多くの企業で「仕事のための仕事」が量産されるワケ

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わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。

※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。

日はまた暮れる:すべての人が、知らず知らずのうちに無意味な仕事を作る

たとえば我々はときどき自分の仕事に必要な製品・サービスを利用するために最も安い業者を探して外注したりする。「△△ 激安」と検索してみてインターネット上で最安値を見つけるのに血眼になる。しかし、その激安品によって節約される経費よりも検索に使った時間分の給料の方が高かったりする。

それどころか「安かろう、悪かろう」「安物買いの銭失い」とはよく言ったもので激安品はやはりそれなりに低品質で仕事の役に立たなかったりする。そうするとこの時間とお金は丸ごと無駄になるわけだ。

ほかにも事務における書類のチェックや、工場や建設をはじめとした現場仕事における検査においても、我々は大して見てもいないのに指差し呼称をしながら「ヨシ」などということもある。「大丈夫、前の人も見てるんだし」という具合だ。

残念ながら人間はみんな似たり寄ったりだ。前の人もまた「大丈夫、後ろの人も見てるんだし」となるのは当然だろう。こうして誰にもチェックされない書類や造形物が出来上がる。

逆説的だがこれらが例の「仕事ではない何か」のために作られたものなら被害はまだ少ないかもしれない。顧客がおらず欠陥に誰も気づきようがないためだ(不幸なことに造形物にもこうしたものが存在する。特に税金を投入された大規模な建物の約半分はこの類である)。しかし顧客が存在する製品・サービスでこれをやると大変なリスクとなる。

また、我々は仕事が納期に間に合わなそうになると応援人員を呼ぶ。もちろんそれ自体は必要だ。だが、えてして我々はこうした状況において「人は多ければ多いほどいい」と錯覚する。そして増えすぎた応援人員に仕事の進め方を説明するうちに日が暮れていく。

さらには、こうした応援人員はまだ仕事に慣れていないため少なくとも当初は十分な量と質の成果物を出せないことが多い。

そのため我々は不安に陥り、成果物の定義を確認するための打ち合わせを乱発するようになる。しかし打ち合わせによって本来の仕事に必要な時間は失われている。そのため成果物は我々にとって満足いくものにならない。仕方なく打ち合わせの数をさらに増やす……という無間地獄に陥る。

すぐにマニュアルを作ってしまうというのも考えものだ。我々はマニュアルを作ったり、フローチャートを描いてみたり、ワークフローを確認してみたりすることで、仕事が終わったと早合点しがちである。だが冷静に現場を見回してみると、それらを作成したことで変わったのはせいぜい自分の机の汚さくらいである。

それどころか、マニュアルを関係部署に配って回ったところで人はマニュアルになかなか従わない。マニュアルがどれだけ改訂されても実際の仕事の方は創業当初から変わっていないという職場はごまんとある。

そのほかにも投資を集めるために理想的な語りとメディア露出ばかりに注力して成長が鈍ってしまい結局は投資家も逃げていく財務担当取締役から、会社に遅刻しないように全速力で赤信号を無視して事故に遭って遅刻どころの騒ぎではなくなる新入社員まで、こうした悲喜劇は数多くみられる。

仕事に携わるすべての人が経営の巧拙の当事者なのである。

このことに気づくだけでも、ここで挙げた不条理・不合理の多くは回避できる。

つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。

老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い