ウィーンで人気を集める「おばあちゃんカフェ」ことフォルペンションでは、一般的なカフェでは提供されなくなった、懐かしいケーキなどが提供され人気を集めている(写真:フォルペンション提供)

オーストリアの首都ウィーンに、昔懐かしのケーキや焼き菓子を出すカフェがあり、地元の人のみならず、観光客からも人気を集めている。

「Vollpension(フォルペンション)」と銘打ったカフェで働くのはほとんどがシニア女性だ。伝統の味と空間をよみがえらせただけでなく、社会から孤立しがちな高齢者がほかの世代と交わる場になっていると、世界からも大きな注目を集めている。ウィーンの「おばあちゃんカフェ」には、高齢者大国である日本でも活用できるヒントが詰まっている。

ウィーンから消えた「懐かしの味」

子どもの頃の思い出は特定の食べ物と結びついている。私がオーストリアで育った1970年代から1980年代にかけて、昼食には甘くて温かい料理を食べるのが普通だった。

アプリコットやプラム入りの甘い団子、ケシの実のソースがかかった甘いチーズニョッキ、あるいは「カイザーシュマルン」と呼ばれる厚くて柔らかいパンケーキをちぎってそのまま、あるいはリンゴのソースと一緒に食べていたものだ。

甘くて温かい料理は学校でも週に一度は出された。すべてのオーストリア人にとって、これらの料理は子どもの頃の思い出のとても大切な一部なのだ。

ところが、今日のオーストリアでは、たとえ首都のウィーンでさえ、こうした定番料理の多くをレストランやカフェで見つけることは難しい。こうした料理は作るのに非常に時間がかかり、誰もが持っているわけではない一定の技術を必要とするうえ、多くの人はこうした料理をあまりヘルシーだと思っていないからだろう。

オーストリア人の起業家、モリッツ・ピフル=ペルチェヴィッチ氏とマイク・ランナー氏もまた、大都市で懐かしの料理を見つけるのが難しいと感じていた。彼らは私と同じように、30年ほど前に田舎からウィーンに移住した。彼らはウィーンには故郷で食べたような味のお菓子がないだけでなく、ウィーンでは異なる世代間の交流がほとんどないことにも気がついた。

おばあちゃんは今でも最高のお菓子を作ってくれるーー。この点で2人の意見は一致している。「オーストリアでは、おばあちゃんがいつも手作りのお菓子を作ってくれるんだ」と、創業者の1人、ピフル=ペルチェヴィッチ氏は言う。「私たちが恋しかったのは、おばあちゃんのお菓子から生まれる感動だったのです」。

店名に込めた「思い」

すでに起業家だった彼らが、おばあちゃんの手作りケーキでカフェを開くというアイデアを具体化するのには時間はかからなかった。シニアの女性を雇ってケーキを焼いてもらい、それをカフェで提供する、というアイデアは2012年、ウィーン・デザイン・ウィーク2012でのポップアップ・カフェという形で初めて実現した。


フォルペンションではさまざまな「懐かしの味」が提供されている(写真:フォルペンション提供)

「最初のおばあちゃんたちを見つけるのは簡単ではありませんでした。スーパーマーケットに最初の告知を出しましたが、反応はありませんでした。その後、オーストリアの大きな新聞の求人ページに広告を出したら、最初の応募が来たんです」とモリッツ氏は話す。「オーストリアには、年金に加えて、仕事を探している高齢女性がたくさんいることも明らかになりました」。

初のポップアップ以降も、「グランマ・ポップアップ・カフェ」は、古いフォルクスワーゲン・バスを使い、ウィーン観光局とも協力してオーストリア全土を回っていた。ケーキはどこでもすぐに売り切れた。この成功が原動力となり、長い場所探しの末、ほかの仲間も集めて2014年にウィーンに最初のカフェ「Vollpension(フォルペンション)」が設立された。


モバイルカフェも展開(写真:フォルペンション提供)

Vollpensionという名前はよく選んだものだ。Vollpensionという言葉は、「full」と「pension」からできている。ペンションはオーストリア語で年金(退職)を意味するが、民宿にも使われる。Vollpensionは「年金満額」という意味と、「民宿で朝昼晩の食事が完全に提供される」という意味があり、このカフェにはぴったりの名前だ。

フォルペンションのコンセプトは、おばあちゃんとケーキ。まるで「第2のリビングルーム」のように、「一緒に食事をし、笑い、充実した時間を過ごす場所」を目指している。また、子どもの頃と同じように、おばあちゃんがケーキを焼く姿を見ることができる居心地の良い場所でもある。


フォルペンションの店内。リビングのような居心地のよさを目指している(写真:フォルペンション提供)

2014年にフォルペンションが設立されてからというもの、働くことに興味を示すシニア女性は増えている。

彼女たちの動機は実に多様だ。もちろんお金も理由の1つ。オーストリア(人口800万人)には、1人暮らしの高齢女性が50万人いるが、このうち25%は貧困ライン以下で暮らし、さらに25%は貧困ラインより少し上で暮らしている。

老後の貧困は女性に多く、シニア世代の女性の多くは過去数十年間、まったく働いていないか、ほとんど働いたことがない。フォルペンションはこうした女性たちに働く場を提供している。

