11月28日の記者会見で新たな課題を持ち出した川勝知事(静岡県庁、撮影:小林一哉)

静岡県の川勝平太知事は11月28日の会見で、リニア中央新幹線について水資源保全の解決策「田代ダム案」を”条件付きで容認”した。川勝知事が田代ダム案に容認姿勢を示したことで、ほとんどのメディアは、最大の懸案だった「水問題の解決に向けて大きく前進する」と勘違いし、そのまま記事にしてしまった。

だが実際は、田代ダム案を高く評価する流域市町などの強い姿勢に対し、静岡県が抗することができなくなったため、表面的に、田代ダム案を容認する姿勢を見せかけただけである。

川勝知事は田代ダム案そのものを実施できないよう、新たな難癖をJR東海に押しつけたのだ。

「田代ダム案」が出てくるまでの背景


結局、水資源保全の解決策だった田代ダム案は宙に浮き、リニア問題の解決にはさらなるムダな時間ばかり要することになった。

いったい、何があったのか?

田代ダム案とは、川勝知事の「県境付近の工事中の湧き水全量を戻せ」に応えるという、リニア問題の水資源保全の解決策である。

JR東海としては、南アルプス断層帯が続く静岡━山梨県境付近で、静岡県側から下り勾配で掘削すると、突発湧き水が起きた場合、水没の可能性が高く、作業員の生命に危険が及ぶことを懸念して、山梨県側から上り勾配で掘削すると説明してきた。

約10カ月間の県境付近における山梨県側からの掘削で、まったく対策を取らなければ、最大500万立方メートルの湧水が静岡県側から流出すると推計した。この県外流出について、国の有識者会議は「大井川下流域の水資源にまったく影響はない」との結論を出している。

ところが、川勝知事は「静岡県の水は一滴も県外に流出させない」「湧水全量戻しができなければ、工事の中止が約束だ」と、JR東海を脅した。

このためJR東海は2022年4月、東京電力グループの東京電力リニューアブルパワー(RP)に田代ダムの取水抑制をしてもらい、最大500万立方メートルの水を静岡県内に戻す、「田代ダム案」を提案した。


水資源保全の解決のカギを握る田代ダムの取水口(静岡市、撮影:小林一哉)

川勝知事による河川法違反の疑いを持ち出した妨害が続く中、JR東海は東電RPとの詰めの協議に入り、今年9月末から、田代ダム案の具体的な実施策を流域市町など利水関係者へ説明して大筋の了解を得た。この結果、10月25日に大井川利水関係協議会(利水協議会)を開催し、正式に利水者の合意を得る手続きを進めるよう、静岡県に要請したのである。

染谷絹代・島田市長らは「利水協議会として田代ダム案に合意する。これで水資源保全の問題は解決の方向が見えた」などと期待を寄せた。

ただ、流域市町は利水協議会の開催を求めたものの、県は各利水者へ書面による確認で済ませてしまった。市町長らが一堂に会した会議となれば、県の思惑に沿った結論を導き出すことができなくなると考えたのだろう。

続きは「県専門部会とJR東海との対話で」

利水者から書面による田代ダム案の了解が出そろったところで、川勝知事は11月28日の会見で、「実現性を技術面から確認するため、引き続き、県専門部会でJR東海との対話を進めていくという姿勢で、スキームとして妥当であるとの(森下祐一・県地質構造・水資源専門部会長の)意見を尊重したい」と何ともわかりにくい表現で、県専門部会で不確定部分を議論することを前提にして、田代ダム案を容認する姿勢を示したのである。

それに先立つ11月20日付では、県専門部会の森下部会長から、「スキームとして妥当だが、5項目の協議が必要」とする意見書が静岡県に提出されたが、利水者にはまったく知らされていなかった。同意見書は11月29日にJR東海へ送った文書で明らかにされた。

