円安圧力をいなせるか(編集部撮影)

9月22日の日銀金融政策決定会合は現状維持を決定、注目された植田和男日銀総裁による記者会見も無風だった。

9月9日の読売新聞で「年末までに十分な情報やデータがそろう可能性はゼロではない」という植田総裁の発言が報じられて以降、年内のマイナス金利解除があるかどうかが市場の焦点となってきたが、ふたを開ければ「政策の修正時期や具体的な対応について到底、決め打ちはできない」と一蹴され、騒動は収束に向かっている。

収穫は「マイナス金利解除」の現実味

報道から総裁会見に至るまでの流れを総括すると、植田総裁が早期引き締め観測の台頭を不本意に感じ、火消しに走ったというのが事の顛末に見える。

だが、マイナス金利政策の年内解除に関し「ゼロではない」と述べるのも、「決め打ちできない」と述べるのも、実質的には同じ意味だろう。

植田総裁は「決め打ちできない」発言に続け、「年内はそういう可能性(※マイナス金利解除の可能性)はまったくないということを総裁の立場で言うと、毎回の決定会合の議論に強い縛りをかけてしまう。そういうことは言わないほうが望ましいという趣旨の発言だった」(※は筆者が追加)と述べていた。

報道の仕方と市場の受け止め方について、針小棒大であった可能性は高い。金融市場ではよくある話だ。

とはいえ、今回の騒動を経て、かなり遠い未来の出来事と思われてきた「マイナス金利解除」に現実味を持つ市場参加者が増えたのは大きな収穫に思える。

正常化議論は初手で市場へショックを与えないことが一番大事であり、難しい部分である。今回、勝手に市場が拡大解釈してくれたおかげで、今後マイナス金利解除を議論するうえでの難易度は若干下がったように思える。

なお、会合後の円安が穏当なものにとどまったとはいえ、ドル円相場は年初来高値圏にある。円安が慢性化している限り、日銀を取り巻く政策環境は極めて窮屈な状況が続くことになる。

過去の寄稿『日銀の手持ちカードは尽き、「円売り」挑発が襲う』でも同様の趣旨を議論したが、今後の日銀金融政策決定会合は「円安にどう対抗するのか」という催促含みで予想形成が進みやすい。

円売りが「カード出し尽くし」を迫る

現状維持ならば円売りが進み、引き締め措置を講じても不十分と解釈されればやはり円売りが進む。円売りを通じて引き締めを催促した投機筋は、日銀がそれを実際に決断するタイミングで円買いに転じれば、収益機会に恵まれる(それが為替介入を伴えば、さらに大きな機会になりえる)。

円安がある限り、「毎回がライブミーティング」という厄介な状況が続くだろう。過去、執拗な円高に対抗する最中で緩和カードを出し尽くしたのが白川体制であったが、植田体制はこの逆に構えることになる。

現状の日本では、政策金利はマイナス、貿易収支は赤字、経常収支もキャッシュフローベースで見ればおそらく赤字という状況にあり、円安は基本的にファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)を反映した相場現象と言わざるをえない。

もちろん、円安相場がファンダメンタルズに即したものであるとしても、「1ドル=145〜150円」というレンジが果たしてフェアバリューと言えるのかという議論はあろうが、円安の流れを一変させる妙手を日本が持つわけではなく、基本的に「座してアメリカ経済失速を待つ」というのが唯一にして最大の解決策であることは、今後も変わりようがない。

この点、9月FOMC(アメリカ連邦公開市場委員会)のドットチャート(金利予想)を踏まえれば、2024年中の利下げ予想は2〜3回程度との意見が多い。


仮に3回利下げが正しいとした場合、断続的な利下げならば6・9・12月のスタッフ見通し(SEP)改定に合わせるか、連続的な利下げならば9・11・12月の年後半に固めるかという展開が予想される。

