亀山睦木氏が監督・脚本を務めたSF映画『12ヶ月のカイ』は海外の映画祭で13の賞を獲得した(写真は同作の一場面)

イギリスのロボット科学者であるピーター・スコット-モーガン博士は、全身の筋肉が動かなくなる難病ALSで余命2年を宣告されたことを機に、人類で初めて「AIと融合」し、サイボーグとして生きる未来を選んだ(詳しくは「人類初『AIと融合』した61歳科学者の壮絶な人生」参照)。

「これは僕にとって実地で研究を行う、またとない機会でもあるのです」

彼はなぜ、そんな決断ができたのか。ピーター博士は自らの挑戦の記録として、著書『NEO HUMAN ネオ・ヒューマン――究極の自由を得る未来』を遺した(2022年6月、惜しまれながら逝去)。

そんな本書を「映画的な作品だ」と語るのが、監督・脚本を務めたSF映画『12ヶ月のカイ』でアメリカのフェニックス映画祭・国際ホラー&SF映画祭最優秀SF作品賞を受賞、その他の海外の映画祭でも13の賞を獲得した、亀山睦木氏だ。

日本が世界に誇る新進気鋭の映画監督は、ピーター博士の挑戦をどう読んだのか。話を聞いた。

可能性に勇気をもらった

『ネオ・ヒューマン』は、ノンフィクションでありながらエンタメ性もある、とても映画的な作品だと思います。生きることに対する希望と、ちょっと間違えば死に至る現実とが隣り合わせにあるという危機迫る感じを、うまくフィクション的に読ませてくれます。


『NEO HUMAN ネオ・ヒューマン――究極の自由を得る未来』(画像をクリックすると、特設サイトにジャンプします)

著者のピーターさんは、当初、自分の体に起きている異変の原因がわからず、いろいろ検査をして、ようやくALS(筋萎縮性側索硬化症:全身の筋肉が動かなくなる難病)であることを突き止められます。実は、私も似たような体験をしました。

以前から体がおかしいという自覚があり、今年の初旬に救急搬送されて、時間をかけていろいろな検査を受けた結果、シェーグレン症候群という難病であることがわかったのです。その入院中に読んだのが『ネオ・ヒューマン』でした。

自分にとって、とても身近な話と感じましたし、希望を捨てずに生きようとすると、何かが起こるんだと思いました。読んでいたときは、しゃべることもできない状態で、自分はどうなるのかという瞬間にいましたから、本書からはとても勇気をもらいました。

ピーターさんは、いろんな意味で運の良い人なんだと思います。まず、しっかりとしたパートナーがいたこと。ご家族とのコミュニケーションがとれていたこと。

また、彼自身がエスタブリッシュメントの中で育った研究者であり、かなり恵まれた環境にいて、必要な情報がより得られやすいこと。

これだけの環境がなければ、彼ほど前向きに、自分の体と自分の脳、アイデンティティをこの世に残そうとは考えられなかったのではないでしょうか。

そんな中で、ピーターさんがやってくださった、さまざまな人間の体の機能を機械に置き換えるという方法は、今でも継続して研究されています。

その研究や情報が、もう少し一般的になってくれば、一般の方でも扱えるようになるでしょう。それによって、多くの方が生きやすくなるのではと思います。

SFとは「人間とは何か」を問うもの

私が監督・脚本を務めた映画『12ヶ月のカイ』は、アメリカのフェニックス映画祭・国際ホラー&SF映画祭で最優秀SF作品賞を受賞しました。

その映画祭のディレクターの方が、こんなことを言っていたんです。SFというのは、クリーチャーやモンスター、特殊なVFXやCGだけではなく、「人間とは何か」を問いかけるものだって。

それは『ネオ・ヒューマン』にも『12ヶ月のカイ』にも共通する部分だと思います。

『12ヶ月のカイ』では、人間の女性キョウカが、ヒューマノイドのカイに恋愛感情を持つようになり、やがて、人間とヒューマノイドの間に子どもができてしまいます。その子どもは、いったいどういう存在なのか。

