これまで23年間で約2500試合戦ってきたプロレスラーの棚橋弘至さん。9月5日の「くにまる食堂(文化放送)」では、新日本プロレスに入門する前の話を聞かせてくれた。

邦丸「棚橋弘至という名前はお父様がアントニオ猪木さん、猪木寛至さんが好きで好きでしょうがなくて愛息子にその名前を…」

棚橋「そうなんですよ。猪木さんの寛至の『至』という字と僕の字が一緒で…、後で聞いたんですけどね」

邦丸「あっ、そうなんだ」

棚橋「そしたら導かれるようにプロレスラーになってしまって…」

邦丸「ただ、すぐに新日本プロレスに入門したのではなく、大垣西高校を出て、その後、立命館大学法学部だっけ、難関じゃない?」

棚橋「そうですね、割と偏差値は高いです。僕、勉強できるんです(笑)」

邦丸「(笑)なんで立命館入ったの?」

棚橋「高校3年の夏、野球部の甲子園の予選が終わったんですけど、偏差値が下がってたんで、もう一回勉強し直そうと思って1日10時間以上勉強やったんです。でも自分がどれくらい学力が上がってるかわかんなくて偏差値50くらいから55、60の大学を受けていったんです。そしたら全部合格して、最後2月の終わりに立命館受けてみたら、これも受かったんですね」

邦丸「受かっちゃったから入っちゃおっかな~みたいな」

棚橋「はい、受けた中で一番良かったんで…」

邦丸「それで立命館に入りました。今度はプロレスの世界にも憧れがあってサークルに入ったんでしょう?」

棚橋「プロレス同好会っていうのがあって、大人数でプロレスの話ができるなんて最高じゃないですか。それでプロレス同好会に入ったら、当時アマチュアレスリング部が発足してて、人数が足りないから出てくれって言われて大学1年生からアマチュアレスリングも同時進行で練習することができたんです。そこでプロレスラーとしての基礎の部分を作ることができたんです」

邦丸「そうなんだ」

 

番組では、この他にも棚橋弘至さんがプロレスラーになる前の話からプロレスラーになった後の話もたっぷり聞かせてくれました。