「慕われるリーダー」と「恐れられるリーダー」、どちらがいいリーダーなのでしょうか(写真:ふじよ/PIXTA)

変化の激しい時代において、ビジネスシーンでは、多様な人材をまとめあげてプロジェクトを成功に導く「新しいリーダー像」が求められています。そこで問題になるのは「慕われるリーダー」と「恐れられるリーダー」のどちらがいいリーダーなのか、ということ。

ボストン・コンサルティンググループなどでコンサルタントとしてあまたのプロジェクトに携わってきた著作家、山口周氏の新著『新装版 外資系コンサルが教えるプロジェクトマネジメント』より、リーダーになるのに必要な要素について紹介します。

「マキャベリズム」は誤っていた?

なんらかのプロジェクトを引っ張るリーダーの立場になったとき、つねにつきまとうのが「慕われるリーダー」になるべきか、「恐れられるリーダー」になるべきかという論点です。

このトレードオフはさまざまな言い回しで言及されます。リーダーシップには「情」と「理」が必要、という主張も同様のトレードオフを前提にした主張でしょうし、日本のリーダーシップ論の開祖と言ってもいい三隅二不二先生は「組織メンテナンス重視」のリーダーと、「パフォーマンス重視」のリーダーという枠組みで整理しています。

「慕われるリーダー」と「恐れられるリーダー」のどちらが「いいリーダー」なのか。両者を比較して「恐れられるリーダーになるべき」と主張したのはルネサンス期の政治哲学者ニッコロ・マキャベリでした。マキャベリは、当時のイタリアの政治家や軍人が、キリスト教が唱える道徳と外交・行政・軍事における判断を混同しているから弱いのだと指摘しました。

筆者が勤務していたヘイグループは40年以上にわたって世界中の組織のパフォーマンスとリーダーの言動の相関についてデータを集積しています。そのデータから、統計的に残酷なほどにはっきりと出ているのは、「慕われるだけのリーダー」でも「恐れられるだけのリーダー」でもダメで、両者を高次元でバランスさせているリーダーこそ、いいリーダーだということです。つまりマキャベリは誤っていた、ということです。

これまでの組織研究からわかっているのはこうです。「慕われるだけのリーダー」だと、どうしても成果・業績を追求していこうという規律、わかりやすく言えば「士気」が低下してしまい、業績は低下することが統計的にはっきりとわかっています。

「恐れられるリーダー」が有効なのは課長まで

一方、「恐れられるリーダー」の場合、成果・業績を追求していこうという規律は高まるものの、メンバーは萎縮し、チームとしての一体感が低下して活力は低下し、短期的にはともかく、中長期的には同様に業績は低下していくことがわかっています。

付け加えれば、この「恐れられるリーダー」のスタイルでチームを牽引できるのは、せいぜい課長クラスまでだということもわかっており、このスタイルを多用して組織を引っ張っていくタイプの人は、キャリアの途中で大きな壁にぶつかることが多いようです。

「慕われるリーダー」と「恐れられるリーダー」と聞けば、両者は二律背反するトレードオフの関係であるように思われるかもしれません。しかし、数多くの研究やこれまでのデータは、両者は必ずしも背反しているわけではなく、両立することが可能であり、両者を高次元で両立したリーダーこそが、極めて高い業績を継続的にあげるということを示しています。

ところで、企業のリーダーシップ開発をお手伝いしていて、若手のエースといわれる人たちにカウンセリングすると、結構な頻度で「最近、いわれのない誹謗中傷を会社内で流されてとても傷ついた」といった悩みを打ち明けられることがあります。そういう時は、自分の経験もお話ししたうえで、「ああ、それは大抜擢が近い、ということですよ」と回答して元気づけるようにしています。

組織内で渦巻くビジネスパーソンの嫉妬には恐ろしいものがあります。活躍すればするほど、周囲の、それも優秀な人が嫉妬にからめとられて、過去の失敗や噂をほじくり返してネガティブなキャンペーンを張ろうとします。

