モスクワの赤の広場で、ドイツに対する勝利から79周年を記念する軍事パレードで演説するプーチン大統領(写真・Sputnik/共同通信イメージズ)

2024年5月7日、ロシアのプーチン大統領は5期目の任期を始めた。その2日後、モスクワ赤の広場で毎年恒例の戦勝記念日の祝賀演説に臨んだ。

しかし、今回の演説は侵攻での戦果にも、良い見通しにも触れず、明らかに「熱量」に欠けたものになった。東部戦線で主導権を握ったロシア軍優位との見方も出る中で、なぜ熱気不足となったのか。

一方、劣勢だったウクライナ軍は、アメリカからの軍事支援再開を受け、何を狙っているのか。双方の思惑を探ってみた。

「歴史的に困難な分水嶺を通過しつつある」

プーチン氏は演説で「ロシアの戦略核兵器は常時戦闘態勢にある」と得意の核威嚇で西側を強く牽制した。しかし、軍事パレードで現役の戦車が1台も登場しないという寂しいセッティングの中、筆者が驚いたのは「ロシアは今、歴史的に困難な、分水嶺の時を通過しつつある」と戦況について述べたことだ。

つまり、勝つか負けるかまだわからず、歴史的に重要な分岐点に差し掛かっているとの厳しい認識を示したのだ。戦争の最中での演説であり、この一節には国民に窮状を強く訴え、結集を促すという政治的狙いはあったのだろう。

しかし、それにしてもプーチン氏の演説はあまりに淡々としていた。国民の心に刺さるような、士気を鼓舞するという強い意志を感じなかった。

それもそのはずだ。今回の戦勝記念日演説で戦果を誇示ができなかったことに失望しているのは、誰よりもプーチン氏自身だったからだ。

侵攻が3年目に入ったにもかかわらず、戦勝記念日で大きな戦果を国民に誇示できないことにいら立っているのだ。ショイグ国防相に突きつけた2年越しの「宿題」、すなわち東部の2州(ドネツク・ルハンスク)の完全制圧をこの日までに実現することを求めていた。

これが無理だとわかると、プーチン氏はドネツク州の要衝チャシブヤールを落とすよう厳命していたが、軍はこれすら期限内に実現できなかった。

パレード終了後、プーチン氏とショイグ氏は赤の広場で並んで歩きながら言葉を交わす場面もあったが、明らかにショイグ氏の表情は暗かった。結局、今回の演説での「熱量不足」の理由は演説の3日後に判明することになった。

2024年5月12日、プーチン氏がショイグ氏を解任し、安全保障会議書記に任命したのだ。ショイグ氏は大統領の最側近の1人だったが、大統領の命令を実行できなかったため、とうとう見切りをつけたのだ。ショイグ氏の後任には、第1副首相だったアンドレイ・ベロウソフ氏を充てた。

国防相に見切りをつけたプーチン

侵攻開始から2年余り、プーチン氏はショイグ氏の解任をこれまで避けてきた。「特別軍事作戦」が思い通りに進んでいないことを国民に認めることになるからだ。しかし、一向に戦勝を達成できるメドが立たないことから、交代させざるをえなくなった。

ロシア軍はウクライナ東部や北東部で攻撃を続けており、チャシブヤールを含め、一部の要衝が今後、ロシア軍の手に渡る可能性は依然否定できない。

しかし、最近のロシア軍の攻勢には「戦術的に狙いが理解できない行動が多い」とウクライナの軍事筋が指摘する。プーチン氏からの厳命を実現しようと、実現可能性や軍事的効果を顧みずにしゃにむに攻撃しているという。

2024年初めから停止していたアメリカからの軍事支援がこの4月末から再開され徐々にウクライナに到着するのを前に、ロシア軍はウクライナ軍の戦力が整う前に戦果を挙げようと焦って攻撃を強めているからだ。しかし、結果的には攻撃を強めることで、逆に兵力の不足が露呈する皮肉な結果になっている。

こうした情勢について、この軍事筋は「第2次世界大戦当時のスターリングラード攻防戦でのドイツ軍に似てきた」と指摘する。「スターリングラード攻防戦」とは1942年夏から1943年初めまで続いた史上最大の市街戦だ。

一時は完全にスターリングラードを包囲したドイツ軍だったが、その後ソ連軍に逆に包囲された。ドイツ軍の現地司令官は「包囲打開は無理」と撤退を図ったが、ヒトラーが死守を命じたため、抗戦を続けた。

その挙句、現地司令官がヒトラーの命令に反して降伏した。この戦いを契機に大戦の戦局がソ連軍優位に転換した。つまり軍事作戦面で素人であるヒトラーの命令を順守しようとして、結果的に無残な敗北を喫したドイツ軍の行動に今のロシア軍の攻勢が似てきているという指摘だ。

