中日、ロッテでプレーした牛島和彦氏【写真:山口真司】

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牛島和彦氏は門限破りの常習…罰金を部屋のドアに貼り付けて外泊したことも

 元中日投手の牛島和彦氏(野球評論家)は現役時代、クレバーなマウンドさばきで知られたが、若かりし頃はヤンチャな選手とも言われていた。グラウンド外でもなかなかの“猛者”ぶりで、当時、名古屋市中村区にあった中日合宿所ではそれこそ破天荒な“牛島伝説”がいっぱい。罰金を部屋のドアに貼り付けて外泊したこともあれば、球団に内緒で車を所有して深夜の長距離ドライブを楽しんだこともあったという。

「1年目から1軍にいると、門限が午後10時半なんですよ。ナイトゲームが終わって帰ってきたら、もう出られないんですよね。飯食って風呂入るか、風呂入って飯食うかみたいな世界で全く出られなくて、最初の頃はこそっと抜け出していたんですけど、坪内(道典)寮長がみんなの部屋のカギを開けて、もうバレているわけですよ」と牛島氏は合宿生活の状況を説明した。何回やっても部屋をチェックされて抜け出したのがバレて罰金をとられる日々だったそうだ。

 そこで牛島氏は、坪内寮長が何時に部屋を開けてチェックしているのかを調べたという。それがわかればバレずにうまくやれると考えたからだ。だが「テレビも消して、夜中ずーっと黙って部屋にいて、いつ寮長がカギを開けるのかなって待っていたんですけど、朝まで開かなかったんですよねぇ……」。恐るべき執念の大作戦も“空振り”に終わった。「それでもこっそり外に出た時は部屋のカギが開いているんですよ。何でかわからなかったんですよねぇ」。

 抜け出したら必ずバレるし、部屋にいたらノーチェック。「そういうのもあって、もうしょっちゅうバレるし、余計な心配をするのも、こそこそするのも嫌だなと思って、昔の寮の部屋は木の扉だったので“すみません、今日は外泊します”みたいな感じで罰金2万円を画びょうで扉に貼り付けて、外に行きました」と牛島氏は明かした。「何回もやったわけではないですよ。罰金は外泊が2万円で、門限破りが5000円。当時は年俸300万円、手取り15万円ですからね」。

球団に内緒で車を所有…楽しんだ深夜のドライブ

 罰金2万円を払った上に、当然、外で使うお金も必要になる。何回も同じことをやりたくてもできなかったようだが、中日が優勝した1982年のプロ3年目には臨時収入を罰金の前払いに使ったこともあったという。「優勝争いをしていたので賞金が出るじゃないですか。それを何試合分かまとめてくれるんですよ。賞金を積み重ねたヤツが茶封筒に入ってね。それを寮長に『当分、これでまかなってください』と言って渡した記憶がありますね」。

 その3年目には休みの前日に夜中に合宿所を抜け出して、京都まで遊びに行ったこともあったそうだ。「車を寮の近くに停めていたんですよ。寮生は免許証を預けなければいけないんですけど、僕は拒否して預けていなかった。車を持っていたのは内緒でしたけど、(寮長とかは)知っていたんじゃないですかねぇ。あの頃はフェアレディZに乗っていたかなぁ。僕は酒を全く飲めないので車を運転して京都までとか、まぁそれくらいしか楽しみもなかったのでね」。

 当時の中日の場合、高卒選手は4年間、合宿所で生活するのが決まりだったが、牛島氏は2年目(1981年)オフの契約更改交渉で1年前倒しの3年での退寮を希望。「『来年、納得する数字を残して給料も上がったら、寮を出してくれますか』って交渉したんですよ。で、3年目に優勝して給料も上がって『もう3年でいいよ、出ていけ』って感じで出してもらったんです。僕が勝手に出たわけじゃないですよ。ちゃんと契約更改で球団と話をしてのことだったんですから」。

 3年目の牛島氏は7勝4敗17セーブ、防御率1.40の成績で優勝に貢献したが、そもそも結果を残せば、寮を出られるということが大きな発奮材料になっていたという。「とにかく寮から早く出るんだって思っていましたからね」。頭脳派投手として有名だった牛島氏のヤンチャな過去。若かりし頃から、マウンド同様にグラウンド外でも大胆さもあれば、ずる賢さもあったようだ。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)