いずれにせよ、かなり遠い話であり、日銀はそれまで円安圧力をうまくいなしながら過ごすことが求められる。

マイナス金利を「有害認定」するしか道はない

結局、マイナス金利解除はいつになりそうなのか。

従前から目された通り、あるとすれば「2024年4月の春闘を待って判断する」というのが基本シナリオになるのだろう。だが、黒田前総裁の時代から「2%物価目標と整合的な賃上げ率はベースアップ(ベア)で3%」という前提がある。

2023年の春闘は30年ぶりの上昇率を確保しつつも、ベアは2%強だった。春闘の交渉は大企業を対象として2月から開始され、中小企業を含めた結果が3月末をめどに終結する。つまり、参照される物価上昇率(CPI)は2024年1月分や2月分ということになる。

この点、2023年1月のコアCPI(生鮮食品を除く)が4.2%であったのに対し、例えば2024年1月分は半減するとの見通しが濃厚となっている。現時点で2024年春闘において「ベアで3%」を実現する可能性はメインシナリオに置きづらいだろう。

とすれば、緩和解除の条件が「賃金上昇を伴う2%の物価目標の持続的・安定的な実現」である以上、今から半年程度でそれを見通すのは現実的ではない。

では、どうするか。

賃金上昇という前向きな理由でマイナス金利を解除することが難しいとすれば、「マイナス金利政策の継続が有害である」とするしかない。

マイナス金利はむしろ実体経済の足かせとなるリバーサルレート(下がりすぎた金利が金融機関の利ざやを縮め、金融仲介機能を阻害するために緩和効果が反転する水準)であり、現下の円安などを通じて日本経済を下押しているというロジックなどは想像しやすい。

解除するなら2024年7月

もっとも、そうした決定を下すとしても2024年の春闘結果を待つことには変わりないだろう。

しかも、2024年5月には2023年7月に着手され、現在実施中の「金融政策に対する多角的レビュー」の2回目のワークショップ(討論会)が開催予定だ。そこで、それまでに分析した案件について包括的な討議が予定されている。有害性を認定したうえでマイナス金利解除が決断されるとしたら、多角的レビューの結果も踏まえた2024年7月の展望レポートあたりが頃合いに見受けられる。

主要通貨の対ドル変化率を見ると9月22日現在、円(マイナス11%)よりも下落幅が大きい通貨はアルゼンチンペソ(マイナス97%)、トルコリラ(マイナス44%)、ロシアルーブル(マイナス33%)だけだ。


円以外のG7通貨(英ポンド、カナダドル、ユーロ)は対ドルで上昇もしくは横ばいであり、これに準ずる通貨であるスイスフランも上昇している。G7の一角であるという円の属性を考えると、やはり円の売られ方は特異であり、単に「日米金利差が拡大しているから」という理屈では理解が難しい。

もちろん、日本がアルゼンチンやトルコと同じとまで言うつもりはない。インフレ抑制のために政策金利が100%を超えるアルゼンチンや、いまだ前年比60%近くのインフレ率が続くトルコと日本を比べるわけにはいかない。

日本の資金循環構造はいまだ「政府ー日銀ー民間銀行」が三位一体となって国債を管理しており(その善しあしは別として)、それらの国々のように利回りが急騰するようなことは考えにくい。

「堅調な春闘」ではなく「執拗な円安」で解除

しかし、債券市場とは異なり、為替市場はいつでも直情的だ。日本の事情に明るくない海外勢からすれば「アメリカに匹敵するインフレ状況でもマイナス金利を堅持する円」は売り仕掛けするには十分なテーマ性を帯びている。

しかも、いくら円売りで仕掛けても日銀が緩和路線を堅持してくれるのならば、円売りで大きく負けることも考えにくい。日銀金融政策決定会合と同日に公表された8月消費者物価指数(CPI)は総合ベースで前年比3.2%と前月からマイナス0.1%減速したものの、アメリカのそれとほぼ同じ伸び幅が続いている。


マイナス金利解除は「堅調な春闘」という朗報ではなく「執拗な円安」という悪報に反応する格好で決断される公算が大きいように見受けられる。

(唐鎌 大輔 : みずほ銀行 チーフマーケット・エコノミスト)