芸術の分野におけるAIの創造能力とは(写真:demaerre/getty)

物理学や数学は、人間の実体験に縛られない発想によって発展してきた。ところで、AIは実体験によっては物事を理解していない。では、真の創造はAIによってなされるのか? 昨今の経済現象を鮮やかに斬り、矛盾を指摘し、人々が信じて疑わない「通説」を粉砕する──。野口悠紀雄氏による連載第109回。    

シンボルグラウンディングは可能性を縮める?

前回の本欄「ChatGPTでついに「英語」が習得できるようになる シンボル・グラウンディングを活用した勉強法」(11月26日)で、人間は「グラウンディング」する(実体験に結び付ける)ことによってさまざまな概念を理解しているのだと述べた。   

しかし、グラウンディングが常に正しい理解法とは限らない。また、そこから本当に新しいものが生まれるかどうかもわからない。

グラウンディングすると、わかりやすくなる。だから、わかりやすくするために、例を挙げるなどして、実体験に結び付けて説明する。学校でもそうした指導がなされる。しかし、それによって、実は、我々は本当の意味での可能性を縮めているのかもしれない。

科学史を改めて振り返ってみると、科学を進歩させた原動力は、日常経験からは離れた発想から生まれたことがわかる。

その典型例が、コペルニクスによる地動説だ。これは「コペルニクス的大転換」と言われるように、科学史における大きな転換点となり、後の科学革命への道を開いた。しかし、地動説は、日常体験の延長からは出てこない発想だ。つまり、「グラウンディングする」という理解法からは出てこない。

日常体験は、大地は絶対に動かないと教えている。太陽や月、星を観測すると、動いている。それは、太陽や月や星が地球の周りを回っているからだ。天動説は、そのように教えていた。

地球が丸いことは古代ギリシャ時代にすでにわかっていたが、地球が宇宙の中心になって、その他のものが地球の周りを回っているというのは、キリスト教の基本的な教義だった。だから、それに反論することはできなかった。

「地動説」が誕生したきっかけ

コペルニクスが地動説を提唱したきっかけは、当時の天文学の複雑さと不正確さに対する不満だったと言われる。

当時主流だったプトレマイオスの天動説は、地球を宇宙の中心に置き、他の天体が地球を中心に動くと考えていた。しかし、このモデルは、天体の動きを説明するためにエピサイクル(小円運動)を導入しており、非常に複雑なものだった。

また、 コペルニクスは、天動説が提供する予測が実際の天体観測データとしばしば一致しないことに気づき、より単純で正確なモデルを求めていた。コペルニクスは、地球が太陽を中心に動くというモデルが、天動説よりも数学的に単純で美しいと考えた。彼のモデルでは、天体の運動をより少ない仮定で説明できるのだ。

ガリレオの考え(重さの違う物体は、真空中では同じ速度で落下する)も、ニュートンの考え(力が働かない物体は、等速運動を続ける)も、日常の体験には反するものだ。しかし、これらによって物理学が進歩した。

相対性理論も同じだ。時間や空間が伸び縮みするというのは、我々の実体験からは理解できないことだ。私はいまだに理解できない。

数学ではどうか? 自然数(正の整数)は、明らかに実体験に即している。ものが1個、2個、3個とあるのに対応しているからだ。整数も実数も、体験的に把握できる。

では虚数はどうか? i(平方して -1 になる数)という概念は、実体験では理解できないものだ。

この概念は、16世紀のイタリアの数学者ジェロラモ・カルダーノによって初めて導入された。カルダーノは、3次方程式の解を求める過程で虚数に遭遇した。もっとも、彼は虚数について完全には理解していなかった。17世紀になって、レオンハルト・オイラーなどの数学者が虚数の理論を発展させ、現代数学における虚数の基礎を築いた。

虚数の導入は、数学を大きく発展させた。数学のみならず、物理学、工学、その他の科学においても、理論的な洞察と実用的な応用を大きく進展させた。

このように考えると、実際の体験からの脱却こそが、科学を進歩させてきたと考えることができる。

AIが創造活動をすることは可能か?

AIは、シンボルグラウンディングができないという意味で、人間とは異なる世界理解をしている。では、それに基づいて、新しい分野を切り拓くことがありうるだろうか?

AIは、すでにいくつかの分野で、創造と言えなくもない活動をしており、それらはすでに成果を上げつつある。

特に顕著なのが、「マテリアルズ・インフォマティクス(MI)」だ。AIによって無限ともいえる物質の組み合わせを試み、それに偶然の変化を与え、その中でものになりそうなものをピックアップするという方法だ。例えば、80億通りもの候補の中から最適な構造を見つけたなどといわれる。

生命科学の分野で取り入れられ、創薬などに活用されている。試料の作製に手間がかかり大量のデータを得るのが難しいなどの課題を抱える材料分野でも、成果が出始めている。

無限ともいえる組み合わせの中から役に立つのはどれかを見出すのは容易ではない。材料研究者は、これまで実験と考察を繰り返し、経験を積んで、求める特性を備える材料を開発してきた。マテリアルズ・インフォマティクスは、それを塗り替えつつある。これまで10年近い期間が必要とされる材料開発を、10分の1に短縮することが可能になっているという。

このように、「非常に多くの組み合わせの中から役立ちそうなものを選んでいく」というのが、AI的な創造なのだろうか? それは、材料選択以外にも適用が可能か?

「考えられるすべての組み合わせを試みることによって創造する」という手法が、すべての創造行為に適用できるとは考えられない。むしろ、ポアンカレが言うように、人間の創造過程で重要なのは、ある種の方向性を持って探索を行ない、無駄なものは最初から試みないという点なのではないかと考えられる。

それとも、AIの計算速度が非常に速いことが、このことを変えてしまうのだろうか?

生成AIの芸術作品は創造とは言えない

以上で述べたのは科学・技術の分野だが、芸術においても同じ問題がある。音楽は人間の最も原始的な感覚である聴覚の問題だ。美術は視覚の問題だ。音楽が抽象化し、絵画が抽象化しても、美しいと感じるか否かの基準は変わらない。いずれも、人間の感覚に「グラウンド」している。

生成AIは、芸術の分野においても、新しい創造物を作り出しているかのように見える。しかし、これも創造と言えるかどうかは疑問だ。

特に絵画においては、人間が作ったものを、人間の指示に応じて組み合わせていくというだけのものであるようにしか見えず、そこに創造の要素があるようには思えない。また、小説も人間が細かく指示しないと、読むに値するものはできない。面白いストーリーが出てこないのは、AIの本質的な問題点が関係しているのだろう。

面白いと感じたり、驚きや感動などの感情を持っていなければ、小説は書けない。人間がストーリーを考え、手取り足取り指導する必要がある。AIはそれに応じて見かけが正しい文章を出力してくれる。だが、ストーリーを考えるのは、人間だ。

このように考えると、芸術の分野でのAIの創造能力は、限定的なものだと考えざるをえない。


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(野口 悠紀雄 : 一橋大学名誉教授)