起こる出来事はSF的ですが、描いているのは、キョウカが周囲の友人や家族と、どういう会話をして、最後になにを決断するかというもので、ヒューマンドラマとも言えます。

一方、『ネオ・ヒューマン』は、人間の体を機械とAIとに置き換えてゆき、サイボーグとして、人間の原型を失ったときにどうなるのだろうかということを考えさせられます。

『12ヶ月のカイ』を見てくださった観客からは、「こういう作品を観たことがなく、どう言語化すればいいかわからない」というご感想をいくつもいただきました。

この混乱や困惑がなければ、人はどこにも行けないような気もしています。

『12ヶ月のカイ』は、アメリカの映画祭で上演された際、ヒューマノイドのカイの存在について「クールで、キュートで、クリーピー(ぞっとする)」という言葉をいただきました。最高の誉め言葉だと受け取っています。

ロボット工学の世界には「不気味の谷」という現象があります。

ロボットの見た目が、現実の人間に近づいていくにつれて、人間は、そのロボットに対する親密度を高めていきます。ところが、あるポイントに達すると、その親密度が折れて、ガクッと「不気味の谷」へ落ちていく。人間に似たそのロボットを、不気味だと感じる臨界点があるのです。

どこまでを不気味と感じ、どこからまた「人間らしい」と思えるようになるのか。つまり、どんな存在なら「不気味の谷」を越えられるのか。そんなことも考えさせられました。

人間を人間たらしめるものとは?

『12ヶ月のカイ』では、ヒューマノイドのカイが人間のキョウカにクローゼットに押し込められて、「僕はキョウカの何なのか?」と思うシーンがあります。

ヒューマノイドですから、人間的な感情を出してはいけないのですが、カイを演じた工藤孝生さんは、セリフを言うにあたってどうしても感情を隠せず、チューニングが難しくてとても苦労されていました。

工藤さんにとって、ヒューマノイドとしてのお芝居は手探りとなり、どう演じればいいのか、戸惑いと混乱がずっとあったようです。しかし、自分の正解を探そうとするその姿が、カイがキョウカの幸せを実現するために、何か情報を求めているという設定とマッチしてもいました。

『12ヶ月のカイ』は、結末を書かずに撮影を始めました。最初の4カ月分だけの脚本を書き、あとは撮影しながら、主役のお2人と、この後どうなっていくと思うかをディスカッションして、続きを書くということをくり返しました。

当初、私はSFロマンスになると思っていましたが、その役として生きるお芝居をしている2人の感じ方を拾いながら撮影していくうちに、想像とはまったく違う展開になりました。

人間が想像できることは、人間が必ず実現できる

そんなこともあり、今のところは、ヒューマノイドやAIよりも人間の想像力のほうが勝っていると私は思っています。

人間の想像力は、とんでもない力を持っています。80年代、SF映画が隆盛し始めたころに描かれていたようなことが、今では現実の社会問題になっていたりする。


映画『12ヶ月のカイ』9/30(土)より下北沢トリウッドにて2週間、11/4(土)より名古屋シネマスコーレにて1週間限定で公開。上映スケジュールに関する詳細はこちら

一方、AIは、デジタルに落とし込んだものの中からしか学習できません。深海に何がいるのか、宇宙や人間の体はどうなっているのか。この世界には、人間にとってもわからないことのほうがまだまだ多いのです。

『ネオ・ヒューマン』で描かれていたピーターさんのAIも、現段階では、その先を決めるのは人間です。パートナーのフランシスさんが、どうコミュニケーションするかにかかっているわけです。

そして、人類は、人類が思っているよりも、もっといろんなことができるのではないかとも思いました。

人間が想像できることは、人間が必ず実現できるという名言がありますが、そのとおりではないかと思います。

(構成:泉美木蘭)

(亀山 睦木(亀山 睦実) : 映画監督)