざまな面で影響は必至である。

政権の弾圧・処罰覚悟で本国へ

ベイルート周辺に居住・駐留していたシリア国籍者のなかには、本国に戻る動きもあるという。シリア難民にとって本国への帰還は、政権からの弾圧や処罰を受けるという危険もはらむ。この動向はレバノンにおける事態の深刻さを物語っているといえるだろう。

(キャンプ内の)自宅にいつ戻る予定か尋ねたところ、クルドさんは「それはわからない。起こるべき運命にあることが起こるだろう」と淡々と述べた。これは、彼女が「あらゆる出来事を、ありのままに受け止める覚悟をしている」という意味であり、「もし神が望んだならば」というアラブの考えにも基づいている。

そのうえで、筆者が開発分野の仕事に従事していることから、「あなたは(分断ではなく)愛と平和を普及することに努めなさい」と訴えた。

国際機関に勤めるイズラさん(34、仮名)は、「ひとまず空爆のない地域に退避したが、事態の悪化を想定し、常にプランB、プランCを用意しておかなければいけない」と話し、依然、神経を張り詰めた状態であることを明かした。

ひとまずベイルート首都圏からの避難を完了して知人宅に親戚・家族と身を寄せているが、必要に応じて再度移動する心積もりだという。

4カ月前に第2子を出産したばかりの彼女は、生後間もない赤ん坊を含む2児を連れての避難を余儀なくされている。わが子の命を守るという使命感に突き動かされ、一刻も早い退避を優先させたため、貴重品を含む多くの私物は置いてきたという。彼女は「子どもたちにこれ(紛争)を引き継がせるわけにはいかない」と話した。


イズラさん。過去に別のインタビューに応じた際に撮影したもの、ブルジ・バラジネ難民キャンプにて(写真:筆者撮影)

「早く終息することを願っている」という彼女の言葉とは裏腹に、これまで数えきれないほどの不公正を目の当たりにしてきたレバノンの地に住む人々は、どこか習慣的に事態を見ているように感じられる。覚悟というよりも、あきらめに近いのかもしれない。

9月27日以降も継続する空爆

10月7日時点でも空爆は継続しており、人々は依然として南方から飛来する脅威にさらされている。現代に生きる一市民として、彼女たちの言葉を重く受け止め、私たちが果たすべく役割が何なのか考え、行動していかなければならないと思う。


10月5日に受けた空爆で損傷したイズラさんの弟の愛車(写真:イズラさん提供)

(村中 千廣 : フリーライター)