完成から約180年を経たロンドンのテムズ川底を通るトンネル。歩いて横断する見学ツアーが行われた(筆者撮影)

日本に初の鉄道が開業したのは1872年のことだ。当時の遺構である「高輪築堤」が品川駅近くで見つかったが、ロンドンにはそれよりさらに古く、19世紀前半に造られた鉄道構造物であるテムズ川の川底を通るトンネル「テムズトンネル」が現役で使われている。

筆者は11月末に開かれたチャリティーイベントを通じて、普段は足を踏み入れることができないトンネル内部を見ることができた。築後180年を過ぎても使い続けられているその秘密を垣間見た。

初の鉄道開業と同じ年に掘削開始

いうまでもなく、イギリスは鉄道発祥の国だ。ストックトン・アンド・ダーリントン鉄道がイングランド北部に開通したのは1825年のこと。その後各地に鉄道が次々と生まれ、やがてロンドンでは1863年、初の地下鉄路線が開業している。

19世紀、ロンドンでは人々の交通需要が高まる中、街を流れるテムズ川両岸の行き来に頭を悩ませるようになった。マストが高い貿易船が市内まで入ってくることから、下流に橋を建設することは避けたい。そこで発想として浮かび上がってきたのが「テムズ川の川底に人が歩けて馬車が通れるトンネルを造ること」だった。

ところが、川底だけあって地盤が柔らかい。トンネルを掘るのは不可能と考えられたが、おりしも、イギリスで活躍したフランス出身のエンジニア、マーク・イザムバード・ブルネルがトンネル掘削の技術であるシールド工法を発明した。同氏らは1818年、この工法で特許を取得している。


マーク・イザムバード・ブルネルが発明したシールド工法(画像:Illustrated London News掲載とされる歴史資料=Public domain)

テムズトンネルは1825年、川の南岸にある現在のロザーハイズ(Rotherhithe)駅近くに立坑の建設を開始。翌1826年には息子のイザムバード・キングダム・ブルネルと共に、対岸(北側)にある現在のワッピング(Wapping)駅に向け、本格的にシールド工法を使っての掘削に着手した。ただ、途中で大浸水が発生し、イザムバードも九死に一生を得るほどの大事故となる。財務問題も足を引っ張り、浸水からおよそ7年にわたってトンネル工事は放置される事態となった。

1834年の暮れ、イギリス政府から資金の借り入れに成功するや、翌年から工事を再開。その後も浸水や有害気体の発生などに悩まされたものの、工事再開から5年半後の1841年11月にトンネルはなんとか貫通した。その後、内装や照明などの工事を経て、明治維新より25年も早い1843年に歩行者用トンネルとして利用が開始されている。

歩行者用から鉄道トンネルへ変貌

トンネルは内部に馬車を通すという構想があったことから2本造られ、その断面は人の身長よりもはるかに大きい(幅7m×高さ11m)。しばらくは有料の歩行者専用トンネルとして使われてきたが、どちらかといえば見世物小屋的で物見遊山の人々があふれ、中には暗いトンネル内で犯罪に遭うこともあったという。馬車が走ることは歴史上一度もなかったとされている。


当初は歩行者用トンネルとして開通したテムズトンネル(画像:歴史資料より=public domain)

トンネルの使用開始から20年あまりを経た頃、当時ロンドンに乗り入れていた6つの鉄道会社がそれぞれの列車を相互乗り入れさせることを目的に「イーストロンドン鉄道会社(East London Railway Company)」を設立。テムズ川の南北を走る列車を直通させるため、テムズトンネルに線路を通すプランが浮上した。1865年には同社がトンネルを買収し、それから約4年をかけて線路を敷き、列車が走れるよう改装した。ただ、当時は電車や電気機関車がまだ実用化されておらず、初期のロンドン地下鉄と同様、蒸気機関車(SL)が煙を吐きながらトンネルを行き来していた。


列車が走るようになったテムズトンネルの北端にあるワッピング駅(画像:Illustrated London News掲載とされる歴史資料=Public domain)


当時、SLがここを走っていたことを実感できる場所がトンネルや駅などに残っている。トンネル南岸側のロザーハイズ駅に行くと、壁はあちこちが真っ黒なままで、地上にある同駅の駅舎に隣接するブルネル博物館にある立坑跡の壁も煙で黒ずんでいる。


かつて蒸気機関車が走っていたロザーハイズ駅の壁はあちこちが真っ黒なままだ(筆者撮影)

