(※画像はイメージです/PIXTA)

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誰にでも死は訪れます。大切な家族の最期のあり方を想像したことがあるでしょうか。もし認知症などにより本人の意思確認が困難となったとき、延命処置を施し生き永らえさせることについて、どう考えるでしょうか? 本記事ではYさん家族の事例とともに、終末期の介護の実態を長岡FP事務所代表の長岡理知氏が解説します。

終末期のあり方

「胃ろう」のあり方について、SNSで有名人が「寝たきり老人への胃ろうの保険適用」について批判したところ、大炎上となったことがあります。寝たきり老人というくくり方は大雑把すぎて大きな問題がありますが、終末期のあり方について考えるきっかけになったかもしれません。
 

「胃ろう」とは?

胃ろうとは、口から飲食物が取れない状態になったとき、人工的に水分や栄養を補給する方法のひとつです。おなかの表面から胃に穴を開け、胃と外部を管でつないで水分や栄養剤、薬品などを送ります。開腹手術は必要なく内視鏡を使って造設を行うため、短時間で終わります。

胃ろう造設は基本的に「数年は生きられるはずだが、食べ物が経口で摂取できない人」に検討されます。脳血管障害、外傷性脳損傷、ALS(筋萎縮性側索硬化症)などの患者には非常に有益な処置となります。元来、内視鏡による胃ろう造設は疾患によって口から食べることができない子供のために開発された技術です。

胃ろうがあっても少量なら口から食べることができ、病気から回復したら管を抜くことも可能です。胃ろうは自分らしく生きるための手段のひとつといえるでしょう。ここで誤解すべきではないのは、胃ろうは延命のためではないという点です。

胃ろうの賛否

問題となるのは、認知症末期の場合です。終末期を迎え、意思疎通が不可能になった人に対して胃ろうを造設することの是非が頻繁に話題に上がります。本人が一日でも長く生きたいと強く願っていたのならばいいのですが、終末期に望まない延命をさせられるのは嫌だと本人が思っていた場合、理想の亡くなり方を否定することになってしまいます。自分らしく生きる権利があると同時に、自分らしく終末を迎える権利もあるはずです。この判断が本人ではなく家族に委ねられるところに問題が発生しやすいのです。

2022年に、終末期を迎えた自分の母親に息子が胃ろう造設など延命処置を求めたところ、医師に拒否されたとして逆恨みし、医師を散弾銃で殺害した痛ましい事件が起きたことがあります。これでは医師も恐怖のあまり家族の求めに応じて安易に胃ろうを造設するほうが無難となりかねません。

終末期の家族を一日でも延命したいと考えるのは自然なことですが、つらい介護によって視野が狭くなってしまうこともあります。在宅介護の場合、介護をする家族の人生が狂ってしまうこともありえます。離職をし夢を諦め、何十年も家族の介護生活を続けた結果、介護が終わったあとで就職が難しくなっていたこともあるでしょう。疲れと混乱から介護される人の意思を想像できなくなる精神状態に追い込まれるかもしれません。また、患者と激しいトラブルになった医師の中には、「延命を望むのは親の年金を当てにしているからではないか」という見方をしてしまう人もいます。医師も疲弊してしまうのです。

介護される本人の自立した意思を尊重できているのか、家族には難しい問題です。介護してきた親の終末期を迎えるにあたって、トラブルととなった家族の事例をご紹介します。

2年前に母を亡くした父が紹介してきた女性

<事例>

父Sさん 82歳 認知症末期 元会社経営者

父のパートナーTさん 79歳 内縁関係

長男Yさん 52歳 会社員 既婚

長女Rさん 50歳 未婚 父Sさんの在宅介護を担う

Yさんは大手企業に勤める会社員です。18歳で進学のため新潟県の実家を離れました。東京都内の大学を卒業してからそのまま都内の大手金融機関に就職。27歳で元同僚の女性と結婚し、翌年には子供も誕生しました。順調に昇進を重ね、34歳のときに都心にマンションを購入。2年前に一人娘も大学を卒業し、大手メーカーに就職できました。そんな絵に描いたような順風満帆な人生です。

しかし52歳になったいま、Yさんは実家の父親のことで悩みを抱えています。

82歳の父親Sさんは10年ほど前から物忘れがひどくなり、認知症の診断を受けました。現在は認知症末期の状態と医師から告げられています。すでに歩くことや会話することはできません。Yさんの妹Rさんが実家に住み、付きっきりで在宅介護をしています。

5年前、認知症が中期の段階に入ったころに、父Sさんの暴言や暴力、被害妄想がひどくなり手に負えなくなったため、老人介護保険施設などへの入所を検討したことがあります。東京から休みを使って新潟に帰省し、施設に行って話を聴くなど準備を進めていたのですが、それに強く反対する家族がいました。

