神野大地「Ready for MGC〜パリへの挑戦〜」
第1回

プロマラソンランナー、神野大地。青山学院大時代、「3代目山の神」として名を馳せた神野も今年30歳を迎える。夢のひとつであるパリ五輪、またそのパリ五輪出場権を争うMGC(マラソングランドチャンピオンシップ・10月15日開催)が近づくなか、神野は何を思うのか。MGCまでの、神野の半年を追う。

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今年10月のMGCでパリ五輪代表を狙う神野大地

「MGCは難しいレースなので、みんなに勝つチャンスがある。だから、僕にも勝てるチャンスがあると思っています」

 前回レース(2019年)を経験し、MGCを知る神野大地は、そう語る。

 10月15日、パリ五輪マラソン男子代表を決めるMGCが開催される。

 神野は、2021年12月の防府読売マラソンで総合2位、2時間9分34秒のタイムでMGCの出場権を獲得した。「MGCまで1年半の準備期間を得たのは大きい」と語ったが、昨年は故障や体調不良に見舞われ、約半年間、走れない時期が続いた。練習を継続的にできず、マラソンは1度も走らなかった。試合勘が薄れていく懸念もあったが、神野はその時間が「大事だった」と言う。

「ケガや体調不良で休んでいる間、やっぱり充電も必要かなって思うようになったんです」

 神野は毎日の練習の積み重ねを大事にし、妥協を許さないタイプだ。充電が必要だと感じたというのは少し意外な答えだった。

 なぜ、そう感じたのだろうか。

「休んだあと、身体の調子がよくなり、動けるようになったんです。そこに気づけたのが大きかったですね。レースを入れなかったのは、またケガをしたり、結果が出ずにマラソンに対して悪いイメージを持つぐらいなら無理して出なくてもいいと思ったからです。

 というのも、マラソンの結果を客観的に見ていると、毎年結果を残せている選手は少ない。前回のMGCで上位を走った選手も、出場権を早めにとって、スケジュール的に余裕を持ってMGC本番に合わせてきた選手が多かった印象です。それを見ているとMGC(の出場権)を獲得したあと、ある程度の休養は必要かなと思ったんです」

 マラソンは、何試合も続けて結果を出すのは容易ではない競技だ。体調のピークをレースに合わせるのが難しく、レース中は細かい争いがあちこちで起こり、それに対応できる力がないと勝てない。そのため、神野は不安な要素をできるだけかき消してスタートラインに立ちたいと考えている。

 では、前回大会17位に終わった反省から、勝つためには何が必要だと考えたのか。

 そのひとつが、「判断」だった。

「MGCのレースは、すごく動くんです。スローの展開でも途中の1キロや数百メートルだけペースが上がったりする。そこで判断ミスをすると命とりになります。MGCで勝つには、判断を誤らずに自分の勝負時を待って仕掛けることが重要になるんですが、これは大迫(傑)さんがすごくうまいですよね。大迫さんは、冷静に正しく判断されている気がします。僕も判断力を高める必要があると思い、そういった練習に取り組んでいます」

 それは、どんな練習なのか。

 距離とトータルのタイムを決め、藤原新コーチ(スズキ)が自転車で引っ張る。この時、1キロの設定は藤原コーチだけが知り、神野と、一緒に練習をしているスズキの選手は知らない。突然、藤原コーチがペースを上げると、そこについていく選手、ついていかない選手が出てくる。ここで流れに乗っていくべきなのか、それとも流れは無視して自分のリズムを大切にして走るべきなのか。判断力を磨き、どう動くべきかを考えるだけではなく、自分の能力を知ることにもつながる。

「たとえば、いきなりペースが上がってすぐに反応したら呼吸が苦しくなるとか、そういう自分のことを知ることも、レースで適切な判断を下すうえで重要になってきます」

 通常の練習においても、神野は強化するポイントを明確にして取り組んできた。ポイント練習は力を出しきることが求められるが、神野が重視したのは「スピード」と「余裕度」だった。

「マラソン練習前にスピード練習をしています。スピード練習をせずにマラソンのクルーズインターバルをやるとフォームがガチャガチャになり、トラックで追い込まれた時のような動きでマラソンを走る感じになってしまう。それでは余裕を持ってマラソンは走れない。昨年からトラックで言うと5000mを14分前後、1万mでは28分30秒前後で最低でも走れる状態を作ったうえで、マラソンの練習に入っていきます。そうするとマラソン練習のクルーズインターバル系の練習が余裕をもってできるし、動き自体も余裕が出てくるんです」

 2021年の防府読売マラソンは、このやり方で結果が出た。今年2月の福岡クロカンでは29分38秒で4位に入り、ネパールでのアジアクロカンに日本代表として出走し、2位に入った。「福岡では想像以上のタイムが出た。この時期にこのスピードになっているのは、すごくいい流れ」と手応えを感じた。

