震災がきっかけでダンスの道へ。プロダンサーTAKUMIが飛躍的に学業の成績を伸ばせた理由
文武両道の裏側 第13回
TAKUMI(早稲田大学) 後編
前編はこちら>>「文武両道を地で行くトップダンサーTAKUMI。早稲田大で法学を学びつつDリーグで活躍する超多忙な日々を語る」
Dリーグ「CyberAgent Legit」に所属するプロダンサーでありながら、早稲田大学法学部で法律の勉強にも励んできたTAKUMI。ダンスにも勉学にも全力を注ぐ彼は、どのような環境で育ってきたのか。インタビュー後編では、文武両道を目指したルーツを聞いてみた。
自ら構成・振り付け・楽曲制作も行なうTAKUMI ©D.LEAGUE22-23
――TAKUMIさんは、小学生の頃、福島で東日本大震災にあわれたそうですが、ダンスはどのようなきっかけで始めたのでしょうか。
東日本大震災が起きるまで、僕はずっと野球少年で、野球一筋で頑張ってきたんですけど、震災の影響で屋外でやる活動が自粛され、野球ができなくなってしまいました。だから屋内で体を動かせるものは何かないかなと思って探していました。その頃、姉がダンスをやっていて、よく誘われていたので、一度行ってみることにしたら、すぐにのめり込みました。それが小学校4年生の終わり頃ですね。
――どんなジャンルだったんですか。
最初に習ったのは、今も主軸としてやっているポップダンスです。そのダンス教室の先生を初めて見た時に、すごくかっこいいなと思いました。習い始めてから2か月目でチームを組んだんですが、そこに年下のメンバーがいたんです。自分は初心者だったので、大会に行っても個人戦では自分だけ負けることが多すぎて、そこで「負けたくない」と火がつきました。うまくなりたい一心で練習をしていたら、すごくはまっていったという感じですね。
――中学2年生の時には世界最大規模のダンスバトル「ダンスアライブ」のキッズ部門で優勝。かなり上達のスピードが早いように感じます。
本当にダンスが大好きで、いつもヘッドフォンで曲を聞いたり、スマホでYouTubeを見たりしていました。全世界のダンスバトルを全部見ているくらい、とことんのめり込んでいましたね。それから大会によく出場していましたが、帰りが12時くらいの深夜になった場合でも、そこから家で踊ったりしていました。それを見かねた両親が、そんなに好きならと、鏡つきのダンス部屋を作ってくれました。本当にたくさんのサポートをしてくれましたね。
――ご両親はどんな教育方針だったんですか。
「すごいね」とほめられることが多かったですね。「勉強しなさいよ」という言葉はなく、基本的には放任主義で、いろんなことを任せてくれました。ただ自分がブレてしまったり、ダンスばかりにのめり込んでしまった時には、「やることはやったの?」くらいの声掛けはありましたね。「中途半端はダメだよ」というのは、口を酸っぱく言われていた記憶があります。
【友達と一緒に5時間の勉強】――当時、学校での成績はどうでしたか。
中学生の時はよかったほうだと思いますけど、そこまで成績は意識していませんでした。ただ県で一番偏差値の高い高校を目指して勉強して、なんとかギリギリで入れた感じです。高校では、親友が医者を目指していて、その親友と一緒に勉強をしていたら、どんどん成績が上がっていきました。親友からいい影響をもらったおかげで、高校3年生の秋の全国模試の国語で県1位をとれました。それで、これは大学受験でも結構偏差値の高いところを狙えるなと思いました。
文武両道のコツを語るTAKUMI
――友達とはどのような感じで一緒に勉強していたんですか。
教え合ったりすることはなくて、勉強時間を一緒に過ごしていました。学校が終わってから、自習室に一緒に行って、5時間くらい勉強をしていましたね。休日は12時間、勉強したこともありました。
