薬師寺の境内の中にある「お写経道場」(筆者撮影)

国宝「東塔」を擁する、創建約1300年の歴史を誇る薬師寺。奈良市の世界遺産にも数えられる名刹だが、ここが“日本一のお写経道場”である――ということは、意外と世間に知られていない。

薬師寺は、享禄元年(1528年)に焼失した金堂を再建するために、昭和43年から高田好胤管主(当時)がお写経による伽藍(金堂)復興・勧進を始めたという背景を持つ。

昭和47年には、一度に100人がお写経を体験できる日本最大のお写経道場が完成し(昭和50年には、薬師寺東京別院のお写経道場が完成)、その後、「お写経勧進」によって金堂や西塔などが再建。「白鳳伽藍(はくほうがらん)」も復興するに至る。

お写経目的に薬師寺を訪れる人

現在、お写経は祈願成就や亡き人への供養、心の安定など、さまざまな目的で行われる。今では全国各地でお写経をすることができるが、薬師寺の「お写経勧進」を機に、般若心経のお写経は全国的に広まったとされる。お写経目的のためだけに薬師寺を訪れる人も多く、「日本一のお写経道場」の異名は伊達ではない。


薬師寺。国宝東塔と金堂(写真提供・薬師寺)

お写経はその名の通り、お経を書き写すことだ。仏教の教えを広めるために、お写経は伝達方法として欠かせないものとなり、ここ日本では仏教の隆盛とともに、すでに奈良時代には官営のお写経所が設けられ、お写経生と呼ばれる専門職人が行っていたそうだ。

17歳のとき、高田好胤管長に師事し、薬師寺の僧侶となった薬師寺執事長・大谷徹奘(てつじょう)さんが説明する。

「町でお寺を見かけたら何を思い出しますか? と聞くと、6割くらいの方がお墓と答えられます。お坊さんのイメージを聞くと、葬式を連想される方も多い。しかし、薬師寺はお墓を持たず、お坊さん自身も一切葬儀に触れることはありません。その厳しさから、ともに修行している仲間のお坊さんが亡くなっても葬儀のためのお経をあげないというのが、薬師寺の伝統なのです」(大谷さん、以下同)

仏教が伝来した6世紀、国家事業だった仏教は学問として機能していたため、寺は一般民衆とは密接な関係を持っていなかった。東大寺や薬師寺といった奈良時代に建立された寺院に墓がないのは、そうした側面を持つからでもある。

時代が下り、平安、鎌倉時代になると民衆に膾炙していくようになるが、本格的に葬儀といった考え方が根付くのは江戸時代前期からとなる。

薬師寺は葬儀・法事を行わない。そのため寺を運営する収入源は拝観料や寄進が主となり、伽藍復興はお写経勧進が大きな役割を果たした。奈良時代の寺院は、現代人が寺に抱くイメージとは異なる、「在り様」を持っているのである。

スローガンは「心を耕そう」

現在、大谷さんは「心を耕そう」をスローガンに全国で法話行脚を行う。

「仏教は、2500年前にお釈迦様がお説きになられ、2200年前に初めて文字になりました。文字になったお経の中に、『人間は恨み深い』『恨みなき心によってのみ恨みは消える』と書いてあります。すべて心の問題なんですね。

しかし、現代人は物やお金を持つことで心が幸せになれると考えるようになりました。その間、心の訓練を忘れてしまった。もう一度、自分の心の訓練をしなければいけない時代にあるのではないかと思うんですね」

道場完成以来、毎日誰かがお写経を行うために薬師寺を訪れる。その数は現在まで約880万巻(がん)――、つまり56年間に延べ880万人がお写経を書いたということになる。心の構築を求めている人は多い。

2022年6月、東京・五反田にある薬師寺の東京別院を舞台とした、NHK「ドキュメント72時間」が放送された。

参加者に「お写経をする理由」を問うと、「書くとスッキリする。心が休まる」とある人は笑い、「家族の健康を願って。自己満足かもしれませんが」とある人は語っていた。放送の反響は大きく、「3カ月で約1万人の方が訪れた」と大谷さんが振り返るように、心の中にある“何か”を模索する人は潜在的に多いのだ。

