「規則正しい生活」を長年続ける意外な落とし穴
多くの日本人は物心ついたときから「早寝早起き朝ご飯」の習慣を推奨されてきたが(TATSU/PIXTA)
「規則正しい生活をしよう」。子供の頃から、親や先生にこう言われて育った人は多いのではないでしょうか。私も盲目的に信じてきた一人です。しかしグローバル人材育成の仕事に長く取り組む中で、「実は間違っていないか?」と思うようになりました。
きっかけはシンガポールで実施した1週間の海外研修で、参加した受講生が何気なく発した一言。
「やっぱり1時間とは言え、時差は感じますね!」
(※シンガポールは日本と1時間の時差があります)
「え、たった1時間の時差を感じる?それはないでしょう」と思ったのですが、ふと「もしかして……」と、その人に聞いてみました。
「〇〇さん、日本では規則正しい生活をしていますか?」
すると予想どおり「はい、かなり規則正しい生活をしています」でした。規則正しいことは決して悪いことではないでしょう。ただ、そのときに思ったのは、規則正しい生活をしていると「変化に弱くなるのではないか?」ということです。
時間も思考もバッファが大事
私は日本にいる時は週に4〜6日、合気道の朝稽古に行っており、稽古がある日はいつも5時過ぎに起きています。でも、朝稽古に行かないときは7時半に起きます。そして、仕事も朝稽古もない日曜日は10時か11時まで寝ています。
それだけで2.5時間とか6時間の差があるので、たとえば日本とは3時間半の時差があるインドに行ってもほとんど時差を感じません。なぜなら、いつも不規則で時差のある生活をしているから、3時間半くらいであればいつもの不規則の範囲内というわけです。
別に自堕落でぐうたらな生活が良いと言っているわけではなく、あくまでも時間を事例とした話です。しかし時間に限らず、思考や行動など何事にもバッファというか遊びや幅が大切で、「こうあるべき」「普通はこう」と決めつけてしまうと、心身ともに変化に対応しにくくなってしまうのではないかということです。
日本の常識は世界の非常識!?
海外赴任前研修で「異文化理解」というテーマがあります。駐在先の文化・風習を知っていないと仕事がスムーズに進まないということもありますが、それ以上に大切なことは「日本ではこんなふうに仕事が進むかもしれないけど、駐在先の国ではそうではない可能性がある」と知ってもらうことが目的です。
あなたが考える常識や普通、正しいことは、必ずしもそうではないという先入観や固定観念を外すために実施します。
実際、海外に駐在したばかりの人が「日本人は〇〇なのに、こっちの人は〇〇だ」と批判する場面に出くわしたことは少なくありません。日本と比較して他国を批判する人がいる一方、世界と比較して日本はダメだと悪く言ったり、「日本の常識は世界の非常識」などと言う人もいます。それはそれで言いすぎな感があり、私は好きではありません。
そもそも常識なんて時代や場所によって異なるので、「これが正しい」というものはありません。
たとえば私が育ったアルゼンチンでは、招待されたホームパーティーに時間どおり、ましてや時間前に行くのは逆に失礼と言われたことがあります。「まだ準備しているんだから、もう少しゆっくり来て」となるわけです。
スペインでもレストランがオープンする20時ちょうどに入ったら、まだテーブルセットしている最中だったなんてこともありました。もちろん私たち以外、客は誰も来ていません。
「信じられない。もうオープンの時間なんだから、その前までにちゃんとやっておこうよ。日本だったら……」なんて言いたくなっても、それはあくまであなたが勝手に「そうであるべき」と思っているだけです。
それではアルゼンチンやスペインが普通で、日本が普通じゃないのかと言ったら、それもそれで違いますよね?「みんな、違う」ということです。
昔の日本人だって時間にルーズ
もう1つ別の話になりますが、私たちがなんとなく思っている「日本人は時間を守る」というのだってそもそも本当にそうなのでしょうか。中には時間を守らない日本人がいるという意味で言っているのではなく、一般的に「日本人は時間を守る」というのはそうだと思うのですが、実は昔はそうではなかったらしいのです。
江戸時代末期、長崎海軍伝習所の教官として来日したオランダ士官ウィレム・カッテンディーケの著書『長崎海軍伝習所の日々(日本滞在記抄)』を読んだところ、「日本人の悠長さといったら呆れるくらいだ。我々はまた余り日本人の約束に信用を置けないことを教えられた」と書き記していました。
彼に限らず、幕末から明治初期にかけて日本を訪れた西欧人たちが同じようなことを書いているそうですが、今から150年前の日本人は時間にかなりルーズだったようです。だから日本人が時間を守るというのも「今の日本人は」ということで、もともと持っている性質でもないのです。
私たちは自分の経験から物事を判断します。ごく当たり前のことですが、困るのは他人にも「そうであってほしい」と期待することです。海外駐在した時に現地の人たちに期待するだけでなく、日本でも世代の離れた部下や異業種の人たちに対しても同じ思いを抱きがちです。
年齢が上になればなるほど、仕事の経験値も上がります。そして「これはこうあるべき」「これはこういうもの」という固定観念も徐々に生まれてきます。それが間違っているわけではありません。確かにそのとおり!ということもたくさんあるでしょう。
ただ年齢が上がり、仕事の経験値が上がったとしても、あくまでそれは限定的なものです。この業界や組織、地域など、すごく限られた範囲での話なのです。もしかしたら他業界では違うかもしれないし、他の組織や地域ではまったく違う可能性もあります。
それなのに自分の限られた経験だけで「普通はそうはやらない」などとすべてを判断してしまったら、まさに井の中の蛙です。そもそも世の中に「普通」などないのです。
「変化に弱い」は致命的
心だけでなく、身体だって同じことが言えます。いつも7時に起きるという生活をしていたら、7時起床が身体にとって普通になり、それよりも早くなったり遅くなったりするだけで体調に影響が出るというわけです。つまり、変化に弱い。
変化がない生活を一生続けるならいいかもしれません。でも、いくら自分がそうしたくても、今、変化が激しく予測できないと言われる世界に生きている私たちにとって「変化に弱い」というのは、ビジネスパーソンにとってはかなり致命的です。
「そんなことは言われなくてもわかっている」という声も聞こえてきそうです。なぜならチャールズ・ダーウィンの名言「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである」は、読者の方には周知のことと思うからです。
でも頭でわかっていることと、心や身体がそれについていけるかは別問題です。あなた自身は知らず知らずのうちに変化に適応できない人になっていませんか?
(豊田 圭一 : 株式会社スパイスアップ・ジャパン代表取締役)