「バンザイができない」「骨折の怪我が1.5倍に増加」 子どもたちに起きている運動能力低下の実態
ハイハイもできない……
「子どもの運動能力が落ちている」というのはよく聞く話だが、どうやら事態は大人が想像するはるか先を行っているようだ。少し転んだだけで大怪我してしまうというような身体能力の低下は、未就学児の時点から始まっているという。
【写真を見る】「バンザイ」問題だけではない―― “教育困難校”で存続が難しくなっていること
それどころか、「四つん這いになって雑巾がけができない」「体育座りができない(後ろに転んでしまう)」、さらには「ハイハイができない」……現場から聞こえてくるのは耳を疑うような惨状だ。子どもや学校を取り巻く現在の環境は、成長段階にある子どもたちにどんな影響を与えているのか?
子どもたちの「現場」を丹念に追ってきたノンフィクション作家、石井光太氏がデジタル・ネイティブの育ち方を徹底レポートする。
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骨折の怪我が増加
――今の小学校では、バンザイをできない子が一定数いるんです。
都内の小学校の先生がつぶやいた言葉だ。
昭和のニュース映像を見ると、子どもたちが勢い良く両手を上げて「バンザイ」をしている。だが、今、体育の準備運動などでバンザイをさせても、五十肩の中高年のように、腕が肩の高さ程度にしか上がらなかったり、右腕と左腕とがバラバラに変な方向に向いたりする子が出てくるらしい。
この先生は次のように話していた。
「今の子は外で自由に遊ぶことがなくなりました。家に帰ってもオンラインゲームをするだけですし、3年生くらいからは中学受験の勉強で塾通いです。日常的に体を動かしている子は半分もいないのではないでしょうか。そのせいで体がお年寄りのように固まって、運動どころではない子が出てきているのです」
日本スポーツ振興センターの「学校の管理下の災害―基本統計―」によれば、わずか10年の間で子どもの骨折率は1.5倍に増えている。
先日上梓した『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』(新潮社)では、保育園から高校まで200人以上の現場の「先生」方へのインタビューやアンケートを行った。そこから明らかになったデジタル時代の子どもたちの抱えている不都合な真実について紹介したい。
アンケートでは、ほぼすべての先生が「昔に比べて子どもたちの運動能力が落ちている」と答えた。
どういう点で先生方はそれを痛感しているのだろうか。次は取材で明らかになった例の一部だ。
・100メートル走でカーブを走って回ることができずに転んでしまう。
・転倒時に手を突いて身を守れないので、顔面から倒れて大怪我をする。
・四つん這いになって雑巾がけができない。
・両手両足を交互に使えないので、行進や水泳のクロールができない。
・キャッチボールでグローブをはめている手を動かさないのでボールが顔や胸にぶつかる。
私はこの実態を探るため、島根大学地域包括ケア教育研究センター講師の安部孝文氏に話を聞いた。同氏によれば、運動能力を測る指標の一つが「ソフトボール投げ」だという。ボール投げの動作は、全身を使って行い、日常ではやらないような動きが多いので、運動能力の差が顕著に表れるそうだ。
学校で行われるソフトボール投げの平均距離は、ここ十数年ずっと下がりつづけており、男子の場合は、13間年で約5メートルも短くなっている。
東海地方の小学校の先生は次のように話していた。
「クラスでボール投げをやらせると、男子でも8割くらいの子が“女の子投げ”をするのが普通です。投げる時に飛び跳ねるとか、なぜか真横に投げることもあります。あとは、右腕と右足を同時に前に出して投げようとして倒れ込む子もいますね」
冒頭のバンザイができないような子どもたちに、ソフトボール投げをやらせれば、こうなるのは想像に難くない。
とはいえ、これは簡単に済ましていいことではない。子どもたちの身体能力の低下は、重大な怪我につながっているのだ。先に骨折率の増加について見たが、現場の先生方はさらに別の角度から現状を指摘する。
関東の小学校の先生の証言である。
「20年くらい前までは、体育の授業で怪我をするといっても、せいぜい捻挫や打撲で済んだものです。でも、最近はちょっと走って転んだだけで、前十字靭帯断裂とか、アキレス腱断裂とか、頭蓋骨骨折といった大怪我が起こるようになりました。普段から体を使っていない子が多いので深刻なものになりがちなのです」
