ニュージーランド出身のフィットネス・インストラクター、メノ・トーマスさん(写真左)は、元女性だった(撮影:メノさんのインスタグラム投稿を転載)

5月17日は、「国際反ホモフォビア・トランスフォビア・バイフォビアの日」でした。1990年のこの日、世界保健機関(WHO)が同性愛を精神疾患のリストから除外したことを記念して、定められました。日本では「多様な性にYESの日」と呼ばれているそうです。

「フォビア」には恐怖症という意味がありますが、つまり同性愛の人たちやトランスジェンダー、バイセクシュアルなど、主にLGBTQと呼ばれる人たちに対する嫌悪感や否定的な感情というとわかりやすいでしょうか。

こうした悪感情に対抗し、性的マイノリティの人たちの人権に目を向けることを目的とした日であると言えるでしょう。多様性が社会通念として徐々に浸透してきているとはいえ、性的マイノリティに対するヘイトや差別的な言動は、いまだすべて解消されているとは言いがたいのが現状です。

誰もが住みやすい社会を作っていくために、私たちにできることとは何なのでしょうか。

多種多様な人が通うロンドンのジム

筆者は英国・ロンドンに暮らしてかれこれ20年近くになります。

2021年の国勢調査によると、ロンドンでは自らを白人、あるいは白人系の英国人と位置付ける人たちが人口のおよそ半分強ほどしかいないそうで、その他は多種多様な民族の人たちが共存しています。世界有数の多民族都市であると言えるでしょう。

そんなロンドンで私はこの7年ほど、中心部にあるジムにほぼ毎日通っています。といっても、きらびやかで会費も高めの民間のジムではなく、地域運営で、どちらかというと区民センターのような趣の、のんびりとしたところです。地元の多種多様な人たちが通っています。

前述の通り、ロンドンは世界屈指の多民族都市であるので、グループ・レッスンに出ると、25人のクラスに外国籍で同じ国籍の人は多くて2〜3人、白人の英国人でも多くてクラスの3分の1程度。さらに、同じ英国人であったとしても二重国籍の人もいます。そのうえインド系、中国系、アフリカ系などの英国人や、白人でもアイルランド系だったり、片親が東欧出身の人などもいて、皆が異なる民族背景やルーツを持つ、などという場面にもしばしば遭遇します。

年齢層も、下は10代から上は70代くらいまでと幅広く、また中にはイスラム教徒の女性が頭に被るヒジャブを着けた女性もよく見かけ、宗教上の違いもごく自然なことです。自閉症などの障害のある人たちも複数、普通に通っています。

セクシャリティに関しても、女子が多く集まるクラスにいる男子の中にはゲイであることをオープンにしている人も複数いますが、そのことを理由に彼らに後ろ指を指す人もいませんし、皆がごく普通にフィットネスを通じ、同じ体験、そして同じ場を共有しています。

実に多様性のあるこの場に日々何気なく加わっていることに、ちょっとした奇跡を感じることもしばしばです。

さて、このジムでは、あるフィットネス会社が提供するグループ・フィットネスのクラスを受けることができます。そのプログラムの一環として、社の看板インストラクターが複数名、大画面に動画で登場する「バーチャル」のクラスを受講することもできるのです。私は昨年来、格闘技を取り入れたバーチャル・ワークアウトを定期的に行っています。

クラスを始めて数週間が経った頃でしょうか。ふと、画面上のインストラクターの一人に、不思議と既視感を感じるようになりました。その若い男性インストラクターは目鼻立ちのくっきりした、どちらかといえば面長の顔立ちで、髪をピンクに染めていました。

何度か映像を通して見ているうちにその男性が、昨年急逝したタレントのryuchellさんにどことなく似ていることに気づきました。

私はryuchellさんがブレイクしていた頃、すでに日本に暮らしておらず、昨年亡くなるまで、その人となりをよく知りませんでした。報道を通し、彼女の遺したたくさんの言葉に触れていくうちに、その優しさや洞察力の深さを知りました。夫として生きていくことがつらいと、女性として生きていく決意を表した後は、苛烈な誹謗中傷や、言葉の刃に晒されていたことを知り、胸が痛みました。

ryuchellさんが27歳の若さで命を絶ってしまった原因は、知る由もありません。もっともっと、ryuchellさんがありのままの自分として人生を楽しんだり、輝きを放ち続ける時間が許されてもよかったのではないかと、今でも感じてしまいます。

今年24歳、インストラクターの彼、実は…

ジムの画面の向こうのインストラクターの彼は、フィットネスを通じて今を謳歌し、力一杯輝きを放っているように見えました。ryuchellさんと同じ年代だろうか・・・・・・と、ふとこの彼について調べてみたくなりました。動画の最後にクレジットされた名前を頼りに、ある日検索してみたのです。

そして知ったのです。この「彼」、実は生まれが「彼女」であったということを。

そのインストラクターの名前はメノ・トーマスさん。ニュージーランド出身で、ご本人のインスタグラムから、今年24歳になることがわかりました。

現在も働くフィットネス会社でのロングインタビューによると、メノさんの母親が同じ会社のインストラクターをしており、お父上はラグビー選手というスポーツ一家に育ったそうです。


