ダッファーだった名優ジャック・レモンが伝えた「アマチュアゴルフの楽しみ方」
今から20数年前、ゴルフファンどころか、まったくゴルフをプレーしない人々までも夢中にさせたエッセイがあった。著者の名は、夏坂健。「自分で打つゴルフ、テレビなどで見るゴルフ、この二つだけではバランスの悪いゴルファーになる。もう一つ大事なのは“読むゴルフ”なのだ」という言葉を残した夏坂さん。その彼が円熟期を迎えた頃に著した珠玉のエッセイ『ナイス・ボギー』を復刻版としてお届けします。
夏坂健の読むゴルフ その35 ボタンの掛け違い
ゴルフとは、腕力に依存するゲームなり
ゴルフの世界にも「不滅の方程式」と呼ばれる事実が存在する。それは名手ボビー・ジョーンズが言ったように、スウィングのすべてはクラブを握った最初の3日間に決定されるのだ。
友人から「思い切り叩いてみろ」と言われて、好漢ジャック・レモンは次のように考えた。
「ゴルフとは、腕力に依存するゲームなり」
その日から現在まで、スウィングの矯正に追われるゴルフ人生が始まった。
「どうやら私は、スタートの瞬間から重大なミスを犯したようだ。周囲の忠告を無視して、一度たりともレッスンを受けたことがなかった。その結果は悲惨、いまは亡き偉大なる歌手兼ゴルファー、ビング・クロスビーによると、私は右体重のままドライバーからパターまでプレーする希有なゴルファーであるらしい」
ジャック・レモンの名は俳優として広く知られているが、実はハーバード大学に学び、海軍士官時代には有能な参謀将校として多くの作戦に従事、数々の勲章に輝いている。
やがてラジオの司会者、俳優、ピアニスト、作曲家、オーケストラの指揮者までつとめ、48本の映画に主役として出演、2度のオスカー受賞に輝いた。またカンヌ映画祭でも2度、最優秀主演男優賞を受賞している。
「ビング・クロスビーが、ペブルビーチを最後の舞台に選んだプロアマ選手権開催に踏み切って間もなく、私のところにも招待状が舞い込んだ。
以前に一度だけプロアマ戦に出場したことがあったが、そのときのパートナーが豪快なゴルフで知られるゲイ・ブリューワー選手だった。1番ティで、私は興奮のあまり失神寸前、2度も空振りして家に帰ろうと思ったが、彼に引き止められてどうやらホールアウトした。当日のスコアが137、最下位だった。
この悲しい物語を聞けば、私がザ・クロスビーに招待されたあと、試合が近づくにつれていかに錯乱状態にあったか、想像していただけるだろう」
試合が始まる週の月曜日、彼は日没まで練習した。火曜日も日没まで練習した。水曜日にはまだ太陽が出ていなかった。そして木曜日、いよいよスタートする間際になって雨足が一段と強まったが、彼は何も覚えていない。最初の5ホールで15オーバーの成績は上出来だった。
「試合会場のサイプレスポイントは、プロに言わせても難ホールばかり。しかも激しい雨によって、各所に水たまりが出現する最悪のコンディションだった。
あれは7番かな、私のボールは森のはずれの沼地に飛び込み、潜っても不思議はないのに白く浮いて見えた。そこで泥濘と戦いながら現場に到着した私は、8番アイアンを手に何度か脱出を試みた。
そのうちに、何か得体の知れない異変が発生していることに気づき始めた。いまやグリップが私の喉に触れようとしている。ということは自分の体がどんどん沈下しているわけだ。
キャディが差し出してくれたクラブにしがみつき、ようやく沼地から引き抜いてもらったのはいいとして、泥の中に片方のスパイクを置いてきてしまった。そこで次の2ホールが終わるまで、私は片足ソックスの姿でプレーするしかなかった」
その翌日、試合会場はスパイグラスヒルに移ったが、スコアはさらに増えて、いまや天文学的数字とアナウンサーが喚いた。彼は同伴競技者に合わせる顔がないと思い、翌日のペブルビーチ出場は見合わせたいと申し出た。
