日本の応援文化が衝撃だった…米国人記者ダン・オロウィッツから見たJリーグ【サッカー、ときどきごはん】
ちょっと変わったアメリカ人がいる
Jリーグでサッカーの面白さに出会った
最初に行ったのがゴール裏
そこで面白さに目覚めてしまうもともとは「オタク」だという
サブカルチャーに注目しながら
試合を見るフリージャーナリスト
ダン・オロウィッツに来日の経緯とオススメの店を聞いた
■日本のアニメ文化にすごく興味あった
僕はペンシルバニア州のフィラデルフィアで生まれました。初めて日本に来たのは2004年、留学ですね。18歳、大学3年生でした。高校は中退して、サイモンロックカレッジ・バード(現バードカレッジ・サイモンズロック)校という、多分日本人は誰も知らない学校にアーリーカレッジという制度で入学してたんです。自分のやりたいこと、勉強したいことを専門的に4年間やりたいと思って。
大学3年生のときは1学期以上の海外留学がほぼ義務になっていたので、ほとんどの期間、僕は東京に来てました。そして帰国してからまた日本にずっと戻りたいと思って、2006年に大学を卒業したあと、東京にある日本語学校を見つけて、とりあえずそこで2年間頑張れば、そのあとはなんとかなると思ってその年末にまた日本に来たんです。21歳になったばかりのときに。
僕は完全にオタクで、日本のアニメ文化とかにすごく興味あって、アメリカのアニメイベントに、ボランティアとかスタッフとかいろんな形で参加してました。初めて買ったアニメはヱヴァンゲリヲン。ヨドバシカメラのような店に行ったとき、何も知らなかったけど「ちょっと面白そう」と思ったんですよ。
アニメファンの文化がめっちゃ面白かったので、大学を卒業した後、動画の編集とか映画関係の仕事をやりたいという気持ちもあったんですけど、はっきりとはやりたいことが決まってるんじゃなくて、とりあえずメディアに関わりたいとだけ思ってました。
J-ROCKも好きで、アニメのオープニングとかエンディングとかテーマ曲をやってるバンドが気になってたんで、留学したときそういうバンドのライブを見たり、あとは下北沢の、めっちゃアンダーグランドのライブハウスにも結構行ってたんです。
2006年末に日本に戻ってきたあと、最初は日本語学校に通って、日本で仕事を見つけようと思ってました。あるときあるパンクのライブに新しいカメラを持って行って、いろんな写真を撮って主催者に写真を送ったら、「次のライブは撮りに来ないか」と言われて、それをきっかけにカメラマンとして7、8年ぐらい都内で活動してました。
最初のうちはそのままカメラマンになろうと思ってたけど、半分趣味みたいなものっていうか。音楽の業界は多分スポーツメディアの業界より経済的には厳しいので、英語の先生をやりながら少しずつ音楽関係の仕事を増やしていって、それからサッカー関係のライターの仕事をやるようになりました。
初めてチケットを買ってスタジアムに行った試合は、実は留学していたときの2005年3月30日の日本代表のワールドカップ予選ですね。バーレーン戦だったんだと思うけど、渋谷のチケット屋さんで買って、メインの応援団を感じたいと思って北ゲートに行っちゃった。
フィラデルフィアは、その頃サッカーチームがなかったので、当時、サッカーは見るより、自分でプレーすることが多くて、僕も小学校や中学校はプレーしたんですが、やはり地元にサッカーチームがないとなかなか縁とか馴染みがなくて。
フィラデルフィアは、4大スポーツのチーム全部持ってるから、そういう文化に育てられましたね。家族は野球のフィリーズとアメフトのイーグルスの年間チケットとかも持ってて、アイスホッケーのフライーヤーズやバスケットの76ersにも度々行ってたんですけど、やっぱりサッカーの街ではなくて。
ところが2007年のゴールデンウィークぐらいにフリーペーパーを読んだら、今週末はこのJリーグの試合あるよというリストがあって、で、5月3日のFC東京vs鹿島アントラーズの試合にちょっと行ってみようと思って、それがサッカーを見る始まり。
