森田あゆみ「引退インタビュー」前編

「今までは、努力できれば可能性はあると思っていたんです。でも、今の自分の体調を考えたら、努力が続けられる状態ではなかったので......」

 特に表情を曇らせることも、言いよどむこともなく、森田あゆみは「引退」を決意した理由を、淡々とそう語った。

 キャリアの幕引きを公式に発表したのは、今年8月。ただ、彼女の心は、春先にはすでに決まっていたという。


「天才少女」と騒がれた当時14歳の森田あゆみ(写真●Getty Images)

 15歳で全日本テニス選手権を制し、一躍注目を集めた。初めてグランドスラム本戦に上がったのは17歳の時。日本テニス界の期待を一身に背負った「かつての天才少女」の、33歳の決断だった。

 18歳を迎えると同時に、世界ランクトップ100入りをも果たし、21歳の時には結果的にキャリア最高位となる40位に至る。

 若いながらも豊かな経験が心・技・体と噛み合い、さらなる前途が開けたかに見えたキャリアの成熟期の始まり──。だが、この頃から森田は、慢性的なケガに悩まされるようになる。

 腰痛に端を発し、手首と手の甲に、合計4度もメスを入れた。

 ランキングの消失を避けるために年に数回は大会に出るも、年間を通じてツアーを転戦するには至らない。2015年から2021年までの7シーズンで、出場した大会数は24。昨年は11大会に出場するも、「安定して試合に出られる体調ではなかった」と明かした。

 ここ数年、試合出場を阻んだものを、彼女は「ケガ」ではなく「体調」だと繰り返し表現した。

 それは、手首や腰の痛み以外を指すのか......?

 純粋に疑問に思いたずねた時、彼女は初めて微かに顔をしかめ、口にすべき言葉を探し始めた。

「けっこう、精神面からくる体調不良で......。自分では全然、そんなに精神的にきている感じはなかったんですけど、知らず知らずのうちに溜まっていたようで。一時期、ちょっと不調になってしまったんです」

 努力が続けられる状態ではない──。冒頭に記した独白の真意は、心の陥穽(かんせい)にあった。

【日常生活でも字を書いたあとなどに痺れが続き...】

 話は4年近く、さかのぼる。

 2019年、徐々に試合に出始めた当時の彼女に取材した時、瑞々しいまでの向上心と、「かつていた場所に戻れる」と信じる心の強さに、驚かされたことがあった。

「100位に入っていた時のプレーの感覚は、まだ覚えていて。どんな感じの動きをして、どんなテニスができればこのくらいまで行けるという目安は、今でもあるんです」

 確固たる身体の記憶は、進むべき道を指す羅針盤となる。「来年中にはグランドスラムの予選に出ること」と、目的地も明確に定めていた。

 ただその頃、計器の針を狂わす因子は、すでに水面下でうごめいていた。

 2018年の夏に、彼女は右手薬指の腱を脱臼し、縫合の手術を受けている。その後、痛みは消えるものの、頻繁に痙攣(けいれん)するようになった。それはテニスだけでなく、日常生活でも字を書いたあとなどに痺れを覚えるようになる。

 この痺れは、手首の痛みよりもはるかに深く、彼女を苦しめたという。

「指の付け根を手術してから、力の入り方など手の感覚が変わってしまい、そこが大変でした。手首の手術後は、テニス面での問題はそれほどなかったんですが、指をやってから、思うように打てないと感じることが多くなったんです。

 それでも2019年の頃はまだ受け入れて、前向きにできていたんですけど......。それがだんだん、だんだんと自分のなかで以前と同じ感覚ではなくなっていって。

 ストロークが武器だったのに、そこが思ったよりも以前と同じようにできない。もともと力まないで打てるほうだったのに、力んでしまったり、手が引きつる感じがあったり......。そこがストレスだったのは間違いないなって思います」

 痛みならば、我慢できる。時が解決してくれると思ったし、実際に痛みが引いたあとは、以前と変わらぬ感性でボールを打てていた。

 だが、指の腱の脱臼は、彼女が何より頼った「感覚」を変えてしまう。それは天才肌のアスリートにとって、正しさの指標を失ったに等しかったのだろう。


33歳になった今の森田あゆみ(写真提供●安藤証券オープン東京2023)