「なぜ、このトーナメントにアマチュアが出ているのか、その意義について考えてもらえないかね?」
健在だったホスト役のクロスビーが言った。
「スコアはプロにまかせて、アマチュアらしい健康的なゴルフに徹してくれないか。もしゴルフがスコアだけのゲームだとしたら、われわれの立つ瀬がないではないか」
ゴルフとピアノだけは、最初の3日間ですべてが決定される
ペブルビーチの14番は、右ドッグレッグの長いパー5である。彼方からやって来たジャック・レモンの姿が、初めてテレビカメラに納められた。アナウンサーのジム・マッケイは、ゲストのジョー・モンタナ(1980年代に活躍したアメリカンフットボールのスーパースター。NFL史上屈指のクオーターバック=編集部注)に向かって言った。
「いよいよ名優の登場です。これから彼は第2打に取り掛かります」
その声が、近くにいたカメラマンのモニターからレモンの耳に届いた。すると彼、近くのマイクに近づいて叫んだ。
「これから打とうとするとき、間違った報道はショットの邪魔になる。これは2打目ではない、6打目だ!」
ようやくホールアウトした瞬間、彼のアマチュア・パートナーだったジム・ガーナーが抱きついて言った。
「ジャック、きみは日々進歩したではないか。きのうまでの1ホール平均15打から、きょうは平均12打。1日で50打以上も縮めたなんて奇蹟としか言いようがない!」
ゴルフから足を洗おうと思っていた彼にとって、これ以上の励ましの言葉はなかった。
「ゴルフはデリケートなゲームだ。あのちっぽけなボールを打つには才能が要求される。しかし、平凡なダッファーにあるのは忍耐力だけ。だとしたら高望みなどしないで、ひたすら真面目に打ち進むしかない。ザ・クロスビーには1963年から連続出場しているが、私が学んだのはこうした哲学ばかり、決してショットのバラエティではなかった」
偉大なるダッファー、ジャック・レモンは、1975年ごろからゴルフ雑誌にも寄稿するようになった。上手な人にはわからない悲哀こそ、彼の独壇場である。たとえば哀愁漂う体験が次のように語られる。
「私のボールは、まだカップまで7メートルの距離にあった。いくら眺めても結果は同じだが、私にも多少の見栄がある。そこでキャディに尋ねた。
『これ、どっちに曲がる?』
すると彼、面倒くさそうに答えた。
『どっちに曲がっても同じさ』
彼にはダッファーがシングル以上に傷つきやすい人種だとは想像できないらしい」
あるいは、自らの悲惨な体験について、次のように述べている。
「ゴルフとピアノだけは、最初の3日間ですべてが決定される。これは事実だ。もし私が周囲の忠告に従って、あのときレッスンプロについたとしよう。まったく同じ時期に始めた俳優のジョージ・マーシャルが週に3回、立派なプロについて1年間も学び、2年後にハンディが14になった事実が私の言葉を証明する。自己流で始めた者は、結局のところレッスン書に依存して、いつまでも振り回されるしか道はないのだ。
ゴルフにおけるボタンの掛け違いは、人間関係以上にミスが増幅されて、ついに満足しないままゴルフ人生と決別しなければならない。第2のジャック・レモンにならないためにも、皆さん、最初の3回だけは正しい基本の習得に取り組むべきだ。すでに経験ばかり豊富だが、基礎からやってない人には、とりあえずメンツを捨てて、口やかましくないレッスンプロにつくよう、心から進言したい」
40年間、ついに彼は100の壁が越えられないダッファーで終わると書いているが、しかし、アマチュアの楽しみ方を教えてくれて誠に申し分ない教師である。
(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)
夏坂健
1936年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。