池袋再開発の象徴として語られる、南池袋公園。おしゃれカフェがある、深い理由とは?(筆者撮影)

昨今、都心ではカフェが大混雑している。たとえば、渋谷はスタバが18軒(※2024年5月時点)もあるのに、どこも満員だ。

なぜ「カフェ難民」が増えているのか。背景には「都市の再開発」「ジェントリフィケーション」「喫茶店の減少」「排除アート」……など、様々な要因が絡み合っている。

気鋭のチェーンストア研究家・谷頭和希氏による短期連載「なぜ渋谷のカフェはいつも満員なのか?〜”カフェ難民”から考える都市の再開発〜」の第2回は、渋谷や池袋の公園の再開発を取り上げる。

前回の記事ー常にガラガラ「渋谷モディ」スタバだけ満員の理由ーでは、「渋谷のカフェが混みすぎている」という問題を取り上げながら、その理由を、都市の中で滞留できる空間が減ってきたことに求めた。渋谷の街としての歴史を追いながら、そこでどのような変化があったのか、そしてその結果として、カフェがなぜ混んでいるのかを考えた。

わかってきたのは、現代人にとって、カフェはある種の「せんだら」(「千円程度でだらだらいられる場所」)的な場所として機能していることだ。

そんなカフェの中でも、特に近年、にぎわいを見せているのが「公園併設型」のカフェだという。なぜそのカフェに人は集まるのか。なぜ、公園なのか。

あの南池袋公園が変わった

ちょっと個人的な話をさせてほしい。筆者は、生まれてこのかた、ずっと池袋の近くに住んでいて、池袋と共に成長してきた(死ぬときも、池袋と共に、と思っている)。筆者が幼少期だった2000年代前半は、まだまだ池袋の治安は悪かった。両親からは「この街は12時すぎると銃の音が聞こえるからね」とさらりと言い伝えられていたほどだ。

さすがにそれは冗談だろうと思いつつ、でも実際のところ、2000年代前半の池袋は石田衣良が『池袋ウエストゲートパーク』で書いていたりして、治安はよろしくなかったようである。

【画像】若者が芝生に寝そべってだらだら…南池袋公園やMIYASHITA PARKの様子を見る(7枚)

そんな池袋が、ある段階からとてもきれいになりはじめた。いわゆる再開発だ。東池袋の豊島区役所周辺や、西池袋の芸術劇場前の広場も、びっくりするぐらいにきれいになった。豊島区が「消滅可能性都市」のリストに載ったこともあり、行政として焦りがあったのだろう。こうした再開発が功を奏し、今では住みたい街ランキングの上位の常連にもなっている。

さて、そんな再開発の中で、とりわけ成功したと言われているのが「南池袋公園」だ。

かつての南池袋公園は、うっそうとした木々に覆われていて、ホームレスのダンボールハウスが立ち並ぶ場所だった。転機が訪れたのは2007年。東京電力が公園の地下に変電設備を建設したいという意向を示し、公園一帯の再開発が行われた。

それから約9年、2016年にリニューアルした南池袋公園は見違える姿になっていた。華々しくリニューアルしたこの公園は、都市再開発の代表的な事例としてメディアなどでも多く取り上げられるほどになったのだ。

カフェ×公園の相乗効果

実際、南池袋公園はどのようになったのか。

このリニューアルの要点の一つが、池袋で人気のカフェ「ラシーヌ」をその中に誘致できたということ。実際、休日などに南池袋公園を訪れると、公園部分も人でいっぱいだが、カフェにも人が多くいる。テラス席も用意されていて、そこもほとんど満席だ。

南池袋公園は、公園の中心に大きく芝生が広がっており、その周辺に子供が遊べる遊具や、テラス席などがある。これらは、直接カフェの売り場ではないのだが、やはりラシーヌのカップを持った人も多くいる。公園に来て、なんとなく話していると、ちょっと口が寂しくなってくる。ちょっとコーヒーやラテでも飲めないか、というところにちょうどよくカフェがあるというわけだ。

逆もまた然り。最初はカフェ目当てで行ったが、カフェのテラス席から芝生でくつろぐ人々を見ていると、なんだか気持ちよさそうに見える。だから、そのまま芝生でごろごろしてみる……そんなことも起こってくる。

南池袋公園を見ていると、カフェと公園という2つの要素がうまく絡み合いながら、まさにWin-Winの関係を作り上げているようにも思えてくる。「カフェ」が1000円以内でだらだらとできる「せんだら」だとすれば、公園もまさに「せんだら」(というより、公園だけの利用なら無料だ)で、この「せんだら」同士の相互作用が、南池袋公園で起こっているようなのだ。

さらにもう一つの事例。

近年の公園建設においてはエポックメイキングともいわれる、渋谷の「MIYASHITA PARK」である。前回、渋谷において滞留できる場所がどんどん少なくなっているという話題を書いたが、渋谷を実際に歩いてみると、特にMIYASHITA PARKの最上階・公園部分には、中高生をはじめとした若年層が多く見受けられる。


すっかりおじさんの街と化したと言われる渋谷だが、「MIYASHITA PARK」のように、若者が「だらだら」するエリアもある(筆者撮影)

彼らは、芝生やベンチに座って、特になにをするわけでもなく、そこでだらりと過ごしている。

特に中高生たちの座り方を見ていると面白い。本来、建築的な用途では座る場所ではないところに座ったり、寝そべっていたりする。

MIYASHITA PARKにはいくつかのアート作品も展示しており、そのアート作品のところを器用に使って過ごしている人もいた。

そんな彼らの手元によくあるのが、スタバのカップ。ここに入るためのパスポートなのか?と思うぐらいだ。パスポートを手に入れるのは簡単。公園の中央にスターバックスがあるからだ。さすが、スタバはめざとく、このMIYASHITA PARKにもさらりと入り込んできたわけだ。