つまり、この意見書を根拠に、県専門部会での説明をJR東海に求めたのだ。

その県専門部会は今年8月3日以降、開催されていない。5項目の協議事項は、森下部会長の”個人的な意見”で、県専門部会の機関決定ではない。

11月9日の会見で、記者から「(田代ダム案を)県専門部会にかけることを想定するのか」と尋ねられると、川勝知事は「県専門部会でおおむね了承されている、と承知している。目下のところは、正確に(利水協議会)すべての方々の意見をまとめて、JR東海にお返しする、それに私は従う」と答えていた。

2022年4月の田代ダム案の提案以来、県専門部会では3回開催、同案について重箱の隅をつつくような意見が繰り返され、JR東海はそれにていねいに答えていた。だから、川勝知事は今年11月9日、「県専門部会でおおむね了承されている、と承知している」と回答。利水協議会の大勢に従うと述べた。

ところが、11月28日になると一転して、森下部会長の個人的見解を根拠に、田代ダム案を認めることをやめてしまった。しかも県専門部会で説明を求めるというハードルを課しただけでは済まなかった。

28日の会見の後段で、川勝知事は「静岡県側の県境付近には大量の湧き水を含む破砕帯がある。静岡県内の高速長尺先進ボーリングは、大井川中下流域の水資源への影響だけでなく、上流域の生態系への影響も懸念される。県境を越えた静岡県内の高速長尺先進ボーリングの実施は、それらの影響を回避、低減するための具体的な保全措置が示された後でなければ認められない」と、事務方が用意した文書をそのまま読み上げた。

高速長尺先進ボーリングとは、南アルプスの断層帯の続く県境付近の地質や湧き水の状況を把握したうえで、トンネル掘削を行う前段の調査ボーリングを指す。山梨県内でJR東海は調査ボーリングを実施している。


県専門部会の強引な会議運営に批判が続出した森下部会長(静岡県庁、撮影:小林一哉)

森下部会長の「山梨県の調査ボーリングで静岡県の地下水がどんどん抜けてしまう」などの意見に従い、川勝知事は2022年10月から「山梨県内の調査ボーリングをやめろ」を強硬に主張している。

しかし、県専門部会の他の委員は「大量湧水に至ることはなく、コントロールできる」「地質を調べ、断層がどこから始まるのか、どんな対策が必要かなどのいろいろな機能があり、工学的科学的に必要」などと森下部会長とは意見を異にしている。

「山梨県内の調査ボーリングをやめろ」に続いて、川勝知事は「上流域の生態系への影響への保全措置が示されなければ、静岡県内の調査ボーリングを認めない」を”田代ダム案容認”と同時に宣言したのである。

ただ、田代ダム案での生態系への保全措置には、首をかしげるしかない。

生態系への保全措置まで新たに要求

田代ダム案は、南アルプスの断層帯に向かって山梨県側から上り勾配で掘削するから、濁水は山梨県へ流出してしまう。当然、静岡県の生態系への影響は、科学的にはまったくない。山梨県側も生態系への影響など、懸念していない。

また取水抑制で流れる水は、大井川にそのまま放流されるから、水質に変化などはない。県境付近の掘削は地下約1000メートル前後で行われるから、地上の植物等への影響も考えられない。

つまり、田代ダム案による生態系への影響云々は、川勝知事の頭の中で思いついたデタラメでしかないのだ。

何ともわけのわからない生態系への保全措置を盾に、トンネル掘削の前段となる調査ボーリングさえ現状では認めないと、川勝知事は田代ダム案を骨抜きにしてしまった。

利水協議会による「水資源保全の解決」合意を棚上げにしたうえで、県専門部会での議論を続ける。と同時に、川勝知事の求めた「生態系への影響への保全措置」という不思議な難題も、解決しなければならなくなった。

「水資源保全の解決」は大井川利水関係協議会に委ねられるが、その他の自然環境保全などは、県とJR東海との合意事項である。どのような無茶な要求でも、工事の許可権者である県から懸念を示されれば、事業者のJR東海はその対応を迫られる。

「田代ダム案」合意寸前で、またまた川勝知事が新たな難癖で待ったをかけたのである。このままではいつまでたってもリニア問題は解決しないだろう。


(小林 一哉 : ジャーナリスト)