石川祐希を中心に今年の日本男子バレーは「ひと味違う」 元エースの清水邦広は「攻守の精度」を絶賛した
清水邦広選手インタビュー 前編
男子バレー日本代表は今年度のネーションズリーグ(VNL)で30年ぶりにブラジル代表を破るなど躍動し、46年ぶりの世界大会でのメダルを獲得。アジア選手権でも3大会ぶりの優勝を果たし、9月30日からの「パリ五輪予選(OQT)/ワールドカップバレー」で五輪への切符獲得を狙う。
北京五輪や東京五輪で活躍した元日本代表の清水邦広選手(パナソニックパンサーズ)に、VNLでの戦いで見えた代表チームの"強み"について聞いた。
チームメイトに指示する主将の石川祐希
――あらためてネーションズリーグの戦いを振り返ると、初週の名古屋ラウンド第1戦、これまでアジアのライバル、もしくは少し格上という印象もあったイランに快勝して勢いがつきましたね。
清水 イランに3−0のストレートで勝って、「今年の日本はひと味違う」と思わせてくれましたね。そこで流れを掴んで10連勝しましたが、チームとしても個人としても試合ごとに持ち味が出てきて、層も厚くなって強くなっていった。選手たちが自信を持ってプレーしていることが伝わってきました。
――名古屋ラウンドでは東京五輪で金メダルを獲得したフランスにも勝利。エースのイアルバン・ヌガペト選手がいないなどベストメンバーではなかったかもしれませんが、いかがでしたか?
清水 大会が始まる前に、石川選手は「世界ランキングが日本より下のチームには必ず勝つ」と言っていましたが、それを有言実行するだけでなく、上位のフランスにも勝利できたのは収穫だったと思います。
――ちなみに大会の開幕前には、世界ランキング1位のポーランドとの強化試合が2試合ありました。1日目は勝利、2日目は石川祐希主将がコンディション不良による不参加となったこともあり負けてしまいましたが、そこで掴んだものもあるのでしょうか?
清水 日本もポーランドもベストメンバーではなかったですが、1試合目はフルセット勝利、2試合目は1−3での負けでした。これまでは強豪国相手だと、名前負けしてしまって自分たちの力を発揮できないことも多かったですが、その2試合は自分たちのバレーがしっかりできていたと思います。大会前にいい準備ができたんだと思いますね。
――第2週のフランスラウンドでは、30年ぶりにブラジルにも勝利しました。
清水 本当にすごかったです。これも石川選手が「今年の目標はブラジルに勝っていくこと」と語っていたのですが、目標達成できる状態までキャプテンがチームを持っていったということでしょう。
ブラジル戦でどこがよかった、というよりは、大会を通してどのチームに対しても同じような戦い方ができたのが大きかったと思います。フィジカル面では劣っても、技術面で上回っていましたし、トータルのチーム力で勝つことができた。
――日本の「同じような戦い方」とは、具体的にどんなことですか?
清水 セッターはもちろん、ミドルやアウトサイドの選手も含めてトスの精度を高く保つことです。特に20点以降、「ここで決めなきゃいけない。決めたら乗れる」という時のトスの質は、ブラジル戦でも日本のほうがよりよかった。
今大会ではイタリアも、20点以降にセッターじゃない選手がトスを上げた場面では打ちきれなかったり、トスが割れたりしてアタッカーがミスをしてしまうケースが多かったです。でも、日本は誰もが打ちきれるトスを上げていましたし、打ちきれない場合もリバウンドを拾えるように上げられていた。数字では見えにくい部分だと思うんですが、そのあたりが徹底してできていたのでミスが少なかったんだと思います。
単純にセッターだけで比較しても、関田誠大選手はブラジルだけではなく、イタリアのセッターのシモーネ・ジャネッリ選手(昨年の世界選手権MVP)などとも渡り合えていました。むしろ上回っていた部分もあるんじゃないかと。アタッカーの使い方、トスの精度も世界のトップレベルでしたね。
――第3週のフィリピンラウンド、イタリアとポーランドとの試合はファイナルラウンド進出を決めた後ということもあってか、出場機会が少なかった選手たちの起用が多くなりました。結果は2連敗となりましたが、この2試合はいかがでしたか?
清水 僕は、出番が少なくても「控え選手」という認識はしていません。誰が出ても結果を残すことができますし、相手としても嫌だと思います。ポーランド戦で先発した郄橋健太郎選手を含め、ミドルブロッカーの存在感もさらに増しましたね。
以前は少なかった、20点以降のミドルの得点も増えたと思います。ミドルの選手たちが成長したことはもちろんですが、今のチームには"決め手"がたくさんいる中で、ミドルの存在も消さない関田選手のトス回しがやはりすごかった。僕自身も魅了されました。本数は少ない試合もありましたが、印象的な使い方ができていたので、相手は「ミドルのマークを外せない」という感じになっていましたね。
―― 一方で、ディフェンス面に関してはいかがですか?