それが父Sさんの内縁の妻、Tさんです。父親のSさんは現役時代、小さな工務店を経営していました。もとは大工でしたが独立し、社員数名の小さな会社を作ったのです。経営は順調で、子供時代の長男Tさん、長女Rさんは比較的裕福に育ったと自覚しています。

実の母親は当時会社で専務として切り盛りしていましたが、22年前、57歳の若さで胃がんにより亡くなってしまいました。その2年後、当時60歳だった父親Sさんは長男と長女に再婚したいという話を切り出します。母親と同じ年齢だという女性、Tさんを紹介されました。母親とは違い、どこか派手な印象のある女性です。夜の商売をしていたような雰囲気があります。

再婚は認めない

驚いた長男Yさんは、2人きりのときに父親に言います。

「お父さん、ちょっと再婚が早すぎるんじゃないのか。あの女性と交際するのは構わないが一緒に住むとか、結婚するとか、そんなのは勘弁してくれよ」

すると父親はこう言いました「Tさんは最近子供さんを亡くされて寂しいんだ。寂しいもの同士、一緒に暮らさせてくれ」。どこか物悲しそうな父親の表情を見て、長男Yさんはふと思いました。

「もしかしてそのTさんという女性と親父は不倫関係だったんじゃないのか。そして亡くなった子供というのは親父の子供、つまり隠し子というものなのではないのか。親父は若いころお金もあったし遊んでいただろうからな……」そう問い詰めようとしてやめました。

父親とTさんがどんな関係だったのかは知らないが、結婚だけは認めない、譲歩して一緒に暮らすのは認める、そういうことにしたのです。結婚を認めなかったのは、父親Sさんには相当な財産があると思っていたからです。相続時に配偶者の位置に赤の他人がいるのは許せません。その財産は父親と母親が苦労して築いたものです。

その2人の同居から2年後に父親は経営していた工務店を、番頭をしていた従業員に事業承継し、退職金をもらって勇退。そこから10年後に認知症を発症したのです。

老老介護はすぐに限界に…

認知症が中期に入った当時、74歳になっていた内縁の妻Tさんが、パートナーであるSさんを施設に入れるなどとんでもないと大反対したのです。

「病状がどんなになっても私がお世話できます。あの人とは12年しか一緒に過ごせてないの。もっと私にできることをさせてちょうだい」そうTさんが涙を浮かべて長男Yさんに訴えました。

そこまで言うのならばと在宅介護を継続することにしたのですが、実態は老老介護です。Tさんの体力が続くわけもありません。そこで見かねて実家に戻り介護に加わったのが、地元に住んでいた長女のRさんでした。

当時45歳だった長女Rさんは未婚。10年以上同棲していた男性と別れ、うつ状態となっていたせいか仕事もやめていました。行き場所がないという事情もあったのでしょう。実家に戻り、父親の介護をすることになったのです。

介護から離脱してお金の管理だけする内縁の妻

そこから内縁の妻Tさんは介護にはまったく関わらなくなりました。ほとんどを長女Rさんがこなすように。長女Rさんは仕事を辞めたため無収入です。父親Sさんの年金(月額20万円)とTさんの自分の年金(金額不明)は、すべてTさんが管理していて、介護費用の自己負担分も長女Rさんが支払っている状態です。長女Rさんの預貯金1,000万円から、介護費用とTさん分を含めた生活費が支払われています。Rさん自身の自分の国民年金保険料は支払えていないため、今後仕事に復帰できなければ、いずれRさんの生活は破綻してしまいます。

心配する長男Yさんが妹に毎月7万円の援助を続けていましたが、それで足りるわけもありません。施設に入所させて、長女Rさんが就職をしたら解決するのではと何度も説得したのですが、その都度Tさんが反対するのだと聞きました。

「Tさんも悪い人ではないし、実の父親のことだから在宅で頑張ってみるよ。それにお父さんはそう長くないと思うし……」長女Rさんはそう言っていました。

介護費用も払わないのはTさんが内縁だからなのか、結婚に反対したことを根に持っているのか、長男Yさんにはわかりません。それから5年が経ち、父親Sさんは認知症末期の状態に。

胃ろうの造設検討で家族トラブルに

父親Sさんは意思疎通がまったくできず、嚥下障害もあり、口から食事をすることが極めて困難になりました。医師からは「胃ろう」を造設する方法もあると説明を受けましたが、長男Yさんは「自分が誰かさえわかっていないような父親を、胃ろうで延命させてなにになるのか」と強く反対の姿勢です。胃ろうを造設したら受け入れてくれる施設は少ないと聞きます。在宅の場合、ただでさえ付きっ切りなのに、もう外出さえ難しくなるのではないかと長男Yさんは想像してしまいます。

それに、父親の命はもう長くはないはずです。わずか数日、数週間寿命が延びたところで本人は幸福なのか。

実は父親Sさんの弟、つまりYさんの叔父はかつてALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、若くして亡くなっていました。症状は早く進行し、食べ物が飲み込めず体重が減っていき、最後は呼吸不全で息を引き取ったのです。叔父は診断されたばかりのころ「胃ろうも人工呼吸器も、延命処置は拒否する」と伝えていたようで家族はその意思を尊重しました。