誰かに必要とされているという実感

しかし、完全リタイア後に働くことの魅力はお金だけではない。チームの一員となることや、必要とされているという実感も働くモチベーションとなっている。

「私はお菓子作りのおばあちゃんで、週に2回、カフェのお客さんの前で生パンを焼きます。他のおばあちゃんたちは、お客さんを迎えたり、時にはサービスで働いたりしています。ここで働くと若返るような気がするの」と、フォルペンションで働くキャスリンさん。

「60歳になったとき、これからは下り坂なんじゃないかと思ったんです。でも、姪がシニアの女性がパンを焼いたり働いたりするカフェのことを教えてくれたの。『おばあちゃんにちょうどいいんじゃない?』と言われて働くことになったんです。

家ではいつもバナナチョコレートクリームケーキを作って家族に食べさせていました。だからここでバナナチョコクリームを焼くのが特に好き。ここのカフェにはいろいろな人がいて、たくさんの若い人たちと接することができるのが特に気に入っています。フォルペンションで働くことは、私の人生をとても豊かにしてくれます」


キャスリンさん(写真右)。ショーケースにはキャスリンさんのお手製バナナチョコレートケーキも並んでいる写真:筆者提供)

現在、カフェで働いている高齢者は55人。初期の頃の女性たちはもういないが、今でも多くの人たちと仲が良く、遊びに来ることもある、とモリッツ氏は言う。

そして、フォルペンションで働きたいという需要は途切れることがない。2店舗目を出店する際求人には、300〜400人の男女の高齢者から応募があったという。このコンセプトはメディアや世界からも注目されており、CNNも報じている。

フォルペンションはまた、「本物の家庭の味」、本格的なウィーンのケーキやコーヒーを試したい、という観光客からも人気が高い。なぜなら、提供されるケーキや料理の多くは、ウィーンの中心街のカフェではもはや提供されていないからだ。

コロナ禍で2店舗目閉店→新領域に挑戦

しかし、どんな企業でもそうであるように、フォルペンションの経営にも多くの課題がある。ウィーン中心部のケルトナー・シュトラーセ近くに2店舗目がオープンしたのは2019年で、わずかその3カ月後にはコロナ禍のために閉店せざるをえなくなった(現在は営業を再開)。

「本当に大変でした」と創業者メンバーの1人、デビッド・ホーラー氏は振り返る。「しかし、それによって私たちは新しいビジネス領域に参入することを余儀なくされました」。その結果、生まれたのがオンラインのパン教室だ。

コロナ禍のステイホーム期間中は多くの人が料理やお菓子作りに挑戦したが、フォルペンションはこの機会を利用し、何人かのシニア女性、男性とパン作りの教室を立ち上げた。この教室は現在、リアルでも、オンラインでも英語で受講できる。そして、何人かの女性たちはソーシャルメディアのインフルエンサーとなった。


パン教室の様子(写真:フォルペンション提供)

私と同年代のオーストリア人が子どもの頃によく食べた特別な料理が「Buchteln(ブフテルン)」だ。ブフテルンは、プラムジャムを詰めた温かいイーストケーキで、熱いバニラソースがかかっている。特に家庭で食べるオーストリアの代表的なお菓子の1つだろう。


ウィーンの伝統菓子の1つ、ブフテルン(写真:Jacopo Ventura/Getty Images)

焼くのが簡単でないため、現代のガストロノミーからはほとんど姿を消してしまったが、フォルペンションはこの料理を再びはやらせた。ブフテルンはカフェに常備されており、企業ではイベント用におばあちゃん付きの移動式ブフテルカフェ(Buchtel-to-Go)をレンタルすることもできる。取材中、素敵な女性が私にブフテルンを振る舞ってくれた。30年ぶりに食べたその味の懐かしくて、おいしかったこと!


移動ブフテルカフェ(写真:フォルペンション提供)

パンデミックをきっかけに、社会的企業のイノベーションが急増し、それは現在も続いている。とはいえ、フォルペンションを含むソーシャル・ビジネスには、つねに収益性の問題がつきまとう。

「私たちのカフェの価格は、ほかよりも高いのです。私たちは本当にすべてのケーキを自分たちで、その場で作っているので」とホーラーは言う。「私たちは消費者にこのことを詳しく説明しなければなりませんが、誰もが高価格に理解を示すわけではありません」。こうした中、フォルペンションはイベントやコラボレーションなども通じて、さまざまな価格を試している。

こうしたチャレンジに直面しているものの、高齢者の孤立を防ぎ、社会とのつながりを確立しているという点で、フォルペンションは大きく成功していると言っていいだろう。


フォルペンションは多世代が集う場所になっている(写真:フォルペンション提供)

日本でも通用するビジネスモデル

フォルペンションは、過ぎ去った時代の居心地のいいカフェの魔法を蘇らせただけでなく、日本の社会的企業のモデルとなるような刺激的なビジネスモデルも生み出した。

世代を超えたコミュニティ、質の高い職人技、社会的コミットメントというユニークな組み合わせにより、フォルペンションは、カフェがたんにコーヒーとケーキを楽しむ場所である必要はなく、社会的統合と支援のプラットフォームにもなりうること、そして社会的企業がいかに世界を変えることができるかの生きた見本にもなりうることを証明した。

世代を超えた経営コンセプトは、高齢者の孤立が問題となっている日本でも世代間の懸け橋となりうるのではないだろうか。

(パリッサ・ハギリアン : 上智大学教授(国際教養学部))