【あの時、診察に行っていなかったら...すごい怖い】

 やがて彼女は、「身体の異変」を感じるようになる。

「寝られない、朝起きられない。練習に行っても、アップのジョギングの一歩目がぜんぜん踏みだせない。ジムに行っても、やらなきゃって思うんですが、体が動かない......。

 おかしいなっていうことで、周囲に相談してみた時、アスリートを多く診ている精神科医の先生を紹介してもらったんです」

 それが、約2年半前のこと。

「先生からは、なるべく薬は使わない方向でやろう、と言われました。疲れたと感じたり、無理していると思った時は、練習も休むようにしたり。本当に調子が悪い時は、腹筋1回すらできなかったんです。もう、体が思うように動かないんですよね」

 今でこそ笑って振り返るものの、身体の表現力こそが資本のアスリートにとって、自分の意志に反し、身体が動かぬ不安は想像に難くない。

「テニスはもちろん、日常生活でもなにもできない日とかあったので。そういう時は、さすがにちょっと休んで......もう、なんにもできないんです。

 とにかく横になって休んでいることしかできなくて。3〜4日休んでいると回復してくるので、ちょっとずつ身の周りのことができるようになり、練習にも行けるようになって......という感じでした。

 それでも、休養すれば回復するし、自分で動けるようになったので、うつ病と診断された人よりはぜんぜん、まだ軽かったと思うんですけれど......」

 ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ彼女は、自分の心をのぞき込むように続けた。

「でも、診察に行っていなかったらと思うと、ちょっと......すごい怖いですね」

 通院し、医師の診察を受けながらプレーは続けたが、ひじにも痛みが出始めた冬の日に、自然と「その時が来た」と悟った。

「グランドスラムを目指すとなったら、1年通していい状態で試合に出続けないと厳しい。最初からポイントの高い大会に出られるわけではないので、そうなると試合数も必要だし、そう考えた時に、出たり休んだりをくり返していたら、もうそのレベルに行くのは無理だというのは、自分でわかっていたんです。

 あとは単純に、ツアーから離れて時間が経てば経つほど、戻るには今まで以上の何かがないと無理だと思ってもいました。そういうことを含めて、もう一度そのレベルに到達できるかなと考えた時に、あ、もう無理だなって。

 自分が頑張れる範囲は頑張りきって、これ以上はちょっと頑張れないなって思ったのが、決め手でした」

【順風満帆なら見ることがなかった景色を後世に伝える】

 頑張りたいのに、頑張れない──。

 そんな彼女の言葉は文字にすると、意識と身体の乖離に苦しみ、終わりの時をどうしようもなく悟る、アスリートの哀切が行間に滲む。

 ただ、それらを口にする当の本人の表情には、悲壮とは無縁の晴れやかさが射していた。

「あとはもう、やりきったなって思いました!」

 清々しさを構成する因子は、このひと言にすべて込められているだろう。

 次のキャリアは、もう「指導者」と決めている。そう迷わず決意できたのも、「ケガをした経験が大きかったと思います」と彼女は言った。

 順風満帆のままにキャリアを終えたら見ることがなかった景色を、彼女は多く目に焼きつけてきた。その経験を後世に伝え、導いていく──。

 それが、かつての天才少女が今見る未来だ。

(後編につづく)

◆森田あゆみ・後編>>19年のキャリアに幕...天才テニス少女が歩み出す指導者の道


【profile】
森田あゆみ(もりた・あゆみ)
1990年3月11日生まれ、群馬県太田市出身。2004年、史上最年少14歳(中学3年生)で全日本テニス選手権ベスト8入りを果たし、「天才テニス少女」と呼ばれる。2015年4月には当時日本人最年少15歳1カ月でプロ選手となり、その2カ月後に全仏OP女子ジュニアで準優勝。日本人スポーツ選手として初めてアディダスとグローバル選手契約を締結する。2011年10月に自己最高の世界ランキング40位を記録するも、2014年から故障によって何度もツアー離脱を余儀なくされる。2023年8月に現役引退を発表。身長164cm。右利き。