子供のころに見たベースボールやアメフトの雰囲気と、Jリーグの雰囲気はまるで違いました。応援文化はアメリカのプロスポーツでは全くなくて、だからJリーグは結構衝撃的だった。で、最初やはりゴール裏が面白いと思って行ったんです。
そのころは結構パンクのライブに行ったりしてたんですけど、ELLEGARDENの結構大ファンで、アメリカで2回ぐらい見て、日本でも何度も見たことあるんですけども、その一体感をまさかサッカーの試合で感じられるのは思ってなくて。そういう雰囲気の方が好きだったので、Jリーグはすごいよかった。
その試合は、FC東京が1-2ともちろん負けて、もちろんっていうか、やはり2007年のFC東京はそういうもんだったんですけど、負けてもやはりあの場所に戻りたいと思って、ホームゲームいくつか行って、アウェイも少しずつ行くようになって。その夏にハーフシーズンチケットを買って、年間チケットは2011年まで買って。
日本に住んでいる外国人の中でJリーグが好きな人は結構いて、当時はみんなブログ書いたり、掲示板で集まったりしてたんですけど、そうしたらイギリスの会社からチームのレポート、前の試合はどうだったとか、怪我の状況とか、今後の予想とかの依頼が来て、そんな仕事をしてました。
2011年の秋からは「goal.com」のバイトがあったので、1カ月ぐらいインターンとして働いて、そのあとパートタイムとして採用されたのでちょっとずつ試合に行けなくなったけど、2012年から少しずつ取材許可が下りるようになってまたスタジアムに戻りました。
2011年は3月11日に東日本大震災があって、大変な状況だったんですけど、春休みで3月末に帰省する予定だったので計画どおり帰りました。両親は日本に行くなって言ったんですけど、4月には日本に戻って。東京ってそこまで大変じゃなかったから。東北とかのみなさんは大変だと思うし、大変っていう言葉じゃ足りないと思うんですけど。
今も震災後にJリーグが再開した1試合目は覚えていて。4月24日のジェフユナイテッド千葉vsFC東京だったんですけど、黙祷とか、なんかやはり雰囲気が違うと思ってました。その時は、やはり日本サッカーコミュニティが団結して一緒に乗り越えようという気持ちが、もうすごい印象に残って。
それで「goal.com」は2014年、たしかブラジルワールドカップまでやって、「フットボールチャンネル」に転職しました。目標は国際版のフットボールチャンネルを作ろうということで、日本語版のコンテンツやサイトの分析をやって、あとライターとカメラマンで、Jリーグとかクラブワールドカップとか、代表戦も少し試合を撮って。やはりカメラマンをやるのも好きですよ。
そこでいろんな経験積み上げて、2017年に長年お世話になったチェザレー・ポレンギさんが、新しく「フットボール・トライブ」というサイトを作ったのに一緒に行って、彼の下でいろんなマネジメントというか、サイトの管理なんかやったりして。でも今の「フットボール・トライブ」とは、あんまり関係ないですね。
それで2018年にジャパンタイムズの運動記者に席が空いているから応募したら、なんとか、そこで5年間頑張ることになって、2024年3月末で辞めてフリーランスになって今に至ったわけなんですけど。
■記者会見で感じる日本人記者との感覚の違い
僕が初めて記者会見で質問したのは、多分「goal.com」にいた2012年7月21日に「東日本大震災復興支援 2012Jリーグスペシャルマッチ」のときですね。その試合にデル・ピエロが出て、そのころはデル・ピエロが日本に移籍するという噂があったんです。
僕の使命として、その移籍について「とりあえず聞け」と言われてたんですけど、日本のメディアが聞いたのは1問目が試合の印象で、2問目は好きな日本料理で、3問目も日本のことについてだったんで、「もういいか」と思って手を挙げたんです。
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