清水 ブロックとフロアディフェンスの関係性は年々よくなってきています。高さで劣る分、レシーブで粘れていた。しっかりコミュニケーションも取れていて、お見合いや、誰もいないところにボールが落ちることなどがほとんどありませんでした。常に相手チームにプレッシャーをかけ続けられるディフェンスを見せていましたね。
結果として、相手チームの中で「リベロ(山本智大)のところには打つな」といったコースの指示が出て、我慢しきれずミスになったりブロックにかかったりする場面も見られた。ディフェンス力でポイントを取ることができるようになっているんじゃないかと思います。
――山本選手はVNLでベストディガー賞を受賞しました。清水選手は東京五輪で、そして今季からはパナソニックパンサーズでも一緒にプレーすることになりますが、どんな選手ですか?
清水 本当にベストディガーにふさわしい選手ですね。彼は両チームのアタッカーやブロックの様子を見ての位置取りや"読み"が優れている。だからディグ(スパイクレシーブ)だけじゃなくて、攻撃時のブロックフォローも素晴らしいです。反応して動くというよりは、予測して動く。その嗅覚が並外れています。
だから僕も、日本代表の練習ゲームで相手チームに山本選手がいた時には、彼がいるところにはほとんど打ちませんでした。あんまりきれいに上げられると、スパイカーは調子を落としていってしまうので。「きれいに決められる」と自信のあるスパイクを上げられるとメンタルにきますからね。ブロックされたほうがいいくらいです(笑)。それほど彼のディグ、レシーブ能力は高いですよ。
――VNLの話に戻りますが、ファイナルラウンド準々決勝のスロベニア戦は3−0でストレート勝ち。スロベニアは何人か主力を欠いていたようですが、OQTで同グループに入っている相手に勝てたことはどんな意味がありますか?
清水 スロベニアもそこまで大きい選手はいなくて、うまい選手が集まっているという点が日本と似ている印象がありました。ただ、ミスの数、最後の決め手、ディフェンス力といった些細なことで少しずつ点数が離れていったように感じました。
OQTではメンバーが違うかもしれませんが、直前の大会での勝敗はメンタルに大きな差が出ます。しかも、VNLのベスト4がかかった大事な局面で快勝できたわけですから、怖さが消え、自信がついたと思います。
――準決勝の相手は、開催地で地元の声援が大きかったポーランド。アウェーの雰囲気が色濃い中で、セットカウント1−3で破れました。
清水 選手たちもコメントしていましたが、1セット目を先取した後の2セット目が勝敗を分けたと思います(競り合いながらもポーランドに奪い返された)。逆に、あそこをしっかり勝ちきれるようになればさらに高みに行けるんじゃないかと思いました。
実際にその2セット目は5点リードされるくらいの展開になっても、終盤にかけて追い上げてデュースまで持ち込めた。VNLを通して、2、3点はリードされてもサーブやディフェンスでちょっとずつ追いつける、追い抜ける力があると選手たちは実感できたんじゃないかと思います。相手チームも、大きな点差がついてもプレッシャーを感じるでしょうし、25点を先に取るまでは安心できないんじゃないかと。
――そして銅メダルを獲得したイタリアとの3位決定戦。清水選手は元チームメイトの福澤達哉さんと解説されて、終盤は興奮して関西弁になってしまっていたようですが(笑)。
清水 大一番で真骨頂を見せてくれて、「本当に強くなったな」という思いが溢れました。今のイタリアは選手の平均年齢が日本と近く、今後のライバルになるであろう国のひとつ。繰り返しになりますが、繋ぎの部分や攻守の精度が一戦一戦上がっていって、本気のメンバーのイタリアにああいう勝ち方ができたのは、チームが成長したことの証明だと思います。
――この試合は1セット目を取ったあとに、2セット目も取れたことが、結果的に勝ちにつながったんじゃないかと思います。そこは準決勝のポーランド戦と違いましたね。
清水 その通りだと思います。3、4セットは取られたものの、ちゃんと修正できていましたね。また、ポーランド戦後には石川選手が「自分のサーブのミスで負けの流れを作ってしまった」と言っていましたが、それも払拭できていた。そういった修正能力は、石川選手だけでなく多くの選手が持っている。それも、試合ごとじゃなくセットごと、点数ごとに修正できるというのが日本の強みになってきていますね。
(後編:「言葉が出ないぐらいすごかった」と絶賛する選手は? 現メンバーの能力を徹底分析>>)
【プロフィール】
■清水邦広(しみず・くにひろ)
1986年8月11日生まれ。福井県出身。福井工業大学附属福井高校から東海大学に進学。20歳の時に日本代表に選出され、2008年に最年少の21歳で北京五輪に出場する。卒業後はパナソニックパンサーズに入団し、長らく日本代表のオポジットとしても活躍。2021年の東京五輪でも日本の準々決勝進出に貢献した。