ちなみに、現在トンネル内を走っている車両(第三軌条から集電する電車、5両編成)は、地上を走る一般的な電車と同じサイズだ。俗に「チューブ」と呼ばれるロンドン地下鉄の小さなトンネル断面に合わせた車両よりはるかに大きい。


現在トンネル内を走っているロンドン・オーバーグラウンドの電車=ロザーハイズ駅にて(筆者撮影)


列車を運休して「トンネルツアー」

今も毎日列車が走っているこのトンネル内を歩いて見学できるツアーが開かれることは非常に稀だ。今回はロンドン交通博物館の催しの1つとして、チャリティーツアーの形で11月4週目の週末2日間に限って行われた。

一時期使われていなかったトンネルは、2010年にロンドン・オーバーグラウンド線の一部として運行を再開したが、その後内部を開放したのは2014年5月の3日間のみ。トンネルを歩くとなると、南北につながる線区を全面運休にし、第三軌条への通電も止めなくてはならない。一般の人々が歩けるように線路に降りるための特別の”ステージ”を設けたり、地面に取り付けられた機器類に特別なカバーをかけたりと大掛かりな準備が必要となる。


ロザーハイズ駅の線路上に作られたツアー用の”ステージ”(筆者撮影)

参加者が負担する費用は75ポンド(約1万5000円)と同博物館が主催するツアーとしてはかなりの高額だった。2日間のツアー本数やツアー1本ごとの構成人数を総計すると参加者総数は延べ1000人に達し、総収入は7万5000ポンド(約1500万円)となる。とはいえ、一般に開放される可能性が極めて低いところの公開とあって、発表と同時にほぼ売り切れ。数十人分の枠を慌てて追加したが、それもすぐに売れてしまったという。

ロザーハイズ駅の煉瓦の壁からは常に水が出ているのを日頃、筆者は目にしている。19世紀に鉄道構造物として造られた部分がそのまま露出しているのだから無理もない、トンネル内もきっとあちこち水浸しだろう、とトンネル内に入るにあたり、筆者はそう予想していた。

ところが、その予想は見事に裏切られた。約400mの川底トンネルのうち、ロザーハイズ駅とそれに隣接するブルネル博物館の直下部分だけは、歴史保護の見地から19世紀に造られた煉瓦組みが見えるように残されているものの、それ以外の部分は1990年代の改装の折、徹底的な防水加工を施し、その上にコンクリートを吹き付けた。歴史的経緯を知らずにトンネル内に入ったら「近年になって造られたのではないか」と思うくらいに手が入っている。


壁面はコンクリートが吹き付けられており、築180年以上経ったトンネルとは思えない=ワッピング駅にて(筆者撮影)

トンネルは2つの管が並行して掘られている、と筆者は思い込んでいた。ところが、入ってみると2つの管の間は60もの”横穴アーチ”が組まれており、反対側の線路も覗き込むことができる。アーチが小刻みに造られているため、チャリティーツアーに同行した女性運転士に「トンネル内で対向列車が来たらライトが点滅し、前が見にくくないか?」と尋ねたところ、「運転台が壁側(左側通行の左側)にあるので、まったく影響はない」と説明してくれた。


壁面の一部には、19世紀建設当時のレンガが見られるポイントもある(筆者撮影)

現役運転士も感慨深げ

建設当初の長さは366m、駅との接続部分を含めると400mあまりのテムズトンネルは電車の運転士から見てどうなのだろうか。ツアーを共にした女性運転士に話を聞いてみた。

ロザーハイズ―ワッピング間のダイヤ上の所要時間は40秒程度だという。しかしトンネル内部は常に真っ暗で「トンネル内はヘッドライトだけを頼りに走るのがつらいと感じることもある」と話していた。また、実際にトンネルを自身の足で歩くのは初めてだったそうで「(大英帝国が華やかし頃の)ビクトリア女王時代の遺構がこの目で見られるとは思わなかった」と感慨深そうだった。


ビクトリア朝時代からの歴史を感じさせるトンネル内(筆者撮影)

参加料の多寡はともかく、長い歴史を誇る鉄道構造物に触れる体験を提供することは鉄道会社としては決して簡単ではないだろう。普段入れないトンネル内を運転士らが嬉々として歩く姿は筆者の心を強く打った。関係者にとっても「この機会は貴重だ」と思わせる何かを見ることがこの先もあるだろうか。今回の見学会を成功に導いた人々に感謝すると共に、さらなる”すごいもの”が見られるチャンスを楽しみに待ちたい。


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(さかい もとみ : 在英ジャーナリスト)