現代の教育格差は広がるばかりです(写真:Fast&Slow/PIXTA)

かつて進学や就職は生徒の可能性を伸ばし未来を切り開くものであった。しかし現在は格差を固定化したり拡大させたりするものになっている。教育ジャーナリストの朝比奈なを氏は、非現実的な「夢追い型」の大学・専門学校に進学して貧困スパイラルを断てない現実や、旧態依然とした慣例がまかり通り離職率が高まる一因となっている高校生の就活といった、進路選択の問題を提起している。著書『進路格差 <つまずく生徒>の困難と支援に向き合う』より、置き去りにされる高校生と支援者の声をお届けする。

学習支援員が見た教育困難校の実態とは…

「教育困難校」の実情が周囲に少しずつでも理解されるにつれ、学力が低い高校生の学力向上を学校内で支援する人員を配置する動きが起こった。それは、発達障害に対する支援より少し早い2010年代後半から、東京都や大阪府、埼玉県等で開始されている。

この支援は教育委員会が資金を出してNPOなど外部団体に依頼する形で行われている。NPOには退職教員、現役学生を始め、さまざまな経歴を持つ人が所属し、学習支援活動に携わっている。これまで、高校教育関係者以外には知られていなかった、義務教育段階で学力を伸ばし得なかった高校生の姿は、このような支援する人々にどう映るのだろうか。

この疑問に応えてくれる方に取材することができた。首都圏で学習支援員を務めているOさん(仮名)という男性である。彼の公立高校での学習指導の体験と生徒たちへの思いを以下に紹介してみたい。

Oさんは大学で社会福祉を専攻し、卒業後に公立の社会福祉施設に勤務した。仕事面でも社会福祉分野でのキャリアを重ね、特に、アルコール依存症に対する経験と専門知識は卓越している。

このようなOさんが定年退職後、福祉関連団体の嘱託職などいくつも声が掛かった依頼を断り、地域で困りごとを抱える人をサポートするNPO団体に所属したのは、これからも実際に困っている人々を助けたいという思いからだろう。

その後、東京都が特定の公立高校への学習支援員の設置を決め、それを委託された別のNPOが支援員を募集した時、Oさんは応募し採用され現在に至っている。

これまで学校という場とはほとんど無関係だったOさんに、なぜ、高校生相手の仕事を選んだのか尋ねたところ、「大人の支援はたくさんやってきましたが、若い人の支援はあまり経験がなかったのでやりたいと思いました」と動機を説明してくれた。

彼の経歴を考えると、高校での学習支援員はまさに適任だと考える。なぜなら、学力低位校には、自分の家庭に、本来福祉分野が対処すべき問題を抱えている生徒が多数存在するからだ。従来の経験があるからこそ、勤務して間もなく高校生の実態に気づいている。

「学び直し」を目的に挙げる公立高校の存在

Oさんは、現在まで5年間同じ公立高校、F高校(仮名)で学習支援員を続けている。F高校は全日制普通科で学力に自信がない生徒を受け入れ、「学び直し」ができることを謳う高校の1つである。

一般にはあまり知られていないが、「学び直し」を目的に挙げる公立高校は2000年代に入ってから各地に設立されており、エンカレッジスクール、チャレンジスクール等自治体ごとに名称は異なる。F高校は同種の高校の先駆け的な存在だ。

Oさんが最初に赴任した時の校長は、非常に生徒思いで熱心な指導で知られた人物だった。学習支援員の配置には数百万単位の資金が必要だが、教育委員会と直談判して認めさせたという逸話も関係者内に残っている。「学校全体が、校長を中心にして教職員と学習支援員など外部の人間がチームを組んでいる感じでした」とOさんは当時を振り返る。

この校長の改革などにより、F高校は特色あるシステムを持っている。個々の生徒の学力の実態や問題点を発見できるように少人数制クラス編成にし、担任も原則として2人制を取っている。

国語、数学、英語の3科目は基礎から学び直せるように力を入れ、時間割の中に正規の授業として「基礎学習」(仮称)が組み込まれている。生徒の集中力を考えて、1授業時間は45分、朝一番の授業は30分に設定されている。

また、時間や行動の管理が苦手な生徒も多いので、専用のノート作成などを通じて自己管理ができるようになる練習も実践している。加えて、2019年からは通級教室の新設も進められている。

本人が持っていながら隠れている能力・才能を伸ばすための授業である「基礎学習」がF高校で最も特色ある授業である。この授業は毎日の時間割に組み込まれ、学校が用意したプリントを元に生徒が自分のペースで学ぶ自学自習の形式で実施されている。

前述の通り、「基礎学習」は国語・数学・英語の3教科で行われている。各教科のプリント内容を少し紹介してみよう。

国語ではひらがな・カタカナの正しい書き方からスタートし、主語や述語、修飾語など基本的な文法を最初に学ぶ。その後、短い文章題から慣用句、ことわざ、漢字、長い文章題と学習を重ねる構成になっている。