高校時代はダンスの全国大会とか世界大会とかにも出ていたので、どちらかというと、ダンスがメインで、空いている日に友達に誘ってもらって、ずっと勉強していました。僕は勉強の意識もありましたが、すごく勉強が好きなタイプではなかったので、自然と意識がダンスに向いてしまうところはありましたね。
――両立することの大変さは感じませんでしたか。
それが当たり前になっていて大変だという感覚はなかったです。遊ぶ時間がほしくても、ダンスで世界大会に行きたいとか、早稲田大学に合格したいとか、そういう目標はあったので、そのためにやるべきことをやって、そのあとで遊ぼうと考えるようにしていました。強いて言えば、それが少しつらかったです。
――やるべきことを終わらせてから遊ぶというのがベストなのはわかっていても、なかなかできないものです。このような自己管理はいつ頃からできていたんでしょうか。
中学生の時は、それができなくて結構苦しみましたね。ダンスと勉強をただやっていただけで、成長の速度が上がっていきませんでした。ただ高校になると、勉強をやっている時間が、ダンスにとっての休み時間のような感覚になって、どちらも集中してできていたと思います。勉強もダンスも両方レベルが上がっていくノウハウを掴めたのが、よかったかなと思っています。
【覚悟を決めて道を選択】――早稲田大学法学部を選んだのはなぜですか。
弁護士になりたいなと思って法学部に進学しました。それから総合商社にも興味があったので、そこで法律の知識を生かして仕事をすることもいいなと思っていました。同時にダンスにものめり込んでいたので、ダンスも絶対に続けたいなと。ただダンスを仕事にすることには、少し不安があったので、ダンスを仕事にしていくという覚悟が100%にならない限りは、諦めようと思っていました。そんな時にDリーグが始まる話があって、こうしてプロダンサーとして活動していくなかで、覚悟が決まり、今はDリーグに力を注いでいこうと考えています。
Dリーグでの優勝を狙うCyberAgent Legit ©D.LEAGUE22-23
――では、これからはダンス1本でやっていくということですか。
ダンサーとして生きていくというよりは、ダンスを軸としつつも、いろいろなことに挑戦していきたいなと思っています。肩書をたくさん持てるようになりたいですし、さまざまな経験を積み上げて、自分にしかできない価値を見つけ出せたらいいなと思います。
――今後の夢を教えてください。
まずはDリーグのシーズン優勝とチャンピオンシップ優勝は、絶対に成し遂げたいです。たとえ接戦で負けた場合でも、「負けたけど頑張ったよ」という気持ちを持つつもりはなくて、絶対に勝ちとりたいなという強い気持ちを持っています。日頃からすごくたくさんの方がサポートしてくれていて、今は全員が一致団結して戦えていますので、この好調を維持していきたいです。
――最後に文武両道を頑張っている子どもたちにアドバイスするとしたら、どんなことを伝えたいですか。
みなさんも、たくさんの夢や目標を持っていると思います。それに向かって全力で頑張ることは大事ですが、頑張りすぎないことも大切なことだと思っています。根を詰めすぎて周りが見えなくなってしまったり、努力が悪い方向に向いてしまったことが僕には結構ありました。だから、努力の方法を間違えないこと、そして必ず休養を取ることを意識してください。自分を見つめなおす時間を取ることも大切なことだと思います。
【Profile】
TAKUMI(桑原巧光)
2000年5月19日生まれ、福島県出身。小学4年からダンスを始め、中学2年の時に日本最大のストリートダンスバトルイベント「ダンスアライブ」のキッズ部門で優勝、高校では全国高校生ダンスバトル選手権で2連覇を達成するなど、数々の実績を残す。16歳の時にはニューヨークのアポロシアターで開催されたアマチュアナイトで月間満点優勝を飾るなど、海外でも注目を集める。早稲田大学法学部に進学し、2年時よりDリーグのCyberAgent Legitにリーダーとして参加する。