「般若心経というお経は、文字の数は270文字ほどしかないとても短いお経ですが、幸せを得るためには何をどうすればいいかといった意味が込められています。先輩なら先輩、親なら親。そうした役割が皆さんにはあります。自分に与えられた役割は? 環境を理解しているのか? 般若心経のお写経は、自分自身との対話なんですね」

道場へ入ると、香象(こうぞう)という白い象をかたどった香炉をまたぎ、身を清める。輪袈裟を首にかけ、自ら墨をすり、お手本の上に和紙を重ねて、下から写る文字をなぞる。

筆ペンで書くと、和紙との相性が悪くて文字が消えてしまう可能性があるといい、和紙に関しても、異なる和紙を重ねてしまうと腐食してしまうため、正倉院に残っていた和紙を研究して作られた越前の和紙のみを使用するこだわりようだ。

「お写経をされる方に、『何か心と頭に引っかかったものがありますか?』と尋ねると、皆さん『はい』と答える。

引っかかっていたものを忘れられる

私が、『夢中になってなぞっている間のそのときだけは、その引っかかったものは忘れていませんでしたか?』と重ねて問うと、皆さん『あー!』と気が付かれる。お写経をすると、いつしか夢中になっています。夢中になると、忘れることができる。心の問題は、夢中になって忘れることにより一度自分で引きはがしてみないと消化することができません」


約270文字の般若心経。煩悩を無いと否定するのではなく、それを乗り越えたところに素晴らしい世界が広がっていると説く(筆者撮影)

ただなぞるだけ。だが、

「お写経は下から写る文字をなぞるため、自分の字は書きません。自分の字を書こうとすると、『上手に書いて褒められたい』という欲望が立ってしまう。そうならないために、ただなぞるだけでいいんです。これもまた、自分との対話になるのです」

誰でも咀嚼できるように布教してきたからこそ、今日の「日本一のお写経のお寺」と呼ばれる薬師寺はある。また、物理的なハードルを下げるために、約270文字の漢字のみで記された般若心経を、平易な言葉で紐解いた簡易版も用意する。


般若心経の教えを平易に紐解いたお写経も。わかりやすい(筆者撮影)

「高田好胤和上は目線の良いお方でした。子どもやお年寄り、時間のない方にもわかるように、法を説かれていました。さらに本当の心の修行は、 家庭生活の中の普段の時間にあると、私の師匠は考えておられました。そのため、家に持ち帰ってお経を書きましょうと広めていました。880万巻のお写経のうちの7割近くは家庭で書写されたお経なんです」

自分が書いたお写経がいつまでも残る

他の寺院で書いたお写経は、その大半がお焚き上げによってなくなってしまう。しかし、薬師寺は年に一度、1年間に行われたお写経を境内の納経蔵に納める「納経式」を行い、永代供養される。薬師寺があり続ける限り、自分が書いたお写経も何十年、何百年とあり続ける。1000年残るように――。薬師寺の願いは、奈良時代から変わっていない。

「寺院の存在が、お墓や法事だけであってはならないと思っています。お墓や仏壇も大切でしょう。しかし、薬師寺は自分で書いたお写経が、仏様と一緒に拝まれる対象になる。ここにも多くの方が、薬師寺のお写経をする理由があると思います」

すべての文字をなぞり終えると、最後に自分の名前と住所を書き、願い事をしたためる。和紙をお香にくぐらせて納めれば完了だ。

「願い事は何でもいいんです。人間は本当に辛い、苦しいことは人には喋らない。しかし、文字にして書くことで消化できることもある。お写経に吐き出すことで、自分を柔らかくしていただきたい」

自分が死んでも、自らが書いたお写経は生き続ける。薬師寺のお写経を、人々が求めるのには理由がある。

(我妻 弘崇 : フリーライター)