数学は、足し算・引き算・掛け算・割り算の四則計算から始まり、続く小数・分数は非常に丁寧に学ぶように作成されている。小学校で小数・分数の学習でつまずく子どもが多いのだが、わからないままに高校生になった生徒に今度こそ理解させようという学校の意気込みが感じられる。

また、百分率や歩合にも多くのプリントを費やしている。これは、社会人になった際、働く立場でも消費する立場でも必要不可欠の内容なので力を入れているのだろう。その後、度量衡などの単位、速さや時間と学び、最終的には方程式や図形等を含んだ文章題に取り組ませる構成になっている。

英語はアルファベットの書き方から始める

英語は、アルファベットの書き方からスタートし、曜日や月の名称、数字等々を学んでいく。さらに、中学までの学習で躓く生徒が多かったbe動詞の学習にたくさんのプリントを割いている。プリント全体の構成は、日常生活に必要な英単語と簡単な英会話に重点が置かれている印象がある。

このように、3教科のプリントは小学校から中学校までの学習内容の中で、F高校の生徒が将来、社会人となった時に必要な内容をしっかりと「学び直す」ことを意識したものとなっている。

学力が高くない生徒が多い高校、特に公立高校では、F高校のように独自のプリント教材を作成して基礎から学ばせる工夫をしている学校が全国的に増えている。筆者も同様の高校のいくつかを見ているが、その中でもF高校は先駆的な存在でもあり、各教科の内容は生徒の学力面の実態を的確に把握した上で、何度も練られて作成されたものと感じた。

この授業が学習支援員の主な活動の場である。Oさんを含めた3人の学習支援員が週3日、8時30分から17時まで勤務している。ほかに週1回勤務する支援員もいる。支援員たちは「基礎学習」の時間に教室にいて、生徒がプリントを仕上げた際に確認したり、わからない箇所を教えたりする。授業時間内にわからなかった生徒には放課後に再度丁寧に教えることもある。

この活動を通じて、OさんのF高校の生徒に対する印象は変わってきた。当初は、四捨五入もわからない、簡単な日本語の文の意味も把握できない、勉強の仕方がわからない生徒たちの姿に驚いていた。しかし、指導員が丁寧に教えてわかると、彼らはとても嬉しそうな表情になる。

毎時間、プリントができるとそれぞれの生徒が支援員のところに持ってきて確認してもらうのだが、その時に良い点を見つけて褒めると、パッと表情が明るくなる。そうしている内に、生徒たちは早く褒めてもらいたくて、支援員の前に我先に並ぶようにもなった。

そのような姿を見て、「彼らはこれまで勉強に関わることが少なかったんだ。勉強に関心がない子たちと思っていたけれど、そうではなかったんだ」とOさんは実感する。

こう気づくと、教え方も一層工夫するようになる。単に正しい解答を導くだけでなく、考えるプロセスを一緒に辿ることを心掛けるようになった。「紙と鉛筆を持って、とにかく生徒にわかりやすいように可視化を心掛けました」とOさんは話す。

四則計算ができない生徒には、小学校低学年でやるように、○などの図形をその数だけ描いて、理解する最初のきっかけを作ったりするそうだ。

国語に関しても、「本当に、ものを読んでいない、トレーニングされていない生徒が多くて驚きました」と話してくれた。さらに「小中学校では、前に学んだことを理解していることを前提として授業をやっているようですが、文の最も基本的な構造である主語と述語がわからない生徒も多い。これは就学前に、どれだけ日本語に触れたかの違いかもしれません」と彼らの生育歴にも思いを馳せていた。

「読み・書き・そろばん」は生きていくために不可欠

主語と述語、名詞と形容詞など基本的な文法がわからなければ、国語だけでなく英語の学習にも躓く。その上、国語の読解力がなければ、理科や地理・歴史公民など全ての分野の学習でも支障をきたす。Oさんは主語と述語がわからない生徒にも丁寧に向き合ってきた。


例えば、「桜が咲いた」という文をイラストもつけて書く。それを、「きれいに咲いた」「少し咲いた」「咲き終わった」などとアレンジし、なるべく五感を使って文の構造を覚えるように試みている。

「基礎学習」で使うプリントは高校教員が作成したものだが、それを元にしつつ、生徒が躓いている点を見つけると、つまずきのスタート時点まで戻って、その生徒に合った指導法を考えながら教える学習支援員の工夫は、現時点のAIを使用したデジタル機器ではできないものだと断言できる。

実際に学力の低い高校生を支援することで、Oさんの高校教育に対する思いも変わっていく。「高校では微分積分などをやりますが、その前に割合、読み・書き・そろばんをしっかり学ぶべき。これらは、社会で生きていくために絶対に必要だから」と力説する。

(朝比奈 なを : 教育ジャーナリスト)