「『紅白』出場せず」中森明菜の「おニャン子クラブ」嫌い伝説 スタッフに「自分たちが恥ずかしくないの?」
年末の『NHK紅白歌合戦』出場が最後まで取りざたされていた、歌手の中森明菜。結局、11月16日に発表された出場者一覧の中に、その名はなかった。
2022年になって個人事務所を設立、過去のコンサートの映像が地上波テレビで放送され、評判を呼ぶなど、例年になく注目を集めた1年となった明菜だが、そんな彼女のこだわりの一面について、音楽関係者が明かしてくれた。
「中森明菜さんはプライドが高く、自分がレコード会社の看板を背負っているという自負がありました。だから“素人集団”の『おニャン子クラブ』が嫌いだったんです」
1985年のデビュー以降、おニャン子クラブはソロやユニットを含めてオリコン1位を連発していた。その勢いに乗って、1986年4月、メンバーから4人組ユニット「ニャンギラス」(立見里歌、樹原亜紀、名越美香、白石麻子)が、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)からデビュー。ファーストシングル『私は里歌ちゃん』がオリコン1位を獲得する大ヒットとなり、『ザ・ベストテン』(TBS系)にもランクインした。
「明菜さんは、テレビ局の歌番組で『ニャンギラス』と居合わせた際、担当のワーナーの社員に対して『自分たちが世界の3大レーベルにいるという自負はないの? 恥ずかしくないの?』と、強い口調で叱責していました」(前出・音楽関係者)
じつは、ワーナーの明菜担当チームが「ニャンギラス」とまったく同じスタッフだったのだ。その事実を明菜に知られないよう、「ニャンギラス」に曲を書いたある作曲家は、別のペンネームまで作った。デビューアルバム『最初で最後』(1986年8月発売)には、プロデューサーをはじめ、レコーディングスタッフなどもいっさいクレジットされなかった。ワーナーのスタッフが、意図的に外したのだった。
「ニャンギラス」メンバーで、おニャン子クラブの会員番号15番・立見里歌に確認してみた。
「たしかに、私たちは明菜ちゃんに嫌われていましたね(笑)。楽屋挨拶にうかがったとき、不機嫌そうな顔をされていました。でも、私は明菜ちゃんの大ファンだったからぜんぜん平気。だって、明菜ちゃんに『嫌い』って認識してもらうだけでも、すごいことでしょう?」(立見)
いずれも、日本のアイドルの歴史に大きな足跡を残したことだけは間違いない。