 トレーナーの中野ジェームズ修一も余裕を持ってできるトレーニングメニューを提供している。

「トレーニングをやる際、神野は60〜70%ぐらいの出来を目指していたのですが、今は40〜50%に抑えています。余裕をもってやることで、そこからふだんの練習と絡めて能力を上げていける。詰め込むのではなく、妥協し、余裕を持たせてあげると伸びしろが増えるんです」

 トレーナーとしては、もう少し追い込みたい気持ちがあるという。だが、抑えることで神野のパフォーマンスが上がったので、そのやり方に切り替えた。

 また、中野は、神野に「精神的な余裕を感じる」と言う。

「神野は常にカッコよくありたいと思っているので、本当はカッコよくない自分をSNSで出すのはイヤなんです。でも、そこでカッコ悪い自分を見せている。そこにメンタル的な成長と強さを感じますね。あと、MGCを1度経験しているので、初出場する選手と違いアタフタした感じがなく、気持ちの面でも余裕を感じます」

 トレーニングは順調で、このままいけば予定よりも3週間ほど早く仕上がる予定だ。

 いい流れできている神野にとって、もうひとつテンションが上がることがあった。自ら「RETO RUNNING CLUB(RRC)」を創設し、目標達成を目的とするランニングチームを立ち上げたのだ。

「昨年の5月に立ち上げて、1年が経過しました。60名ぐらいますが、みんな、目標タイムを達成したり、PB(自己ベスト)を更新したり、すごく頑張っています。そのメンバーの姿を見ていると改めて努力すれば報われるというのを感じました。今は2週間に1回の練習会がすごく楽しみですね。先日、胃腸炎で練習会を休んだんですけど、その時の練習会の写真を見て、すごく行きたかったなぁって思ったんです。そういう気持ちになるぐらい、今の僕にとってRRCは生きるうえで大きなモチベーションになっています」

 練習会で神野は練習を引っ張るだけではなく、メンバーが出場するマラソンに応援参加する。名古屋ウィメンズマラソンでは沿道で応援していると周囲の人に驚かれたそうだが、その声に応え、PBを出すメンバーが続出した。神野も応援の力を認識しており、「MGCでのRRCの応援が楽しみです。絶対に背中を押してくれるんで」とメンバーの声を力に変えて走る覚悟だ。

 今年30歳になって迎えるMGCだが、昨年の夏は、「今回のMGCが五輪を狙う最後のレースになる」と言っていた。

 今、神野はどんな覚悟でMGCに臨もうとしているのか。

「今は最後になるかどうかMGCが終わってみないとわからないですね。五輪出場を目指して毎日苦しい練習をするのはしんどいですけど、まだ体は動きますし、自分の気持ちさえあればまだやれるなって思うんです。仮に五輪という目標がなくなっても自己ベスト更新だけを追求し、自分史上最速を目指していくのもいいかなって思っています。MGCのレース内容にもよりますが、もう少し現役にこだわっていきたいと思います」

 現役にこだわるのは、積極的に全国で行なっているランニング教室で感じることでもあった。現役である今の自分だからこそ、教わる側も目の色を変えて参加してくれるのだと。もちろんそれだけではなく、MGCで戦える自信が膨らんできたからでもある。

 今年2月9日に発表されたMGCのコースは、折り返しが6か所、38キロの市ヶ谷付近まではほぼフラットだ。だが、そこから高低差30mほどの登り坂が約3キロ続く。

 神野は、ここが勝負所だと考えている。

「あの坂は、レース後半のきついところで出てくるので、そこで僕が仕掛けたら『神野、この坂で行くのか』って、みんな、心が折れると思うんです。スパートが強い選手は、大迫さんを始め結構いると思うんですけど、坂が強いのは僕だけ。この坂を終えてもまだ長いので勝負はわからないですが、その坂をトップで行ければ優勝できると思っています」 

「3代目山の神」として、坂を制し、トップで国立競技場に入る。その展開を描きつつ、4月中旬、神野は長野県の富士見で合宿に入った──。


PROFILE
神野大地(かみの・だいち)
プロマラソンランナー(所属契約セルソース)。1993年9月13日、愛知県津島市生まれ。中学入学と同時に本格的に陸上を始め、中京大中京高校から青山学院大学に進学。大学3年時に箱根駅伝5区で区間新記録を樹立し、「3代目山の神」と呼ばれる。大学卒業後はコニカミノルタに進んだのち、2018年5月にプロ転向。フルマラソンのベスト記録は2時間9分34秒(2021年防府読売マラソン)。身長165cm、体重46kg。