メノ・トーマスさんは、フィットネスのインストラクターとして活躍している(写真:メノさんのインスタグラムより転載)

当初はインストラクターの道を志すつもりはなかったものの、弱冠15歳で素質を認められ、結局母親と同じ道に。インストラクターとして活動し始めた時期が、トランスジェンダーとして性別を移行する「トランジション」の頃とちょうど重なっていたとのことです。

生来人見知りだったメノさんですが、この時期インストラクターとして活動していたことで自分に自信を持つことができ、またセクシャリティについて気持ちが揺れ動いていた多感な時期にも、自分自身を知るための助けにもなったと話しています。

メノさんは双子の姉妹の姉として生まれましたが、メイクやドレスが大好きだった妹とは異なり、おてんばだったそうです。幼稚園の頃から女子らしい服装が嫌で、嫌で仕方なく、12歳くらいの頃からトランスジェンダーについていろいろと学んだり母親と対話をしたりして、その数年後、かなり早い時期にカミングアウトをしています。

驚くべきは、カミングアウトに対する当時の周囲の反応でしょう。ご両親や親しい友人らは「すでになんとなくわかっていた。カミングアウトしたあなたを誇りに思う」といい、また敬虔なクリスチャンの祖父母も「あなたが幸せなら」と理解を示したそうです。

そのうえ、通っていたカトリックの女子校でもサポートがあり、ご本人の希望でカミングアウト後に在籍を続けても、不快な体験をすることはまったくなかったと言います。

メノさんにはまた、学習障害もあるそうです。双子の妹と共に27週目に生まれた早産児でした。何かを学ぶ際には、何度も繰り返すことが必要だそうですが、メノさんは障害についても隠すことなくオープンでいるとのこと。「恥ずかしいことではないからです」「(障害と)ともに生きることを学びました」(メノさん・2022年フットネス会社とのインタビュー)

トランスジェンダーに寛容な国、というわけではない

そんなメノさんの暮らすニュージーランドは、トランスジェンダーの人たちにとって完全に寛容で、環境の整った国かといえば、必ずしもそうではないようです。

ニュージーランドは2021年末、性別と性自認を一致させるための医療的処置の証拠を提示しなくても、出生証明書に記録されている性別の変更を認める法案を可決しました。性自認の権利を護る法案として、概ね歓迎されています。

一方で、今月10日には「トイレへの公平なアクセス法案」が議会に提出されました。「正しくない」性別のトイレを使用すると、罰金刑が科されるという厳しいものです。提出したのは保守派のニュージーランド・ファースト党ですが、野党労働党党首はこの法案について「男女共有のトイレを使うと罰金を科すとでもいうのか?いったいどうやって取り締まるつもりだ?」と批判しています。

また緑の党は「この法案はトランスジェンダーの人たちに対する明確な攻撃」「ニュージーランド・ファースト党は自らの政治的利益のために、恐怖を広め分断を煽ろうとしている」と反発しました。

トランスジェンダーでない人たちに、いきなりそのことを理解してほしい、と望むことは難しいことかもしれません。ですが、私はヘイトの根本は恐れにあり、そして恐れは未知なるものに対する疑念や不安だと考えています。

性的マイノリティの人たちがそのことを隠す必要もなく、日常、自然に身近にいること、そして、彼・彼女たちを人として知ることで、その不安の一部は解消されていくのではないでしょうか。先に記したロンドンのジムのように多様な人たちが自然に共存する場や、メノさんのような人たちが自身の体験を共有していくことは、そんな道筋の一歩であるかもしれません。

メノさんは今も、インストラクターとして世界を駆け巡り、フィットネスを通じた喜びを広め続けています。「人々がどんな悩みを抱えているかは、他者にはわかりません。だから、(クラスが行われる)55分間は、自分が少しでも光を放てたらと思います」(メノさん)。

カミングアウトする前、メノさんはいつもどこか居心地の悪さを感じ、混乱した気持ちでいたと言います。

「自分のことを受け入れれば受け入れるほど、より心地よくいられるようになりました。 私はとても素晴らしい旅をしてきましたが、今も素晴らしい旅は続いています。 同じような経験をしていて、私ほどの支援を受けられない人たちに少しでも光を届けることができれば、嬉しいです」と、先のインタビューで語りました。

私が特に着目したのは、この大手フィットネス会社が先のインタビュー以外は、メノさんのセクシャリティをことさらに前面に出すことなく、メノさんを通常、単に一人のインストラクターとして紹介していることです。

日本のエンターテインメント業界ではとかく、性的マイノリティの人たちのセクシャリティをいまだにある種奇異なものとして見、そのことを「売り」にしているように感じられます。

性自認を隠す必要もなく、またそれをことさらに売りにするでもなく、人それぞれの特性として、ごく自然なこととして受け入れられる社会は、誰にも暮らしやすい場となり得るのではないでしょうか。

(楠 佳那子 : フリー・テレビディレクター)