資本主義社会において幸せなのは「お金持ち」ではなく…(写真:metamorworks/PIXTA)

高齢者専門の精神科医として6000人以上の患者を診てきた和田秀樹さんが上梓した『60歳からはやりたい放題[実践編]』。前作『60歳からはやりたい放題』に続いて、具体的に「どうすれば60代以降の人生をさらに楽しめるのか」「どんな点に気を付けるべきなのか」を、60個のコツにして解説しています。同書より一部抜粋・再構成してお届けします。

お金をバンバン使って幸せに

長年、老年医学に携わり、多くの患者さんが死ぬ前に後悔していたことがあります。その1つが「お金をもっと使っておけば良かった」という後悔です。

将来が不安だから……と、お金をどんどんため込んでいたものの、気が付けば自分も年を取り、体の自由も利かなくなっている。もはや海外旅行にも行けないし、美食を楽しめるほどの胃袋も気力もない。おしゃれをしても出かける場所がない。会いたかった人もすでに他界してしまい、会うべき人もいない。

つまり、あまりに年齢を重ね過ぎると、お金を使って楽しむことができなくなってしまいます。だからこそ、体も心も現役に近くて元気なうえ、時間や経済的にも若い頃より余裕がある60代のうちに、お金をどんどん使って人生を楽しむべきだと私は思います。

60代になれば、大半の方には年金が支給されます。国家が破綻しない限り、年金は支給され続けます。もちろん50年後の日本でまだ年金制度が存続しているかは分かりませんが、少なくとも、いまの60代が生きている限りは、間違いなく年金は支払われ続けるでしょう。だったら、無理してお金をため込む必要はないのです。

さて、あなたが、いま一番やりたいことは何でしょうか?

「世界の秘境に行ってみたい」

「新たにギターを習ってみたい」

「友達を集めておいしいものを食べに行きたい」

などなど、どんな夢でも結構です。お金はためることより、使うことで幸せになれる存在です。「これをやりたい」「あれをやりたい」と思う気持ちを、ぜひ実現させてください。

資本主義社会で幸せなのは「お金をたくさん使う人」

勘違いされている人が多いのですが、資本主義社会において、「お金をより多く持っている人」が幸せになれるわけではありません。それよりも「お金をより多く使った人」のほうが幸せになれます。

さらに、自分の楽しみにお金を使うことで、そのワクワク感から前頭葉も活性化し、老いを遅らせることにもつながります。

また、お金を使って富を周囲に循環させ、自分も他人も喜ばせることができた人は、他人から好かれます。

たとえば、大邸宅に住んでいて大金持ちなのに、孫にお年玉を2000円しかあげないおばあさんと、貧乏な長屋に住んでいるけれども孫へのお年玉には2万円くれるおばあさんだったら、間違いなく後者のほうが「お金がない中、こんなにたくさんくれるなんて、自分のことをかわいがってくれるのだな」と孫には慕われます。

お金を持っているか、持っていないかは、生まれ落ちた環境やついた職業などによって違います。ただ、ケチかケチではないかは気持ちの問題なので、変えようと思えば変えられます。

みなさんにはぜひ「お金をたくさん持っていて自己満足している人」ではなく「お金をたくさん使って周囲を幸せにする人」を目指して、幸せな人生を歩んでほしいと思います。

高齢者は「若い人の邪魔」にはならない

最近、「若い人の邪魔をしてはいけないのではないか」と、控えめに生きているシニア世代の方があまりにも多い。これは由々しき事態です。

いまの時代、年齢というものはあまり関係ありません。「若者だから」「年寄りだから」という価値観の違いは、以前ほど大きな差を生まないからです。

たとえば、福山雅治さんや桑田佳祐さん、松任谷由実さんのコンサートに行ってみると、親子がコンサート(場合によっては孫と祖父母というケースも!)に一緒に来ている光景もよく見かけます。

