規模拡大の仕掛け人である曽禰信さん【写真:長嶺真輝】

写真拡大 (全2枚)

拡大のきっかけは「恩返し」 東急、三菱地所も協賛

 昨年の第3回大会から規模が拡大し、強豪大学も参戦している宮古島駅伝。報知新聞社の実行委員会入りが最大の要因だが、そもそもなぜ参画するようになったのか。

 仕掛け人は、事務局の中心を担う曽禰信さんだ。東京の広告代理店に35年間勤めたが、ガンを患って余命宣告を受け、仕事を退職。治療により一命を取り留めたものの、リハビリが必要になり、温暖な場所で療養するために6年前に宮古島へ移住した。すると徐々に体調が戻り、仕事復帰ができるまでに回復。「命を貰った宮古島に恩返しがしたい」と考えるようになった。

 そこで目を付けたのが「駅伝」だった。沖縄は日本テレビ系列のチャンネルがないために箱根駅伝の地上波放送がなく、大学駅伝は馴染みが薄いが、宮古島は以前から地域対抗や職域対抗の大会が開かれ、駅伝自体が盛んな地域として知られる。宮古島駅伝も既に開かれていたことから、この大会を盛り上げて地域活性化に繋げることを思い付いた。そこで広告代理店時代の人脈を生かして報知新聞社に掛け合ったところ、「大学の強化、支援になる」との理解を得て、実行委員会入りを取り付けたのだった。

 スケールの拡大は参加大学のみにとどまらない。

 昨年も地元の経済界などから後援を受けていたが、今年はさらに、4月で「宮古島東急ホテル&リゾーツ」が開業40周年を迎える東急グループや、昨年開業した高級ホテル「ヒルトン沖縄宮古島リゾート」を開発した三菱地所など、島内で事業を展開する大手企業からも協賛を得た。運営協力では京王観光も名を連ねている。

 昨年は多くの大学駅伝ファンから注目を集め、「中継をしてほしい」との要望が多く寄せられたため、今年はインターネットスポーツメディアの「SPORTS BULL」での中継も実現した。

観光「閑散期」開催を歓迎 “2年目”で合宿チーム増加

 小さな離島でのイベントにも関わらず、これだけの著名企業から賛同を得られる理由は2月という開催時期が大きな要因だ。曽禰さんが説明する。

「美しいビーチが強みの宮古島観光は、冬場の2月はどうしても需要が落ちます。ゴルフを目的に来島する方もいますが、ゴルフ場の数も限られているため、人数が多いという訳ではありません。大学駅伝という人気競技の開催で観光需要をつくることは閑散期対策になるため、多くの賛同を得ることができました」

 昨年は参加大学が増えた一方で、合宿を兼ねて来島するチームは少数だったが、今年は参加した大学の半分以上が長期合宿を実施したという。参加選手からは「道が広いしアップダウンがあってトレーニングに最適」「関東だと冬は寒くて思うように体が動かない日も多いので、合宿をするのにはいい場所だと思います」と合宿地として高く評価する声が多かったため、来年以降もトレーニング地として利用するチームも多そうだ。

 芝浦工業大のメンバーが宿泊したホテルを経営し、第4中継所で「芝浦工大 ファイト ガンバレ」と書いた応援ボードを手に声援を送った女性は「昨日夜なべしてボードを作りしました。頑張ってほしいです」と笑顔。観光の閑散期に大会を開催することについては「冬のこの時期はお客さんが少ないので、ぜひ続いてほしいです」と歓迎した。

 一方、大会事務局は選手やスタッフなど関係者のみの来島を見込んでいるわけではない。大学駅伝の開催をフックに「その先」も見据えている。曽禰さんが言う。

「宮古島はトライアスロンやマラソンの大会が以前からあり『スポーツアイランド』を掲げていますが、その流れの中で『ランナーズパラダイス宮古島』として走ることを楽しめる島だということも伝えたいんです。ここでは2月でも半袖、短パン姿で、海の絶景を見ながら気持ち良く走ることができます。この時期に宮古島に来て、大学駅伝を応援し、さらに自分自身も走ることを楽しんで帰る、という新たな観光需要をつくりたいですね」

