ドリブルデザイナーの岡部将和氏【写真:石川遼】

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転機は動画の無料公開、日本代表選手との交流も

“ドリブルデザイナー”岡部将和氏は「99%抜けるドリブル理論」を生み出し、多くのプロ選手や子供たちにドリブルを指導し、その活動を世界中へ発信してきた。

 来年、活動10周年を迎える岡部氏にはさらなる大きな“夢”がある。これまでのキャリア、そして今後の目標について語ってもらった。(取材・文=石川遼)

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 2015年から始めた“ドリブルデザイナー”としての活動は「あっという間」に10年目を迎えた。元号は平成から令和へと移り、コロナ禍も経て社会のあり方も大きく変わったこの10年を無我夢中で駆け抜けてきた。

「もう10年ですか。本当に自分でも驚いています。この前、小学生向けの講演に行った時にある小学生6年生の子が挨拶にきてくれたんですけど、その子は僕が2、3歳の頃に出会った子だったんです。当たり前ですけど、当時10歳だった子ならもう20歳になっている。それこそアンダー世代の日本代表にも、僕がドリブルを伝えたことのある選手がいるという話を聞いています。本当にあっという間でした」

 活動を始めた当初は「サッカー選手にもなれなかったくせに」と活動に対する懐疑的な声も多かった。しかし、今では「ドリブルデザイナー」という言葉は確実に浸透してきた。大きな転機となったのはSNSで動画公開を始めたことだった。自身のドリブル理論を惜しげもなく披露し、知名度が一気に高まった。

「客観的に見れば、ターニングポイントはやはり動画を出したことだと思います。ビジネス面を考えれば有料でやるべきものだったと思いますが、僕は無料ですべて公開しました。こういうことを考えて、こういうふうにやったらドリブルで相手を抜けるよという内容の動画を確かお正月に出したら、一気に2000万回くらい再生されて。そこからドカンと世界中に広がっていきました。当時の日本代表の選手が僕のドリブル理論を知りたいと言ってくれたり、日本中からイベントをやりたいと連絡をもらいました」

 もう1つの転機はコロナ禍。“ステイホーム期間”でなかなか外に出られない子供たちのためにオンラインでのドリブル講座を始めると、そこでも大きな反響があったという。

「当時『ドリブル検定』というのを作って、家の中のちょっとしたスペースでできるドリブルのトレーニングメニューを配信したんです。そうしたら、多くの親御さんからすごく感謝のコメントが届きました。一段落したら止めようと思っていたんですけど『続けてほしい』という声がとても多かったんです。その時にオンラインサロンも立ち上げ、本当にたくさんの方が入会してくれて。当時、僕は仕事を辞めてオランダに移住しようというタイミングだったのでイベントができなくなっていたんですけど、おかげさまでオンラインでの活動を続けることができました」

「人を輝かせたい」 ドリブルの次はドリームのデザインへ

 現在はスペインを拠点に移した。「バロンドールを獲る選手のサポートをしたい」という夢を持って活動を始めたが、最近ではドリブルを教えるだけでなく、自身のこれまでの活動を通じて「挑戦することの大切さ」を伝える講演を積極的に行うなど活動の幅は大きく広がった。

「持っている思いは初めの頃からずっと変わらず、一貫しているモットーは『人を輝かせたい』ということ。もともとドリブルが好きで、ドリブルを教える指導者として活動を始めましたが、最近ではこの『人を輝かせたい』というところの思いがより強くなっています。なので、ドリブルだけじゃなく、これまでの経験も踏まえて挑戦することの大切さをできる限り伝えていきたいと思っているんです」

 根っこの部分にある信念は変わってはいないが、「ドリブル」や「サッカー」という枠にとらわれることなく、世界中の1人でも多くの人に思いを届けたい。そんな思いを胸に岡部氏は“ドリブルデザイナー”から“ドリームデザイナー”へと変貌を遂げている。

「ドリブルデザイナーとして活動を始めた頃、僕は『16億人の挑戦を駆り立てたい』と目標を掲げていました。この16億人というのは、本当か嘘か分からないですけど当時ネットで見た世界でサッカーを経験したことのある人数でした。ですが、もしこの16億人に僕の思いが伝えられたとしても、それ以外の60億人に何かを伝えるにはどうすればいいのかというのは当時から考えていました。みんなに共通するものが何かを考えて、たどり着いたのが『心』の部分。僕はそれを『挑戦』と置き換え、挑戦して夢を持つことの大切さを伝えられる人間になりたいなと思ったんです」

 前例のない挑戦を続けるなかで、思いどおりにならないことは数え切れないほどあった。しかし、そのなかに失敗は1つもなかったと胸を張る。

「傍から見れば、きっと浮き沈みの激しい人生に映ると思います。挑戦をすると、むしろ上手くいかないことのほうが多いです。ただ、人生における成功と失敗、勝った負けたというものがあるとすれば、それが決まるのは人生の終わりだと思っています。人として最期を迎える時に、自分が幸せと思えるかどうか、それだけしか見ていないんです」

 挑戦した先にあるものは、すべてが自分の糧となっている。そのことを身を以て経験してきたからこそ「目先の結果は見ていないし、すぐ忘れちゃうんです」と笑うことができる。

「僕自身、講演でも『失敗は成功のカケラ』だと伝えています。カケラどころかずっと成功していると思っているくらい。なので、目の前の結果で一喜一憂することもないですし、すべてを吸収しています。僕自身がめちゃくちゃポジティブということもあると思いますけど、そういう考え方こそ僕が本当に伝えたい部分なんです。大人になるとやらない理由ばかり探してしまいがちですが、そうではなくて、誰もが挑戦しやすい土壌を作りたい。そんな思いを強く持っています」

 ドリブルをデザインする指導者から、夢をデザインする伝道者へ。岡部氏の人生を懸けたチャレンジはこれからも続いていく。

[プロフィール]
岡部将和(おかべ・まさかず)/1983年8月1日生まれ、神奈川県出身。PREDATOR URAYASU FC SEGUNDO―バルドラール浦安―Laguna Playas de Salou(スペイン)―湘南ベルマーレ。2015年からドリブルデザイナーとしての活動を開始し、多くのプロ選手や子どもたちにドリブルの指導を行う。YouTubeなどのSNSを通じて配信した動画の総再生回数は3億回を超える。(石川 遼 / Ryo Ishikawa)