甲子園を逃した「高校ナンバーワン投手」大阪桐蔭・前田悠伍に見え隠れしたかすかな不安
「察してください」
いつからか、大阪桐蔭・西谷浩一監督とのやりとりのなかで、このひと言が返ってくることが多くなった。少々答えにくい質問、答えようのない問いに、ニヤッと表情を緩め「察してください」と。
春から夏にかけて、また大阪大会が開幕してからも、この言葉は何度も聞かれ、思うようにいかないチーム状況は容易に想像できた。リーダー不在、調子の上がらない打線、らしくない不安定な守り、故障者......なかでも、気がかりだったのは大黒柱である前田悠伍の状態だった。
大阪大会決勝で敗れ、4季連続の甲子園を逃した大阪桐蔭・前田悠伍
どれだけのボールを投げられるのか、大会を通じてどんな投球ができるのか。それは西谷監督だけでなく、ライバル校の関係者、スカウト、メディア......すべてが前田のピッチングに注目していた。
センバツ大会後、前田の状態を確認することは容易ではなかった。春の大阪大会、近畿大会はベンチ外だったからだ。春の大会でエースをベンチから外し、夏へ向けて鍛えること自体、大阪桐蔭では珍しいことではなかった。
たとえば2012年、春の大阪大会で藤浪晋太郎はベンチを外れたが、5月下旬に行なわれた近畿大会で復帰。エースの合流でチームメイトの士気も上がり、その勢いで夏へと向かった。
しかし今回、前田は近畿大会もベンチ外。その間に享栄の好投手・東松快征との対決が予想されたナゴヤドームでの練習試合にも登板せず、「故障か......?」「前田に何が起きた?」と周囲はますます騒がしくなった。
その後、6月半ばからの練習試合で登板したというニュースは伝わってきたが、コロナ以降、大阪桐蔭の練習試合は取材することができず、状態を確認できないまま時間だけが過ぎていった。
ようやく前田の投球を見られたのは7月1日。東海大相模と高知高の練習試合が予定されており、この日はチームがメディア向けに設けた取材公開日だった。ところが、前日からの雨で試合は中止。ただ、室内練習場で投球練習を見ることはできた。
この日は、当初から各投手の投球を「トラックマン」という測定機器を使ってスピードや回転数などを、メーカーが測定することになっていた。おかげで前田のピッチングを捕手の真後ろから見ることができたのだが、数球見て調子が上がっていないのはすぐにわかった。横で投げる南恒誠や松井弘樹、さらにのちに投げた1年生投手のボールが捕手のミットに勢いよく収まっていくのに対し、前田の球はベース上での勢いが伝わってこない。
全力で投げていないという声もあったが、軽く投げてもミットを突き上げてくるような前田本来の球質ではなかった。とくに右打者のインコースに切れ込む軌道の球が定まらず、力を入れると外へ抜け気味のボールになる。
投球後、測定した担当者が前田の投球について語ったのだが、絶賛したのは「プロのトップレベルに近い」というチェンジアップ。ストレートに関するコメントはなかなか出てこず、記者が質問すると「大会前の時期なので詳しい数値は......」と、球速や回転数は口にしなかった。おそらく、強調するほどの数値は出ていなかったのだろう。
一方、ふだんからマイナスな言葉を口にしない前田は、囲み取材で春の成果についてこんなコメントを残した。
「センバツでまだまだ力不足を感じたので、それからは1から見つめ直して、トレーニング、フォームづくりに取り組んできました。センバツの時はボールがバラバラだったんですけど、今は下半身が安定するようになって、ピッチングにもいい影響が出ていると思います。太ももはかなり大きくなりました」
大会まで1週間ちょっと。前田は明るく語っていたが、この日見た30球あまりの投球は厳しい夏を予感させた。
【一抹の不安を残した左わき腹痛】これまでの前田の取材を振り返ると、ほとんどストレートの話しかしてこなかった気がする。理由は簡単で、公式戦出場となった1年秋の時点で、前田は投手が必要とする極めて多くの要素をすでに備えていたからだ。あとはストレートがどこまで上がってくるか。そこが、このサウスポーの評価を決めると見ていた。
こちらの質問の意図を察した前田は、「2年夏には150キロを出したい」「相手が狙ってきても打たれないストレートを投げたい」と威勢のいい言葉を返してきた。
しかし、多くの投手にとって最大とテーマとなる良質のストレート獲得は、容易ではない。「高校ナンバーワン投手」と評される前田にしても、例外ではなかった。
そんな前田にこれまで一番よかった投球を尋ねると、昨年夏と秋の大阪大会決勝での履正社戦を挙げ、「どっちかと言えば、秋ですね」と語った。
前田が言う秋の履正社戦は、9回を投げきっての完封勝利。見事な投球で、来年は夏まで負けないんじゃないか......というところまでイメージが膨らんだ。しかし、この試合の終盤に左わき腹に違和感が出た。投球に影響はないとの診断を受け、近畿大会以降も登板したが、絶好調ではなかった。
最終的に神宮大会優勝までたどり着いたのは、悪いなりにも勝てるピッチングができる前田の真骨頂であるが、フォームを崩しながらの投球はかすかな不安を残した。
そして慎重に調整し挑んだ春。センバツ大会で前田の評価は分かれた。東海大菅生戦では1失点完投、11奪三振で「さすが前田」という声も聞かれたが、この試合で際立ったのはチェンジアップだった。
【今夏初戦で2本の被本塁打】7月8日に開幕した大阪大会のマウンドに前田が現れたのは、4回戦の東海大仰星戦。結果は6回を投げ、被安打4、奪三振4、四死球2、失点2。右打者に本塁打を2本浴びたが、球種はどちらもストレート。それでも試合後の前田は、「順調」「好感触」を繰り返した。