当時まだ元気だった父親Sさんは、弟の終末期のあり方に共感していたようです。「俺も同じように自然に逝きたいと思う」と、叔父の葬儀の場で長男Yさんに話したことがあったのです。教師をしていた叔父らしい、清々しい生き様だなと長男Yさんも思ったものです。そのやり取りを覚えていたYさんは、父親への胃ろう造設に反対しました。

それに再び内縁の妻Tさんが猛反発。「一日でも生き永らえてくれたら嬉しいの」と言うのです。

「嬉しいのって、Tさん、あなたうちの親父の意思は尊重してくれないのですか」とYさんはいらだちます「それに介護をしているのはRでしょう」。

Tさんが在宅介護にこだわり、胃ろうに賛成するのは、自分自身のためだろうとYさんは思いました。婚姻関係にないため、自宅から父親Sさんがいなくなれば自分は法定相続人ではないし、住む場所もなくなる。胃ろうを作ってでも延命すれば年金が入り続けるから賛成しているのではないのかと。

「結局、カネかよ。あなたは家族じゃないんだ、出ていってくれよ」とつい吐き捨ててしまった長男Yさん。それを聞き内縁の妻Tさんは激昂。

「いじわるな性格!東京でのん気に暮らして介護もしなかったくせに!」とTさんが言い返します。

「介護してきたのはうちの妹ですよ」とYさんも負けません。内縁の妻には父親Sさんの今後について判断するお立場にはないと切り捨て、胃ろう造設は断ることに。家族としては静かにお別れできたらそれでいい、と医師に伝えました。

冷たいようだが、もうすぐ父親とお別れすることによって妹Rさんが介護から解放される。そうしたら人生をやり直せる。自分の老後のお金も貯められるだろう。あの父親ならきっとそう考えるはずだと長男Yさんは確信しました。

それから間もなくのこと、父親は自宅で静かに息を引き取りました。

相続の話し合いで発覚する呆れた事実

父親の葬儀が終わって1ヵ月が過ぎたころ、相続の話し合いが持たれました。

「父親が受け取っていた老齢年金と、現金や不動産などの財産はすべて目録を作り、法定相続の基本どおりに分割します」そう内縁の妻Tさんに告げました。Tさんは無表情のままです。

驚くことに父親の銀行口座にはほとんど残高が残っていません。父親Sさんの介護費用に使ったとTさんが説明するのですが、いままで負担してきたのは長女Rさんです。そして5,000万円程度あったはずの退職金もありません。こちらもやはり介護費用に使ったとTさん。

そのやり取りを聞いて呆れた長女Rさんが出してきたのは、保険会社から毎年届いていた「生命保険の内容のお知らせ」です。そこには一時払い生命保険の内容が記載されていました。契約日を見ると、認知症の診断が下ったあとです。Tさんが誘導して認知機能が衰え始めた父親に契約させたのかもしれません。

生命保険の死亡保険金は、受取人固有の権利として遺産分割の対象外となります。5,000万円を掛け金として支払い、死亡時に5,500万円が死亡保険金として支払われるという契約内容で、死亡保険金受取人は内縁の妻たるTさんです。
つまり、この5,000万円は遺産分割の必要がなく、Tさんが合法的に受け取れるということです(納税義務はあります)。

結局残されたのは150万円ほどの現預金と、築50年の自宅と土地のみでした。父親の老齢年金がどこに行ったのかはわかりません。Tさんの横領行為として損害賠償請求を行えるか弁護士に相談していますが、回収は困難かもしれないと言われています。認知機能が低下した父親と契約を交わした行為について生命保険会社の責任を問えるかという点にも、状況を鑑みるとやはり難しいだろうという返事です。

YさんはTさんを自宅から退去してもらうことですべてを飲み込むことにしました。

「いろいろと嫌な思いをしたが、胃ろうを選択しなかったことで家族が守られたような気がする。親父ならこの現状を見てこれが正しいと言うはずだよ。延命させられてお金だけを取られ続けるなんて、本人が一番可哀想だよ」そう長男Yさんが言います。

「Tさんはなぜあんなことをしたのだろうね。親父の死に際を汚すところだった」

Tさんとしては、結婚を長男に拒まれたことで、頑なな感情に囚われたのかもしれません。しかし、どのような事情があろうとも、人生の終末期において他人が本人の意思を無視するようなことはあってはならないのです。

終末に向かっていく介護のなかで、介護を受ける本人の意思を尊重するのが本当の理想でしょう。しかし現実にはお金の問題、感情の問題が絡み合い、本人の意思など二の次になってしまうこともあります。特に延命のための処置が本当に本人にとって幸福なことなのか、何度でも家族で話し合うべきかもしれません。
 

長岡 理知

長岡FP事務所

代表