 沖縄では県内各地でマラソン大会が開かれ、美しい海を望める風光明媚なコースが人気を呼び、県外からの出場者も多い。宮古島駅伝の認知度が上がり、中継などを通して「ミヤコブルー」を横目に走る選手たちの姿を見る人が増えれば、ジョガーやランナーを呼び込む可能性はあるかもしれない。

“不毛の地”を脱却しつつある沖縄のレベル底上げに

 最後にもう一つ、宮古島駅伝が行われるメリットとして見逃せない点がある。沖縄の長距離選手の育成強化である。

 沖縄の陸上界は投てきや跳躍で国内トップクラスの選手が生まれることはあったが、長距離は極めて少なく、全国都道府県対抗駅伝でも40番台が定位置となっている。前述したように箱根駅伝に対する馴染みも薄い。1992年の第68回大会で初優勝を飾った山梨学院大学で沖縄出身の比嘉正樹が9区を走ったが、その後は箱根に出場する県勢はちらほらいるのみ。継続して有力選手を輩出する土壌がなく、長距離ランナー“不毛の地”と揶揄されることもあった。

 しかし、近年はその不名誉なレッテルを脱却する兆しが見え始めている。旗振り役を担うのは、沖縄本島北部にある北山高から國學院大に進んだ上原琉翔(2年)だ。まだ1年生だった昨年の箱根で7区に出走し、区間6位の力走で4位から3位に順位を上げた。沖縄出身選手が箱根路を駆けるのは実に5年ぶりで、今年の第100回大会も5区を担った。

 今年は上原と北山高時代の同期で、日本最南端の有人島・波照間島出身である日本大の大仲竜平(2年)も10区を走ったほか、同じく同期である國學院大の嘉数純平(2年)も登録メンバーに入り、力がある。沖縄では3人の母校である北山高が指導に力を入れていることに加え、亜細亜大学時代に関東学連選抜で箱根を経験し、実業団の小森コーポレーションでも走った濱崎達規が主催する陸上クラブ「なんじぃAC」を中心に中学年代の指導レベルも徐々に向上している。

 沖縄市にあるコザ高出身で、今回の宮古島駅伝に専修大1区で出走した具志堅一斗(1年)は「県外で活躍している沖縄出身ランナーだと、やっぱり上原さんや嘉数さんの名前が挙がります。僕もしっかり練習して大きな大会で結果を残し、名前を覚えてもらえるようにしたいです」と刺激を受ける。

 宮古島駅伝には沖縄の中高生もエントリーする沖縄選抜チームもオープン参加しているため、強豪大の選手と一緒に走ることで受ける影響は大きい。今大会で実行委員長を務めた宮古島市陸上競技協会の本村邦彦顧問も「沖縄出身選手もいいランナーが増えてきている。沖縄全体としても、宮古島としても、この駅伝から箱根を走る選手が育っていくといいですね」と期待した。

 規模が拡大して2年目を終えた宮古島駅伝。運営面では白バイの数を増やして安全管理を強化するなど、改善点も多く見えた。一方、参加者から「区間ごとで距離のバリエーションがあるともっとレース展開が白熱したり、各大学も参戦しやすくなったりするかもしれない」といった提言もあった。チームの遠征費などを賄うためにクラウドファンディングを実施したが、今後もいかに安定して運営費を確保するかも課題の一つになりそうだ。

 事務局は大会終了後、各大学にアンケートを実施し、チームにとってよりプラスになるような大会運営の在り方を追求していく方針だ。参加大学の強化、宮古島の活性化、沖縄長距離界のレベル向上など多方面に好影響が見込まれるだけに、大会の継続とさらなる発展が期待される。

(長嶺 真輝 / Masaki Nagamine)