渋谷駅近辺にあるスタバ。2024年5月時点で、18軒もある(出所:スターバックス公式サイト)

面白いのは、やはり南池袋公園と同じような相互作用が起こっていること。

スタバは、若い世代にとっての誘引力になる。スタバを目指して公園に行く人もおおいだろう。そこでスタバを買って、公園で過ごす。逆に公園を目当てに来た人にとっても、ちょっと喉が渇いたらスタバに行ってフラペチーノを飲めばいい。そうして、MIYASHITA PARKには人が集まる。人が集まると、なんだかそこは賑わっているように感じて、さらに人が集まってくる。こうした好循環を生み出すことに成功しているわけだ。

カフェの進出を後押ししたP-PFI事業

南池袋公園、MIYASHITA PARKの例からわかるのは、カフェが「公園」を活性化させる一つの起爆剤のようになっている、ということ。もともと、南池袋公園にしてもMIYASHITA PARKにしても、そこはうっそうと木々がはえ、人通りが少ない公園だった。しかし、そこが再開発され、カフェが生まれることで、ある種、好循環を生み出す起爆剤のようになったと言える。


青空が気持ちいい、MIYASHITA PARK(筆者撮影)


青空が気持ちいいせいか、若者が寝そべって過ごしている。渋谷では貴重になりつつある、若者がだらだら過ごせるスポットだ(筆者撮影)

実は、こうしたカフェ×公園の事例は、全国に増えている。

本来は公的なセクターが運営するはずの公園に民間事業者のカフェが入り込むことができたのは、2017年からPark-PFI(P-PFI)事業が導入されたためだ。

この制度によって、公園は民間事業者を公募で集めることができるようになった。そして、公園内に、一般人が魅力に感じるような施設を導入し、本来の公園が果たすべき、「なんとなく、だらだらといられる空間」を作ることに成功している。


(画像:国土交通省公式サイトより)

東洋経済オンラインの記事ー池袋や渋谷の「公園」で起きている画期的な変化 「南池袋公園」「ミヤシタパーク」はなぜ凄いのかーにて、国際文化都市整備機構(FIACS)理事の松岡一久が指摘している通り、P-PFI事業以前の公園は、公共財として最低ラインの維持と管理を行うというスタンスだった。

つまり、公園としてあるべき「公共的」な姿を作るというよりも、ただ、広いスペースが「あるだけ」の状態になっていた。そのため、「公園」といっても、ダラダラする場所としての候補には上がりづらく、そもそも暇つぶしに公園に行く、という手段自体が、そこまで大きな選択肢として認識されてこなかった。とくに昨今の、「危ない」という理由で遊具が撤去されがちな公園では(せいぜい、昼間、行き場所がないサラリーマンが、ハトにエサを与えるときのイメージとして思い浮かぶぐらい?)。

しかし、カフェが誕生することで、公園という空間が逆に「せんだら」としての機能を持ち、その空間が利活用できるようになったのである。

公園カフェがもたらした負の側面は?

このように、P-PFIはそれまであまり活用されてこなかった公園に活気を取り戻す起爆剤になった。

一方でこの制度は、「居場所作り」として捉えたときに、プラスの側面だけを持っているわけではないことも指摘しておこう。それは、南池袋公園しかり、MIYASHITA PARKしかり、ホームレスの排除問題と密接な関係を持っているということだ。

南池袋公園にしても、MIYASHITA PARKの前身である宮下公園にしても、そこにはホームレスの人々が多くいた。2002年に施行された「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法(ホームレス自立支援法)」には、公園を適正に利用できるように行政が働きかける条項が含まれており、そのあたりから、都内の公園で、行政とホームレスが接触する機会が増えてきた。

そうした流れの中で、徐々にこうした公園が再開発されていき、MIYASHITA PARKの開業当初は、ホームレスの強制排除が大きな話題にもなった。


渋谷・京王井の頭線の高架下にあるエリア。公園に限らず、現代の都市にはこのような「排除アート」が少なからず存在する(編集部撮影)

難しいのは、そのようにホームレスたちの居場所をなくしたあと、そこが逆に若者や若いファミリー層にとっての新しい居場所になったことだ。

カフェはこうした若い層を取り込むことに成功しているが、一方でそれ以外の人たちの居場所をなくした側面もある。つぐつぐ、「居場所」の問題を考えるのは難しい。

カフェ×公園はこの先どうなる?

こうしたホームレスの強制排除問題と共に語られるのが、「公園」という、本来はお金が入ってきてはいけない領域に民間企業が入り込むことに対する批判だ。

もちろん、そうした問題は決して忘れてはいけない視点であるが、特にカフェ事業については、これまでみてきた通り、一定程度、民間資本が入り込むことで、逆に「公園」というパブリックな空間を作り出している側面もある。逆説的だけれど、でも、実際にそうなのだ。


それは、おそらく、そもそも「カフェ」というもの自体が、ある種のパブリックな空間、つまり、私の言葉でいえば、比較的低コストでだらだらいることが許されている空間であることが関係していると思う。

たぶん、お金を使う空間の中では、公共性が比較的高いのがカフェなのだろう。だからこそ、「公園」というさまざまな人の存在を許容する空間のポテンシャルを引き出しているのだといえる。

このように見ていくと、公的セクターに民間資本が入り込む場合の一つの最適解が、このカフェ×公園というコラボ事例なのかもしれない、とも思う。その意味でも、現代におけるカフェの意味はますます重要になってきているといえるのだ。

(谷頭 和希 : チェーンストア研究家・ライター)