ウクライナの「引き」の戦術が奏功

ロシア軍の攻勢がなかなか結果につながらないもう一つの要因は、ウクライナ軍の意図的で自発的な撤退戦略だ。弾薬がロシア軍に比べ大幅に不足している現状の中で、シルスキー軍総司令官が採用している守りの戦略のことだ。

撤退することでロシア軍との激戦をできるだけ回避し、自軍の主力兵力を温存する一方で、ロシア軍の戦線を間延びさせて兵力を消耗させ、補給上の負担も重くさせる作戦だ。

ウクライナ軍事筋は「これまで東部でウクライナ軍はロシア軍の攻勢に対し、守りに徹しているが、守備ラインは一度も完全に崩されたことはない」と強調する。

この戦略はいわば、戦力が整うまで攻撃用兵力を温存する「時間稼ぎ」である。そのウクライナ軍が6月から8月の間にロシア軍への反攻作戦を再開すべく準備を密かに開始している。

この準備の動きを象徴するのは、2024年5月9日にゼレンスキー大統領が突然発表した特殊作戦軍のルパンチュク司令官の解任だ。ルパンチュク氏は2023年11月に司令官に就いたばかりだった。

解任人事の背景にあるのは、2023年秋に始まったドニプル河右岸でのウクライナ軍の渡河作戦の停滞だ。作戦を担当していたのが特殊作戦軍だった。

ロシア軍の激しい抵抗を受けてウクライナ軍の橋頭堡が広がらないため、業を煮やした大統領が司令官の交代に踏み切ったと筆者はみる。近く橋頭保を拡大する攻撃を始める計画だろう。

ドニプル河東岸以外に反攻作戦の対象地域は、ロシア軍が比較的手薄なアゾフ海北岸の南部とクリミアになるだろう。


(地図・共同)

南部で狙うのはロシア本土からドンバス州、ザポロジェ州ベルジャンスク、メリトポリに至る鉄道補給路の遮断だ。ここでの攻撃で活用が期待されているのが、長距離砲のほかに、特殊作戦軍が指揮するパルチザン部隊だ。

一方で、クリミアへの攻撃ではクリミア大橋の破壊がメーンになる。2024年4月にアメリカが初めて供与したばかりの最大射程が300キロメートルとなる長射程地対地ミサイル「ATACMS」(エイタクムス)による橋脚への攻撃だ。

ロシアの出撃基地をうまく叩けるか

このATACMSは「コンクリートクラッシャー」とも呼ばれるほど破壊力が大きい。このミサイルを一度に複数撃ち込めば、橋脚の破壊が可能という。

このような攻撃で南部とクリミアの補給路を同時に通行不能にすれば、その軍事的影響は大きい。ロシア軍にとってウクライナへの重要な出撃基地となっているクリミア半島が、ロシア本土との接続を断たれ出撃基地としての機能を喪失する。

ウクライナが準備を進めている今後の反攻作戦では、F16戦闘機による上空からの援護も想定した「立体的」な攻撃を行う予定だ。F16は2024年夏には欧州諸国から供与が開始される見込みだ。

2023年6月に始めた第1次反攻作戦は、F16戦闘機による上空からの援護なしに行ったことが失敗の大きな要因になった。

では、なぜウクライナ軍は夏に反攻開始を目指しているのか。それは6月、7月以降の重要な外交日程をにらんでいるからだ。

ウクライナが提唱する和平案「平和の公式」について話し合うためスイスで6月半ばに首脳級のハイレベル会合が開かれる。また7月にワシントンではNATO(北大西洋条約機構)首脳会議が開催され、NATOとウクライナとの相互関係をめぐる協議が行われる。いずれかの会合で、ウクライナは侵攻で優位に立っていることを誇示する必要がある。

これらの会議がウクライナ情勢に大きな影響を与えるのは論を待たないだろう。ウクライナとしては、国際社会に向けて軍事面での成果を誇示することで、現在のロシア軍優勢論を打ち消しウクライナへの支援の機運を高めることを狙っている。

「もしトラ」をにらんだウクライナ外交

同時に2024年11月のアメリカ大統領選もにらんでいる。ウクライナへの軍事支援に消極的とみられるトランプ氏が大統領選で返り咲く可能性を想定しているためだ。

大統領選前にロシア軍に対する軍事的優位性をしっかり印象付けることで、トランプ氏がウクライナ支援の縮小を言い出しにくくなる政治的環境を事前に作り出すことが狙いだ。

ガザ紛争で国際社会の関心が中東情勢に移る中、ゼレンスキー政権としてはウクライナへの前向きな関心を取り戻すために「軍事的に今やるしかない」(軍事筋)との覚悟だ。

(吉田 成之 : 新聞通信調査会理事、共同通信ロシア・東欧ファイル編集長)