広島のスカウト統括部長を務める白武佳久氏【写真:山口真司】

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白武佳久氏は1989年オフにロッテへトレード…秋季キャンプ参加中の通告だった

“投手王国”カープとの別れが突然、やってきた。1989年オフ、広島・白武佳久投手(現・広島スカウト統括部長)は高橋慶彦内野手、杉本征使投手とともにロッテに移籍した。ロッテの高沢秀昭外野手、水上善雄内野手との3対2の交換トレードだった。鬼軍曹”の広島・大下剛史ヘッドコーチにも励まされ「これはチャンスだな」と考えて、新天地に向かったが、最初にトレードを聞いた時は「“なんや”って頭に来た」という。

 山本浩二監督になった1989年の広島は2位。白武氏は23登板(17先発)、112回1/3を投げて4勝5敗、防御率3.53の成績を残した。9月24日の大洋戦(広島)に4安打1失点完投勝利、そこから中7日で先発した10月2日の阪神戦(甲子園)では2安打完封勝利をマークしてシーズンを終えた。「あまり覚えていませんね」と白武氏は苦笑したが、2試合連続の好結果は翌シーズンに向けて明るい材料だったはずだ。

 トレードは、そのオフに決まった。「日南の秋季キャンプに行ったら、すぐにトレードだって言われた。それなら何でキャンプに行く前に言ってくれないのかって思った。広島にいる時に言ってくれればいいのにってガーって怒ったのは覚えていますね。そこまで隠したかったというのがあったかもしれないですが、交通費ももったいないじゃないですか。わざわざキャンプに行かせなくてもいいのにってね」。

 この怒りには理由もあった。「キャンプに行く直前に、親しい新聞記者から『たぶんトレードらしいぞ』と言われて『何言っているんや、今からキャンプに行くというのに、そんなことあるはずないやないか』って言ったんですよ。それが、その通りだったでしょ。ちょっと聞いていたから、よけい頭に来て“なんや”って思ってねぇ。トレードの話は、それが第一印象だったですね」。しかし、時間経過とともに、気持ちは切り替わった。

移籍を推薦した大下ヘッドコーチに「しょうがないけ、出ろ!」

「最初は頭に来たけど、後々、これはチャンスやなって思ったんです。大下さんにも『ここにおっても(先発ローテーションの)谷間やし、しょうがないけ、出ろ! ずっとここまでやってきたことをロッテでも続けたら、試合に出られるかもしれないから頑張れ!』みたいなことを言われましたしね」。激しい競争の投手王国の中で、レベルアップしていた自身に手応えもあった。「もうちょっとできるんじゃないかって思いました」。

 行き先がロッテだったことに「それは別に何とも思っていません。僕らが(トレードで)行かなきゃいけないのは契約書にも書いてありますから」と何の感情もなく、ただ前向きに野球をやることだけを考えた。1歳上の川口和久投手や川端順投手、同い年の金石昭人投手や津田恒実投手ら、切磋琢磨してきた仲間との別れには寂しさはあったが、そんなハイレベルなライバルたちのおかげで成長できたと感謝してロッテへと旅立った。

「(ロッテ監督の)金田(正一)さんが欲しかったのは、僕じゃなくて、川端さんだったらしいですけどね。でも川端さんは出せないとなって、大下さんが僕を推薦したと後になって聞きました。僕のことをいろいろ考えてくれたんだと思います」と白武氏はしみじみと話した。投手王国からの“卒業”。佐々岡真司投手に受け継がれた背番号18をつけたカープ時代を誇りに思って、新天地・ロッテでの活躍を誓った。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)