「感覚的には悪くなかったです。打たれたのはどっちもインコースを狙った球が高く、真ん中よりに入ってしまった。『甘く入ったら、夏は打たれる』と言われていましたし、球の強さはもちろんですけど、低めに集めることが一番大事。今日はそこが反省です」
前田の自己評価を聞いたが、正直、物足りなかった。下級生の頃にイメージしていた3年夏の姿と、いま現在......どう感じているのだろう。
「1年の頃に思い描いていたところまで、力的にはきていると思います。あとはそれを出しきれるかどうか」
はたして、本心だろうか。ここに至るまでには、前田にしかわからない苦労や葛藤はあったはずだ。一時期の調子の上がらない頃に比べれば、状態は上がっているという思いがあるのか。昨年秋の好調な前田を見てきただけに、こちらの期待値とこの日のストレートには大きなギャップがあった。
東海大仰星戦の2日後に行なわれた5回戦の大冠戦。登板なく勝利した試合後、前田と一対一で話をすることができた。ここでもう一度、「一昨日の言葉は本心か?」と聞いてみた。
「はい、いい感じの球は半分くらいありました。ボール自体はよかったけど、甘く入った点だけ修正できれば。力感を消して投げることをテーマにしてやってきたので、見た目にはあまり迫力なく見えたのかもしれないですけど、対バッターが一番なので」
脱力したフォームからのスピードボールは、たしかに理想だ。ただ、そのなかで喫した2発は「甘く入ったから」と本人は語るが、前田のストレートはそのレベルの球なのか。ピンチの場面でストレートを選択できる自信はあるか聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
「ピンチで真っすぐで決めにいく時は、しっかりマウンドで時間をとって、コースも厳しいゾーンに決められたら十分勝負できる球になります」
この言葉に、現時点での自身のストレートに対する評価がわかった気がした。
大阪大会準決勝の箕面学園戦は、タイブレークの大熱戦となったが、前田がマウンドへ上がることはなかった。負ければ終わりの夏、腹を決めたベンチの采配ではあったが、ショートイニングの戦いを考えた時、この日リリーフで好投した次期エース候補の平嶋桂知の速さ、強さが前田への信頼を上回った選択にも思えた。
【履正社戦に登板も3失点で涙】そして決勝の履正社戦。一昨年秋から4大会で対戦し、すべて先発で4連勝。最大のライバル相手に、こう意気込みを語った。
「丁寧に投げたら抑えられる。失投しなければ打たれないと思っています。どれだけ厳しいゾーンに投げられるか。そこを極めたい」
やはり前田が挙げたのは、球の速さや強さよりも制球。そして最後にこう加えた。
「昨日のブルペンはかなりよかったんです。真っすぐのかかりもめちゃくちゃよくなったので、あとはそれを出すだけです」
前回登板から中5日。自らに言い聞かせるように、一方でたしかな自信を持って臨んだマウンドだった。
ネット裏席の2段目から見た投球は、立ち上がりから勢いを感じた。前回よりも間違いなく力があり、状態が上がっているのは明白だった。うしろの席に並んでいたスカウトたちの声が耳に入る。
「42、40、44......」
ストレートはコンスタントに140キロ台をマークしていた。ただ、履正社先発の福田幸之介のストレートはさらに上をいき、常時140キロ台中盤を叩き出していた。時に「150キロ」の声も聞こえ、ストレートとスライダーに時折カットボールを交え、大阪桐蔭打線を圧倒した。
前田は2回に守りのミスも絡み先制を許すと、4回には二死満塁から9番・野上隼人に2点タイムリーを浴びてリードを広げられた。今大会、序盤で手首を痛めた正捕手・坂根葉矢斗の穴を見事にカバーしていた野上だったが、この試合前までの打撃成績は17打数5安打、打率.235。この9番打者にカウント1−1から投じたチェンジアップが高めに浮いた。試合後、前田はこのシーンをこう振り返った。
「選択は間違いじゃなかったんですけど、甘くなってしまった。(ボール)2個分低めに投げ込めていたら、打ちとれたと思う」
たしかにそれはあったかもしれない。しかし、"困った時のチェンジアップ"が相手にも浸透し、待たれていたのはたしか。泳がされることなく、しっかり合わされてライト前に持っていかれた。甘くなった時でも抑えられる強さ、キレが、この夏の前田には足りなかった。
6回は無死満塁のピンチをしのぎ、7、8回は3人ずつで締めて、マウンドを降りた。試合後、取材陣から後半の投球に前田らしさを称賛する声もあったが、ギリギリの投球に見えた。現時点でできる最善の投球ではあったが、それで「よく投げた」と称えられるレベルの投手でないはずだ。
そんな前田に、コースはアバウトに投げ込んでくる福田のストレートはどう映ったのだろうか。
「1球1球、気持ちが入っているなと思いました」
そう短く語ったが、福田のボールの強さ、速さは相当まぶしく見えたのではないだろうか。つづけて、これから先に向けて「細かいところの修正を徹底してやっていきたい」と課題を挙げる前田に、「真っすぐで攻め込んでいける強さも必要?」と聞くと、少し強めの口調で返ってきた。
「今日は真っすぐで攻めるところは攻めていけましたし、三振もとれていたので。あの場面(4回の二死満塁)もチェンジアップの選択自体は間違ってなかったと思います」
前田の力を知るからこそ物足りなさは残ったが、夏の初戦よりもこの日のボールはたしかに上向いていた。もし甲子園へとたどり着くことができていれば、もうワンランク上のストレートに出会えていたのだろうか。この夏のつづきは、次なる舞台での楽しみとしたい。