このため、一部の学校では体育の時間に、身体能力に不安のある子どもにはヘルメットや胸用のプロテクターをつけさせることまであるそうだ。
学校の運動会から組体操や騎馬戦だけでなく、リレーまで消えたといったニュースが流れることがある。学校側がリスクを避けるためには、やむを得ないのだろう。
子どもたちの運動能力は、なぜここまで低下したのか。
本書の取材で、保育園や幼稚園の先生にインタビューをしたところ、この問題は未就学児の時点からはじまっているという。園の中では次のような子どもが現れているそうだ。
・しゃがめない(後ろ向きに倒れてしまう)
・体育座りができない(横向きに倒れてしまう)
・スキップができない
関東の保育園の先生は、根底にある問題をこう説明する。
「最近はハイハイができない子どもたちが増えているんです。ハイハイって片付いた広い部屋で、親がちゃんと見守りをしていなければできないですよね。家が狭い、親が忙しい、怪我が怖いとなると、ベビーチェアや車輪付きの歩行器にずっと座らせて、そこから一足飛びに歩かせます。本来、ハイハイって、体幹を鍛えたり、全身の筋肉をバランスよく鍛えるのに重要なことなのですが、それをしないばかりか、外遊びもものすごく減っているので、全身の筋力やバランスが均一に育たないのです」
一時代前まで子どもはハイハイするものだという常識があったが、今はそれが少しずつ崩れ始めているのだという。それが子どもたちのさまざまな身体能力の低下につながっているのだ。
運動能力低下の背景には「家庭の経済格差」も
運動能力低下の傾向は、家庭格差も影響を及ぼしているらしい。
本書の取材で話を聞いた、発育発達学が専門の引原有輝(ひきはらゆうき)教授(千葉工業大)は言う。
「今の子どもは、運動ができる子と、そうでない子の差がかなり開いているように思います。できる子は昔の子よりずっとできるけど、できない子はずっとできない。中間層が減っているのです」
背景に、家庭の経済格差がある。
現在の親は忙しく、なかなか子どもを外へ遊びに連れて行けない。そうなると、習い事によってやらせるしかないが、かかる費用と労力は決して少なくない。
大都市で民間のスポーツクラブに通わせれば、1種目につき月1万円前後かかるのは普通だし、それ以外にも用具代や合宿代、さらには親による送迎も必要だ。今の日本で、それだけの経済力や時間を持っている家庭は決して多くはないだろう。
そうなれば、子どもたちの運動能力に歴然たる差が生まれるのは仕方のないことだ。甲子園で慶應義塾高校の野球部が優勝する一方で、低所得層が大半を占めるといわれている底辺校(教育困難校)では運動系の部活の存続すらままならなくなっている状況がそれを象徴している。
今の子どもたちの身体活動がどのような状況に陥っているのか。『ルポ スマホ育児が子どもを壊す』では、先生方が普段は口にできないリアルが示されている。
この取材の最中、私は関東にある定時制高校の先生と子どもの身体能力の問題について話をした。その時、先生は、学校の運動系の部活が崩壊していることを嘆いて、次のように話していた。
「運動って体力をつけるためだけにやることじゃないんです。運動を通して仲間と切磋琢磨したり、力を合わせたりすることで、『向上心』『勇気』『優しさ』『自尊心』といったものを育んでいく。それがその子にとっての生きるためのベースとなる力になるのです。低所得だったり、困難な環境で育ったりした子ほど、うちのような学校に来て、そうした能力を育むチャンスを失っているのです」
これは非認知能力と呼ばれるものだ。
今の家庭や社会の環境が、子どもの身体能力だけでなく、人が前向きに生きていくために必要な非認知能力まで奪っているとしたら大きな問題だろう。
この状況の改善は、デジタル時代に育つ子どもたちのリアルな育ちを直視するところからしか始まらない。
石井光太(イシイ・コウタ)
1977(昭和52)年、東京生まれ。2021(令和3)年『こどもホスピスの奇跡』で新潮ドキュメント賞を受賞。主な著書に『遺体 震災、津波の果てに』『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』などがある。また『ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。マララ・ユスフザイさんの国連演説から考える』など児童書も多い。