この時、多くの才能ある若手がまさに「一頭地を抜く」タイミングで、「嫌われたくない」という感情にとらわれてしまい、自分の行動にブレーキをかけてしまうのです。この「嫌われたくない」という心理的なブレーキこそが、日本でなかなかリーダーシップが根付かない最大の原因の1つだと、筆者は考えています。

リーダーシップは「嫌われる」ことと表裏一体

多くの人が誤解しているのですが、リーダーシップは「嫌われる」ことと表裏一体の関係にあります。たとえば、リーダーシップ開発のワークショップで「過去の歴史から、素晴らしいリーダーシップを発揮したとあなたが思う人を挙げてください」とお願いすると、まず間違いなく下記の人物が含まれることになります。

イエス・キリスト
ジョン・F・ケネディ
エイブラハム・リンカーン
キング牧師
マハトマ・ガンジー
エルネスト・チェ・ゲバラ
坂本龍馬
織田信長

こうして並べてみると、なるほど確かに「変革を主導した志士」として、いずれ劣らぬリーダーシップを発揮したという点で共通しているのですが、一方で別の共通項があることにも、すぐに気づくはずです。

そう、全員暗殺もしくは処刑されているのです。

つまり 「殺したいほど憎い」と多くの人に思われていたということです。過去の歴史において最高レベルのリーダーシップを発揮して世界の変革を主導した人物の多くが、他者から殺害されているという事実は、我々に「リーダーシップというのは、崇敬とか愛着とか共感といったポジティブな感情だけではなく、必然的に軽蔑とか嫌悪とか拒否といったネガティブな感情とも対にならざるをえないものなのだ」ということを教えてくれます。

筆者は著書『外資系コンサルの知的生産術』において、何か極端なものが存在する場合、それとは真逆のものが背後には潜んでいる、という経験則の存在を指摘しました。

大いなる愛情と大いなる憎しみは、心理学的に言えば共に「転移が発生している」状況として整理されます。「大いなる愛情」の真逆は、本来「大いなる憎しみ」ではなく、転移の解除、つまり「無関心」ということになりますが、優れたリーダーに与えられる大いなる尊敬や愛情というのは、同量のエネルギーを持つ軽蔑や憎しみと表裏一体のものなのです。

リーダーには一種の「鈍感力」が必要


ということはつまり、リーダーとして高いパフォーマンスを挙げようと思うのであれば、どこかで周囲から寄せられる「ネガティブな感情」について、受け入れるかどうかはともかく、少なくとも存在を認めたうえで無視する一種の 「鈍感力」 が必要なのです。

この点にこそ日本におけるリーダーシップ開発のボトルネックがあると筆者は思っています。

「嫌われること」を避けるために、どれくらいの人が、自分の思いやビジョンを封印して可能性を毀損してしまっているかを考えると残念でなりません。

幕末の変革を幕府側から主導した勝海舟は次のように述べています。

「ナニ、誰を味方になどというから、間違うのだ。みンな、敵がいい。敵がないと、事が出来ぬ。国家というのは、みんながワイワイ反対して、それでいいのだ」勝海舟『海舟座談』

つまり 「敵がいないリーダー」など有りえないということです。変革には必ず既得権や既成概念の破壊を伴うから、過去のシステムによって利益を享受していた人を敵に回すことになる。つまり「嫌われること」を恐れていたら変革を主導するリーダーには絶対になれない、ということです。

あなたがもし、自分が正しいと思うこと、あるいは間違っていると思っていることがあるのであれば、「嫌われるかもしれない」という心のブレーキをかけずに、どうかそれを口に出して言ってほしいと思います。実際に世界は、多くの人がそうすることで、少しずつ進歩してきたのですから。

(山口 周 : 独立研究者・著作者・パブリックスピーカー、ライプニッツ代表)