一昔前であれば、親と子供が同じコンサートに行くようなことはほとんどありませんでした。たとえば、私の世代の場合は、私たち子供世代はビートルズのコンサートに行きたいと言ったなら、親世代は東海林太郎のコンサートに行きたいと言う。つまり、若者文化と年寄り文化には大きな隔絶があったのです。

しかし、いまは親子で同じコンサートに行くなんてことは、ザラにあります。そう考えると、年配たちが思っている以上に若い人たちとの感覚は近い。だから、60代以上が若者の邪魔にはならないということを、心に刻んでほしいと思います。

60代は下の世代に「ぜいたく」を教えてあげよう

むしろ、いまの50代よりも上の世代は、バブルを経験している分、若い世代よりも確実にぜいたくを知っています。祖父母や両親が連れて行く和食屋やフレンチの店のほうが、子供世代が友達と行く店よりもずっとおいしいしぜいたくだったりすることが多々あります。

たとえば、60代が自分の子供や孫に「ちょっとお寿司でも食べに行こう」と言って連れて行った場合、普段、彼らが食べているお寿司屋さんよりも、ずっとランクの高い良いお店であることも多いのではないでしょうか。

自分だけでは体験できないような良い体験をさせてくれる高齢者を、決して若者世代は「邪魔だ」とは思わないでしょう。

特にいま60代くらいの人は、バブル時代の豊かな時代を知っているため、若い頃にかなりぜいたくな経験をしていたはずです。

「このままではお金を残して死んでしまうかもしれない」と思うのであれば、使えるうちに使っておいたほうがいいと私は思います。長生きできるし、何より人生を楽しむことができますから。

日頃は質素倹約を心掛けている人でも、月に一度はぜいたくをしてください。たまにはぜいたくしないと、人間はどんどん気持ちがしぼんでしまいます。高いご飯を食べたり、映画を観に行ったり、温泉に入りに行ったりと、何らかのぜいたくをするだけで、心が豊かになります。

そして、経験が人生を支えてくれることもあります。事実、施設にいるお年寄りを見ていても、「昔はこんなすごいことをした」「こんな特別な経験をした」などと過去の経験を話すとき、顔がキラキラと輝いています。
私自身、「経験」に支えられたことは多々あります。

月一度のぜいたくで人生を豊かに

たとえば、私はワインが大好きなので、何かの仕事を頑張ったときは、良いワインを飲むことがあります。お金がかかることもありますが、それでも、ワインを飲むときは至福の時間です。

ただ、そんな私でしたが、2020年のコロナ禍に、いきなり貧乏になりました。

代表を務める通信教育の会社のお客さんが激減するし、講演などのお仕事もどんどんなくなり、なんと毎月のローンが払えない状態に。そのせいで、借金もつくりました。もちろんワインを飲んでいる余裕などありませんし、何とか資金をつくるため、「いつか大事なときに飲もう」と思って大切にしていたワインを手放したりもしました。


でも、このときに「あぁ、高いワインを買ってぜいたくしなければ良かった」と思ったかというと、決してそんなことはありません。

「おいしいワインを飲む」という経験に投資できただけで、十分に満足できましたし、このまま貧乏になったとしてもあのときの経験を大切にして生きていけるとすら思ったのです。

結果的には、コロナ禍が終わって経済が回復するにつれて、なんとか持ち直すことができましたが、この経験からも「ぜいたくをして楽しんだ記憶は、自分を支える一生の財産になる」と痛感しました。

もし寝たきりになって、ベッドから起きられない人生になったとしても、人生の中にキラキラ光る体験を積み重ねていた人ならば、「あのときは楽しかった」「実は自分の人生にはこんなことがあった」と振り返る日々は、案外、悪いものではないのではないでしょうか。

みなさんも、ぜひ最低でも月に1回ほど、ぜいたくな経験をしてください。そのときの記憶が、その後の人生を支える大きな糧となるはずです。

(和田 秀樹 : 精神科医)